第18話 キャプテン・ヴィクトリア

【前回のあらすじ】

 乗船を認められたクィントはそのままルカに預けられた。彼女の両親もまたユニオンとの戦闘で帰らぬ人となっていた。





 その後、クィントはルカの案内ですこし船内を見て回った。シャワールームやトイレの場所。それから食堂。すべてが同じ甲板にあった。


 ルカの説明では、ブルーポラリス号の内部は二重構造になっており、下層は格納庫、上層は居住空間になっているということだった。概ねクィントの想像を上回るものではなかったが、潜水艦としては大型のほうだとしても、この狭い空間によく詰め込んだものだと感心した。


 船首方向に食堂、それと対をなすように船尾方向には第二艦橋がある。その間、約四十メートル。外観の巨大さからすると短いようにも思えるが、そのほとんどが耐圧構造と機関に費やされている。居住性など二の次だ。


 そんな狭い船内で、クィントは何人かのクルーとすれ違った。いずれも汗臭い野郎どもばかりで華がない。そこでふと疑問に思ったクィントはルカに聞いてみた。


「この船には、ルカと船長以外に女のひとっていないの?」


「ううん、そんなことないよ。まず水測士のサクラでしょ、それから操舵手のジュリア。それから~……」


「おーいっ」


 ルカの言葉を遮って、ふたりを呼び止める声がした。声の主はツナギ姿の小柄な少年である。ホァンだった。


「クィント、シェフが第二艦橋ブリッジにくるようにって。船長が目を覚ましたよ」


「やぁ~っとぉ~? いい加減待ちくたびれたわよ! 文句言ってやるっ!」


「なんでルカが怒ってンのさ」


「うるさいな、いいじゃないそんなこと。ホァンには関係ないでしょ? これは~、あたしとクィントだけの問題なの。ねぇーっ?」


 と、クィントに身体を擦り寄らせながら同意を求めるルカ。

 悪ふざけなのだろうが、これはクィントには刺激が強い。


「えっ? や、ど、どうかなっ」


「アレ? クィントが着てるのってルカのお父さんのヤツだよね? 懐かしいなぁ」


「似合ってるでしょ~」


「だから、なんでルカがちょっと自慢げなんだよ」


「べっつに~」


 そんなやり取りに、妙な居心地の悪さを感じたクィントが「あの~」と発したのをきっかけとして、三人は第二艦橋へと向かうことにした。


 彼らを出迎えたのは、総勢二十名を越えるブルーポラリス号のクルー達だった。それを見たルカが「手の空いてる奴らが全員きてる」とこっそりもらし、クィントに自身への関心の高さを教えてくれた。


 第二艦橋は食堂と並び、船内屈指の広さを持つ空間である。中央には操舵輪が配置され、壁際を沿うようにしてソファーがある。比較的メンテナンスには気が払われているのが、クルー達の寛ぐ様子からも見て取れた。天井付近には覗窓が開いていて、海中を一望することも可能だ。


 部屋の最奥にはカーテンで仕切られた台座があり、そのうえには高度な細工が施された絢爛豪華な椅子が鎮座している。またシェフも言っていたが、この部屋にはさらに上階があり、そこは第一艦橋であるという。それを裏付けるように、たったいまそこからひとりの女性が降りてきた。初めて見る顔だ。眼鏡を掛け、すこしふくよかな体型をしている。


 そして――、


「揃ったようだね」


 カーテンの奥から、また別の人物が現れて言った。

 クィントにも見覚えがある顔だったが、今度はきちんと服を着ている。しかし、およそ海賊船の中には不釣合いと思われる、濃いブルーをしたドレスに身を包んでの登場だった。


 身体の線が実によく出るデザインをしており、片側には太ももがあらわになるほどの大きなスリットが入っている。彼女の悩ましげなプロポーションとも相まって、なまじ服を着ていないよりも、いやらしいのではないかとクィントは思った。

 クィントが唖然としていると、船長席のかたわらに立つシェフが口を開いた。


「少年、あらためて紹介しよう。この船の船長、キャプテン・ヴィクトリアだ」


 天蓋の下に座すヴィクトリアは、脚を組み、頬杖をついた姿勢でクィントを見ていた。髪と同色のその瞳は、まるで炎を固めて作ったルビーのようであり、神秘的な光を放っている。


 出会い方こそ最悪の印象だったが、あらためて正対してみた彼女の迫力は、シェフの放つそれに劣るものではなかった。むしろ飄々としたイメージのあるシェフよりも、逆らえばなにをしでかすか予想の出来ない彼女のほうがずっと恐ろしい。

