俺達の夏はオリンピックと関係がない

小鳥遊 慧

俺達の夏はオリンピックと関係がない

「俺もオリンピックに出たかった!」


 部活の同期である川上に突然そんなことを言われて思わず昼食の蕎麦を吹き出しそうになった。


「せっかく東京でやるのに、俺だってオリンピックに出たかったよぉ」


 戯言たわごとを繰り返す川上にいっそ頭が痛くなってきた。頼むからあんまり恥ずかしいことを大声で言わないでほしい。ここは大学の食堂で、当然他の部活の人間もいっぱいいるのだ。うちの部の恥を晒したくない。


「村瀬、なあ無視すんなよ! 聞いてくれよ! 俺も……!!」


 さらに大声で主張しようとしたので思わず川上の口を手で塞いでしまった。


「お前な! 出れるわけがないだろ!」


 つられて俺まで大声になってしまったせいで、周りからの視線が集まった。とりあえず川上が騒ぐのをやめたのを確かめて、口から手を離して、声を小さくして続ける。


「俺達、弓道部だぞ」


 そう、俺達は弓道部である。当然ながら弓道はオリンピック種目ではない。現在一目で弓道部と分かるような袴姿で大学の食堂にいるのだ。あんまり馬鹿な発言ばっかりしないでほしい。


 東京でのオリンピック開催を目前に控えた2020年7月上旬。本日俺達は全日――全日本学生弓道選手権大会、弓道ではあまり言わないけど他の競技ではインカレとか呼ばれるアレの個人戦の予選に来ていた。何の因果か自校が開催校に選ばれてしまったので、朝から準備や進行に走り回って、ようやく昼食ということで一息つけたところだ。だというのにこの同期、変なことを騒ぎ立てないでほしい。


「だってさあ、アーチェリーが種目に入ってるのに、弓道が入ってないのおかしいだろ! 競技人口はアーチェリーの10倍だぞ!」


「日本だけならな」


 世界で見ると逆転じゃ済まないだろう。


「だから俺としては是非とも『無差別弓術部門』が必要だと唱えたいわけよ!」


 ……なんか格闘技かなんかの階級分けのような名称が出て来たな。


「つまりな! 流石に、照準やらなんやらごちゃごちゃくっついてるアーチェリーに勝とうというのは俺も無茶だという自覚はあるわけ」


 そりゃそう。


 アーチェリーは俺もやったことはないのだけど、同じ学部にアーチェリー部に入ってるやつがいるからちょっとは聞いたことがある。確かサイトという照準器やクリッカーという弓を一定の位置まで引くとカチッと音が鳴る装置や、ぶれとか腕の振動を抑えて弓を安定させる道具なんかがついているらしい。話に聞いたところ、そういうてるための道具の一切がない和弓とは全く別の道具だなと思った。学部の友人曰く、まず的にあたるのは当然でどれだけ中心にてられるかという代物らしい。


「だからそういう一切合切を取っ払って純粋に弓だけの状態にしたものなら、世界各地のどんな弓での参加できるっていう無差別級で試合をしてみたい」


「……なるほど」


 荒唐無稽ではあるものの、ちょっと面白くなってきた。頷きつつ想像する。


「つまり、色々な装置を全部取ったアーチェリーも、日本の和弓も、イギリスのロングボウもモンゴルのコンポジットボウも一堂に会して試合をするわけだな。クロスボウは当然機械式だからなしと」


「そういうこと!」


 ロングボウは英仏百年戦争の時にフランス軍が使うクロスボウと違って速射ができるため優位に立っていたと聞いたことがあるし、遊牧民の使う短いコンポジットボウは複数の素材を組み合わせて作ることで取り回しのしやすい短い弓でも威力を出していたと聞く。


 世界中の弓と対決。


 なにそれちょっとやってみたい。


「距離はどうするんだ? 弓道なら近的28mか遠的60mだけど、アーチェリーはどうなんだ?」


「待って待って! 調べるから! ……ええーと、男子は90m、70m、50m、30m。……90mか……」


 スマホで必死に調べてた川上が、その距離にいきなりトーンダウンした。


「90mか……」


 俺も思わず呻いた。……さすがにちょっと厳しい気がするぞ。普段の3倍じゃないか。


「あ、でもでも! オリンピックは70mだって!」


「あ、そうなんだ。70mならまあ、練習すれば……弓道に合わせて28か30mも入れとこう」


 あまり弓道では遠的の試合は行われないので俺も三十三間堂――毎年ニュースでのちらっと流れているけど、成人の日の前後に京都の三十三間堂って寺でやる大会。晴れ着に袴でやるから女子はこれ目当てで弓道始める奴もけっこういる――でしかやったことないが、まあ練習すれば何とかなる距離だろう。……問題は遠的できる弓道場ってあんまりないから練習するにしても遠いことだけど。


