第22話 父と娘と②

【前回のあらすじ】

 メガフロートへと帰還したミレニアだったが、負傷した僚友パティの口から父ロベルト拘束の報を聞く。真相を知るべく、総帥マクファーレンを訪ねたのだが――。




 はじめて入った総統執務室は、とても手入れが行き届いていて、また開け放たれた窓辺からは、甘い潮風に乗り海鳥達の鳴声が聞こえてくる。


 ミレニアは、執務机を挟んでシリウスと正対し、背後に秘書官であるカーラ・シュミットの気配を感じている。あれほど昂ぶっていた気持ちは、自分でも拍子抜けしてしまうくらいになりを潜め、いまでは目の前に座る御仁に向かって、どう話を切り出したものかと考えあぐねている始末だ。


 むかしから直情型の気はあったが、どうやら今回ばかりはアルフォートの忠告を聞き入れておくべきだったと、内心頭を抱えている。


 一方シリウスは、ミレニアから見る分には、とても落ち着いているように見えた。普段から党員三万に慕われる総統閣下の威厳はそのままに、幼き頃に膝のうえで本を読み聞かせてくれた父の盟友としての表情を浮かべて。


 おもえばこの御仁は、あの時から老いというものを知らない。ミレニアの記憶のなかにある彼は、いまもなお同じ顔のまま、美しく成長した彼女の眼前に佇んでいるのである。


 そんな物思いにふけっていると、彼女に気を使ったのかシリウスのほうから沈黙を破った。ユニオンの最高指導者という立場よりも、むしろ父の友人としての色を強めて。


「驚いただろう? きみが消息を絶っている間、こちらもなにかと気をもんだものだったが、それ以上の衝撃と精神的苦痛をきみには強いてしまったようだね」


「は」


「順を追って説明しよう。なぜいま、きみのお父上が謀反人としての嫌疑を受けて、拘置所に拘束されているかを」


 いきなり核心をつく内容だった。ミレニアは自然と身を引き締める。


「実はこれは、すべてノヴァク書記長から提案されたものでね。わたしもはじめて聞かされた時は正直驚いたが、その狙いが奈辺にあるのかを紐解かれるにつれ、さすがはロベルト・ノヴァクここにありと思ったよ。政策の違いから彼を幕僚にくわえられなかったのは、いまでも悔やまれるが、あの男とアカデミーで首席を争ったのはわたしの自慢だよ」


「一体それは、どういうことなんですか?」


「うむ。きみも知っての通り、現体制は政策の性格上、ともすれば人類の救済という大義名分を逸脱して、侵略戦争を開始してしまいかねない危険性をはらんでいる。それを抑制するための自制手段として、きみのお父上にもその一翼を担っていただいていたのだが、いつの頃からか党内に不穏な動きがあると、さる機関から報告を受けていた。どうやらわたしの目の届かぬところで、不正に略奪を行っている不埒者がいるというのだ」


 ミレニアはハッとした。

 それはクィントに聞かされた、ユニオン啓蒙部隊の所業ではないかと。

 行き過ぎた愛党精神が主義を形骸化させ、いわんや略奪行為までを正当化させようという論理は言語道断であり、処罰されるべきだ。


 ミレニアは自分が命を拾ったのは、この事実を白日の下にさらさねばならぬという始祖グレゴリオの強い念が、そう導いたのではないかとも思っていたが、まさかその首魁ともにらんでいたシリウスの口から、その話題が飛び出すとは予想だにしなかった。

 ばかりか敬愛する父が、なにやら遠大な計略をもってことを起こそうとしている。

 彼女は無言のままに、シリウスの次の言葉を待った。


「彼らは我がユニオン啓蒙部隊を偽称して、多くのコミュニティや船を襲った。いずれも入党勧告を受け入れなかったからという理由で、人道にもとる行為に及んでいるらしい。報告によれば、被害はここ十年で数百件にもおよぶということだ。わたしが軍務についていながら、そのような不正があったとは夢にも思わなかったよ。返すがえす己の浅はかさを呪うばかりだ」