 クィントは感覚的に学んでいた。

 目の前にいる人物が、まぎれもなくこの船の主であることを。


「坊や。めんどくさいから、なるべく簡潔に経緯いきさつを話しな」


「あ、はい……っと、どこから話せば」


「遅いっ!」


「ええっ?」


「ノロマは嫌いなんだよ。あと嘘つきもな。とっとと話さないと海に放り込むから」


 どうしよう。すべてを話せばミレニアのことにまで言及せねばならない。しかし、それでは自分の身も危うい。


 ルカの話を考えれば、海賊とユニオンの間に友好的な関係が築かれているはずもなく、下手をすれば内通者としてこのまま見せしめのために処刑もあり得る。


 かといって『赤鬼』のせいで遭難するハメになったのだから、クィントにしてみれば被害の申し立てをすればいいだけなのだが、それではあの暗号の言い訳が……。


 そんなことをクィントが考えていると、あの頼りになるシェフが再び口を開く。


「まあ船長、そんなに焦らずに。彼はまだなにも話していないじゃないですか」


 クィントは内心、ものすごく安堵した。これですこしは考える余裕が生まれると。


「なんだい、フランツ。妙にこの坊やの肩を持つじゃないか。なんか企んでンだろ?」


「とんでもない。おれが船長を困らせるようなことをするとお思いですか?」


 目線の高さを合わせるシェフに対し、ヴィクトリアはすこし顔を赤らめるようして、


「知らないっ」


 と、まるで少女の駄々っ子のようにそっぽを向いた。

 そんなやり取りが気になってクィントがほうけていると、シェフは鋭いながらも穏やかな隻眼を彼に向けてきた。


「少年。聞かれたことにだけ答えろ。まずきみはなぜマシューを殴った? いや違うな。どうして彼を『赤鬼』のパイロットだと分かったうえで殴った?」


 シェフの質問を受けて、それならばとクィントが即答する。


「あの赤いのが党軍のマリナーと戦ってる時、巻き込まれたんだよ。おかげでこっちのマリナーは船ごとパァだし。そのあと流れの速い潮に捕まって、そのまま海溝に吸い込まれたんだ」


「マシュー、それは事実か?」


 シェフの視線は、壁際のソファーのうえで横柄に身体を投げ出している人物に向けられる。あの男だ。腰にはククリを携え、やはり肩にはハトがとまっていた。マシューは「へっ」と一度、鼻で笑うと、クィントのほうをろくすっぽ見ずに悪態をついた。


「あのポンコツかぁ? そういやどっかで見たことあるぜ、と思ってたんだが、あン時の野郎かよ。はっ! よけられねえ方が悪いのさ、助かったンならそれでいいだろ? それともユニオン野郎と一緒に、あの世に送ってほしかったか?」


 下品な笑い声を上げるマシュー。

 小刻みに震えるクィントの拳を、ルカがそっと握り締めてくれた。一度は下げた溜飲だったが、やはり奴とは徹底的にそりが合わない。再びおろかしい負の連鎖を演じてしまいそうだった自分を、ルカがとめてくれたことには純粋に感謝した。


「なるほど、非はどうやら我々のほうにあったようだな。すまなかった、謝ってすむような話じゃないが、詫びさせてもらう。そのうえで、きみが償いを必要とするのであれば、出来ることはさせてもらう。だが、あいにく我々も忙しくてね。満足には応えられないかもしれない」


「あ、そんな……。もう、いいです。……生きてるし」


「そうか」


 クィントの答えに満足したのか、シェフは気持ちのいい笑顔を見せて、彼の肩に手を置いた。とてつもなく存在感のある手だった。それでいてすごく優しい。

 父を知らないクィントが、親方以外にはじめて感じる感覚だった。

 それを憧れと呼ぶには、まだ早計すぎるのかもしれないが。


「ではもうひとつの質問だが……」


 まずい――あの質問がくる!