 思わず川上に乗せられて周りの耳を忘れて盛り上げっていると、


「言っとくけど、全部取っ払っても和弓よりもアーチェリーの方があたると思うぞ」


 と声をかけてきた奴がいた。定食の乗ったトレイを持って、俺の後ろに立っていたのは学部の友人の橋本だった。


「ああ、橋本か。お前も部活?」


「そう。隣りいいか? 今日全然席空いてないな」


「どうぞ。そういえば今日混んでるな……ああ、こいつ、同じ学部でアーチェリー部の橋本。こっちが同じ部活の川上」


 俺の隣に座る橋本に対して、『誰?』という顔をしている川上に対して軽く紹介しておく。


「橋本は確か、高校では弓道してたって言ってたよな。その経験から?」


「そう。俺は弓道の方はあたらないのが嫌になって辞めた口だから。アーチェリーの方はあたるから続けられてる」


 そう、はっきりと優劣を決めつける言葉に、むむむと川上が不満げな表情をしてきた。何か言いたそうな川上を遮って橋本は続ける。


「だってアーチェリーって本当に普通に弓持って普通に引いていくのでいいんだもん。お前ら弓道で完璧に手の内作れてる自信ある? アーチェリーの方は工夫して握らなくてもいいように、道具の方を改良してんだよ」


 橋本の言葉に俺達はサッと目を逸らした。手の内……自信ないです。


 手の内というのは弓の握り方のことなのだが……これが端的に言うととても難しい。弓道初めて三年目の俺達ですらこのざまである。ネットで調べたら皆悩んでいるのか、手の内の作り方的なページが山のようにヒットするのだが、それを読み込んでもさっぱりできるようになってないのだ。俺のここ最近の悩みである。……高くて悩んでたけど、いいかげん指導DVD買おうかな。


「他にも色々違いはあるけど……つくづく思うんだけど、あれって競技と道具の進化の仕方の根本的な理念が全く逆なんだよな。アーチェリーはあたらないなら頑張って道具を改良しようって感じの進化で、弓道はあたらないなら己の修業が足りないからだって感じだろ」


「ああ……正射必中――正しい射をすれば必ず的に矢があたるって考え方なんてその極みだよな、よく考えたら」


 橋本の言葉に俺も頷いてそう言った。あたあたらない以前に正しい射法で弓を引く。その結果正しく引ければ自然とあたる、といった考え方は、確かにアーチェリーとは真逆だろう。


「正射必中……」


 普段から正しく引くことよりもてに走ってると師範や先輩によく怒られている川上はその言葉に呻きながら頭を抱えた。……こいつ性格的にはアーチェリーの方が得意そうな気がしてきたぞ。


「ちなみにアーチェリーには種目によっては俺たちが使ってんのとかオリンピックに使われてるのよりもさらに機械化されてる弓もある。滑車とかついてる」


「マジかよ。もはや弓とはって感じだな」


「それ弓じゃねえよ! やっぱり男は一切機械化されてない弓で勝負だぜ!」


 あ、やっぱりこいつ性格的に弓道だわ。



 * * * *



 その後も橋本からアーチェリーの色々を聞いたのだが、弓道しかやってない身としては目から鱗の数々だった。こういう違いもなかなか面白い。だけどまあこうして違いを知ってみると……


「まあ、弓道とアーチェリー、逆に同じ土俵で競わせる方が無粋ってもんか」


 こういう結論にたどり着いた俺達は、橋本と別れて弓道場に戻ってる途中である。休憩も終わったので、そろそろ自分の順番に向けて準備運動をして集中しなければ。


「目指すところが全く違うんじゃ、無理か。しょうがないな。オリンピックは諦めて、全日の本選目指すか!」


「そうそう、そのためには今日、四射三中だぞ」


 四本引いたうち三本てるというのは、実は別に強豪校でもない俺達には結構緊張をもたらす数字なのだった。


「よっしゃ! 東京には行けないけど、今年の夏は名古屋に行くぜ!」


「おう!」


 オリンピック競技には決してなれない俺達は、今年の8月18日から始まる全日の本選、名古屋に向けて気合を入れた。



      了

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