「それで父はなぜ? 彼はなにをしようとしているのですか」


「うむ。実はこれらの愚かしい行為は、すべて現体制の威信を貶めるために、一部の穏健派が画策したことで、被害が拡大したところでその責任を我々になすりつけ、現在の総統府を失脚させようとしていたのだ。その情報をつかんでいたロベルトは、好機を見計らい、穏健派の代表として自らの首を差し出すことで、党内に潜む反逆者達を一斉にあぶり出そうとしているのだよ」


 シリウスは一度ここで言葉を切って、物憂げに首を揺り動かした。


「この大事業を彼以外の誰がなしえただろうか。いや誰もいない。彼の勇気ある行動のおかげで、いま党内では、ノヴァク書記長逮捕に批判を呈す不穏分子が続々と捕縛されているよ。人類の正義に仇なしているのが自分とも知らずにね。一週間だ。一週間でこの騒動は鎮圧される。それまでお父上には苦労をかけるが、いまが正念場なのだよ、ミレニア」


「そのことを……母は?」


 シリウスはゆっくりと首を横に振った。そして、「やはり」といった表情で席を立ち、窓辺へと擦り寄った。


「お母上には……ミリア様にはこの事実は告げていない。この件にノヴァク家の介入を許す訳にはいかないのだよ。グレゴリオ直系である彼らの後ろ盾があれば、このユニオンにおいてはすべてが正当化される。だからこそロベルトは、心を鬼にして最愛の妻にさえ事実を秘匿せよとわたしに託したのだ。それをわたしが一個人の感情で曲げる訳にもいかない。つらいだろうが、すべて時が解決してくれる」


「わたしにはっ。わたしにはなぜ事実を?」


「きみは軍人だろう。この事実を知ってなお冷静であることが義務付けられる。それにね、ミレニア。わたしはきみこそ、グレゴリオの正統な継承者であると考えているんだ。近い将来、この椅子に座っているのはおそらくきみだろう」


 と、シリウスは再び執務机に腰を下ろし、天を仰いだ。


「そのためにも負の遺産を残さぬように、わたしとロベルトがすべてを粛清する。来るべきユニオンの黄金期を、きみに手渡すその日まで!」


「閣下……!」


 堪えきれない衝撃が、ミレニアの胸を打つ。いま彼はなんと言った? 自分に政権を委ねると言ったのではないか。

 あまりにも大胆な発言。

 一組織の元首として、軽率とも取れる発言ではなかったか。


 突然のことに、また受け入れがたい状況にミレニアの足がすくむ。ともすれば腰砕けになってしまいそうな自分を、必死に奮い立たせた。すると、またしてもシリウスの方から気を利かせて、彼女に退室の機会が与えられる。

 去り際に一言、「お父上に会って行くといい。面会の許可を出しておくよ」と。


 夢うつつの足取りでミレニアは、総統執務室を後にした。一度にいろんな感情を経験しすぎて、思考が現実に追いついていかない。まさに心ここに在らずという状況だった。


 そんななか、ふと頭をよぎったのは、ひょんなことで出会った海人の少年の笑顔だった。


 自分の置かれた状況に対して前向きで、恨み言ひとつもらさない。もし彼が、いま自分と同じ境遇にあったらどう思うだろうか。


 父親は反逆の徒を装い獄中へ、それを知らぬ母は夜毎、枕を涙でぬらし、さらに自分にいたってはユニオンの未来を託されたのである。


 それは身に余る光栄どころか、お門違いなのではないだろうかとさえ思う。

 ミレニアの小さな胸には、自分はいまなにが出来るのか、どうすべきかという問いが延々と渦を巻いている。寄る辺なきこの不安な気持ちは、深海での出来事に似ている。

 あの時は彼がいた。だから耐えられた。しかし、いまは……。


「クィント……おまえなら、やはり『分からん』と言うのだろうな」


 起こりえない最悪の事態を予想して、いまから不幸をかみ締めるのなら、いっそ考えるのをやめてしまえ。同じ想像力を使うなら、もっと楽しいことを。それが彼と出会ってミレニアが学んだ教訓だった。


