第29話 ぐうの音もでない

 次にみゆうさんがアルバイトに来る頃までには僕のいら立ちも収まっていた。お陰で興味津々というみゆうさんの視線も気が付かないふうを装って無視できる。無遠慮に問いただしてくるかと思ったが意外なことに何も言わない。からかわれたら平静ではいられなかっただろうことを考えるととてもありがたかった。


 いつまでみゆうさんが僕と一緒に朔日を過ごしたらいいのかも聞けないままだ。その点を蒸し返してこないのも変と言えば変だが、僕にとっては助かるのでそっとしておく。下手に話題を切り出そうものなら、また先日のように、やっぱり私のことを狙ってるんですね、とか言われかねない。


 みゆうさんももうちょっと年齢相応の落ち着きがあればと思うのだけれども、口にすることはなかった。僕にそんなことを言われても、あ、そう、で終わりそうだ。基本的にお互いに異性として関心がないということで至って平和だし、職場としてはあるべき姿だろうと思う。


 そうしてほっとできていたのはたかだか1週間程度のことだった。アルバイトを終えてすぐに帰るのかと思ったみゆうさんがスマホを片手に声をかけてくる。

「マスター?」

 その声を聞いて僕の中の警報が鳴り響く。


 みゆう警戒レベル3は固いところだろう。この声の感じは絶対に何か良からぬことを企んでいるときの声だ。以前、僕に対して紫苑さんが気があるとかいう与太話をしたときがこんな感じだった。そのセリフはある意味においては正しかったのだけれどもちっとも嬉しくない。


「今度のときに呼び出すのはこの話からがいいかなあ」

 わざとらしい甘えた声に背筋がぞわぞわした。見れば僕の書いた小説の一つが表示されている。小説投稿サイトのイベントで書いたものだった。ポストアポカリプスもので登場人物の男性はごく普通の大学生。


「いや、ダメだよ。説鬼ととても戦えそうにないし。女性の方なら一度助けてもらったけど」

「へええ」

「なんだよ。その語尾の伸ばし方は?」


「マスターって、自分から誘っちゃうような積極的な女性が好きなんだなあって思っただけです」

 やっぱりそう来たか。確かにその作品のヒロインは、色々と積極的だ。まあ、いつ死ぬか分からない世界ならそう変でもないと思うのだけれど。


 ここでみゆうさんが言及したのは明らかに1週間前のことを聞きだすための話の糸口に過ぎないだろう。ここは先手を打った方がいい。

「意外ですね。みゆうさんは渋い年上が好みかと思ってたのに、その作品の男性は同世代ですよ。しかもごくありふれた青年です」


「そうですか? 別に年上専門のつもりは無いんですけどね。いや、わざわざ荒廃した世界でパートナーにしようってぐらいだからイイ男なんじゃないかなって思ったんですよね。ほら、誰かに選ばれてる人の方が安全だと思いません? 少なくとも一人は異性として合格を出してるわけで」


 うわあ。僕は頭がくらくらした。非常に合理的と言えば合理的だけれども、つまりは略奪を宣言しているに等しいわけで、みゆうさんを見る目が変わってしまう。

「なんですか、その視線は? あまり良い感じはしないです」

 みゆうさんは不本意極まりないという顔をしている。


「まあ。その点は今度ゆっくり議論するとしてですね。結局、この間はあの後どうしたんですか? やっぱりあの人に誘われちゃったんですよね?」

「あの人って?」

「とぼけないでくださいよ。紫苑さんです」


「それをみゆうさんに話す理由がないね」

「そうですか。そんなこと言っていいんですか?」

「当然だろ。他人にべらべら話すようなことじゃない」

「ということは、他人に話せないようなことがあったんですね。へえええ」


 誘導尋問というのおこがましい罠に引っ掛かってしまった自分が情けない。ちょっと仕事の話をして帰っていったとだけ言えばよかったのだ。

「残念ながら何もないよ」

「なるほど。こじらせちゃってるマスターが拗ねたってところですね」


 ううう。まるで見ていたように的確な指摘にたじたじになる。黙っているとみゆうさんが語調を変えた。

「あのですね。まあ、しょせんは他人様のことですし、ほっといてもいいですけど、マスターって恋愛の理想が高過ぎじゃないです?」


「そんなことはないぞ。たぶん」

「そうかなあ。だって、紫苑さんのお誘いに打算を感じ取ってイヤになっちゃったんですよね。まあ、気持ちは分からなくは無いですけど。でも、だったら、なんでもっと早い時期にマスターからアタックしなかったんです?」


「僕から?」

「そうですよ。そんだけあからさまな態度を取っておきながら、自分からは告白しない。そのくせ、相手からのモーションかけられたら、些細な理由で断っちゃうなんて、はあ、めんどくさい男ですね」


「そんなこと言われる筋合いは……」

「ありますよ。私の命のマスターの手のひらの上に乗っているんです。そういうグジグジした気持ちを抱えているといざというときに思ったように体も頭も働かないかもしれないじゃないですか。しっかりしてください。ということで、お疲れさまでした」

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