 あれほどの楽天家になるには、まだかなりの時間を必要とするだろうが、せめていまだけ、久しぶりに会う父親の前だけででも明るく努めようと思った。


 大事にしていた耳飾りは失くしてしまったが、理由を話せばきっと褒めてくださるに違いない。父との面会に思いをはせ、自然とミレニアの頬がゆるむ。

 拘置所までは、あとすこしだった。


「お引取り願おう」


 ミレニアとの体重差が、軽く百キロはあると思われる拘置所の門番は言った。彼のほかにも警備兵が七名。皆、手練の様子だった。ウルティモタワーでの一件が、すでに明るみに出ていると見え、一様にミレニアの動きを警戒している。


「本官はミレニア・ノヴァク少尉である。父であるロベルト・ノヴァクの面会に来たのだ。正式な手続きは踏んでいないが、先ほど閣下から直接許可をいただいている」


 あきらかに威圧的な門番の態度にも、毅然とした対処でミレニアは応じた。しかし、彼らはそれを一笑に付す。誰もまともに取り合ってはくれなかった。


「はぁ? 閣下の許可ぁ? 聞いてないねぇ、そんなこと」


「なに? そんな馬鹿な話があるか! とにかく一度確認してくれ」


「確認たってどこにだよ。まさか、おれ達みたいな下々の人間が、閣下と直接お話が出来ると思っているのかい、少尉さんは? とんだお嬢だな。これだから名門出は嫌なんだ。理想主義ばかりで現実を見ねえ! そんなこったから、家から犯罪者なんざ出すんだよ」


「な! 貴様、もう一度言ってみろ!」


「何度だって言ってやるぜ! おまえの親父はろくでなしだ! しかもずる賢いだけの腰抜けときている」


「……」


「草葉の陰でグレゴリオが泣いてるぜ。テメぇの子孫はなにをやってるんだとな。お~っといけねえ! おめぇの親父は入り婿だったか? グレゴリオの血なんざ、一シーシーも入ってないんだっけなあ!」


 クィント――おまえならどうする?


 取り囲む嘲笑のなか、ミレニアは少年に問いかけた。

 自分のみならず、父や偉大なる始祖まで馬鹿にされてなお、おまえなら争いは望まぬかと。なにかの手違いなら、一度戻って確認を取ればよい。

 いらぬ騒動を起こしては周りに気を使わせるだけだと、先ほど学んだばかりではないか。ここは我慢だミレニア。アカデミーで習った「回れ右」だ。

 それですべてがうまくいく。


「はっ。親が親なら、娘も腰抜けか」


 去り際に浴びせかけられた罵倒に、ミレニアの中でなにかが切れた。


 笑え、クィント。


「うおおおおおおおおおおおおおっ!」


 振り向きざまに放たれた彼女の後ろ蹴りは、矢のような鋭さをもって太鼓腹の真ん中に突き刺さった。ただの一撃で昏倒する巨漢を踏みつけてミレニアが跳ぶ。


 手練の警備兵達が待ち受ける、拘置所のゲートを押し破った。まるで弾けたポップコーンのように暴れ続けるミレニア。ひとり、またひとりと警備兵は倒れてゆくが、騒動を聞きつけた同輩達が増援部隊として押し寄せる。


 さすがのミレニアも人海戦術に呑まれ、次第にその動きを鈍らせてゆく。

 気がつけば無数の兵によって、地面へと組み伏せられていた。それでもまだ彼女は動くことをやめない。敬愛する者の名を呼び、魂の咆哮を上げる。


「父上――――ッ!」


 その悲痛なる少女の叫びは、無慈悲にも広大な空へと吸い込まれていった。



〈つづく〉

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