 クィントは咄嗟に身構えた。もし次の質問で、ミレニアが救難信号で使った暗号に関して聞かれたら、彼にはどうやってもうまい返しが出来ない。打った内容はクィントも覚えているが、実際にどういう風に暗号化するのかまでは聞いてはいない。知る必要もなかったし、聞いてもどうせすぐに忘れるだろうから。


 だが、海賊達には興味のある話だろう。

 どんな短文であろうとも、暗号解読のキーが分かれば、戦闘時におけるユニオン艦のやり取りが筒抜けになる。そうなれば、相手の作戦の裏をつくことなど造作もない。どんな大艦隊で押し寄せようとも、たった一隻の海賊船を狩ることすら出来なくなる。


 彼らにとってみれば、そんな党軍のトップシークレットを、なぜこんな人畜無害な海人の少年が知っているのか、気にならない訳がない。

 絶体絶命のピンチのなか、クィントは心の底から『ワダツミ』に祈った。


 その祈りが通じたのか。シェフが聞いてきたのは、それとは違う性質の事柄だった。クィントにとっては意外性に富んでおり、どちらかといえば見当外れの部類にあたる。


「きみは海人の宝について、なにか知っているか。知っているのなら教えてほしい」


 クィントの頭のなかが一瞬、真っ白になる。

 まさか、そこかと。


 シェフが「海人の宝」と語るのは、おそらく『目覚めの宝』のことだろう。

 彼らは海の無法者達、海賊である。その本分は、商船の積荷やコミュニティを襲うことにあるのだが、稀に「宝探し」と称して、海底に沈んだ旧時代の金融機関や美術館の所蔵品をサルベージする一派が存在する。


 彼らの多くは伝説と冒険をこよなく愛し、また夢想家であることも広く知られ、そんな彼らが海人の伝承に、人生を懸けているというのもよく聞く話である。だが、まさかこの船がそうだったとは。


 たしかにシェフをはじめとする、数多のならず者達には、その雰囲気を感じることは出来る。だが、船長を筆頭に「男の浪漫」を理解してはいなさそうな女性陣がいることと、マシューのような品のないただの悪党でしかない人物が乗り込んでいることに、クィントは若干の違和感を抱いていた。

 党軍との戦闘もそうだが、「宝探し」が目的ならば無用な争いは避けるべきだと思った。


 そんな風に感じてしまうのは「宝を探す者」に対するクィントの幻想が、ただ純粋すぎるだけなのかもしれないが。


「知りません」


 嘘は言ってない。だが、もし仮になにかを知っていて、また同じ質問をされた場合、クィントは「知っています」と答えただろうかと自問する。『目覚めの宝』は彼の夢だ。そいつが太陽に向かって咆哮をあげる時、偉業を成し遂げるのは自分でありたいと思う。


 そんな強烈な思い込みが、ひょっとすると、ひとを出し抜こうとする原因にすらなるのかもしれない。そんなことを思い、クィントはすこし落ち込んだ。


「そうか。この辺に住んでいる海人ならば、もしやとも思ったんだが。いいだろう。きみの言うことを、おれは全面的に信用する。と言う訳で船長、尋問はもうこの辺でいいでしょう。この船のシェフ兼航海士として進言します。すみやかにこの位置から移動すべきです。党軍とかち合ってしまった以上、哨戒にも注意せねばなりませんし」


「そうね。いつぞやみたいに大艦隊で待ち伏せされても困るしね。よし、野郎ども! 本船はこれより隠密潜航態勢をとりつつ、敵の出方を見ながらお宝の行方を追う。各自持ち場に戻れ、遅れんな! 以上!」


 うなりのような掛け声を上げて、ならず者達が散ってゆく。そのなかに混じって、マシューもホァンも消えていった。

 第二艦橋に残されたのはクィントとルカ、それからシェフ。ヴィクトリアはまた自室へ戻ろうしていたが、まだ幾人かはその場にいた。


「ちょっと待ってくれよ!」


 クィントはヴィクトリアを呼び止める。


「なんだい?」


「隠密潜航っていつまでのこと? おれはいつまでここにいればいいんだ?」


「アレ? クィント、ここにいたくないの?」


 ルカが茶々を入れる。


「や、そういうことを言ってるんでなくて」


「じゃあどういうことよ」


「助けてもらったことには感謝しているけど、海賊でもないのに、いつまでもこの船に乗ってる訳にはいかないよ。どこか近くのコミュニティにでも降ろしてもらえば、あとは自分でなんとかするから」


「そっかー。じゃあ海賊になれば、ずっとこの船に乗っていられるのね」


「え?」


「ねえヴィクトリア。クィントのこと、正式にこの船に乗せてもいーい?」


「ああン? 男手は間に合ってるよ。このうえ、なにさせようってのさ?」


「なんでも出来るわよ。ねえクィント?」


「え? え?」


「あ、そーだ。シェフ、まえから助手がほしいって言ってたよね? この子でどう?」


「うーん? そうだなぁ」


「なんだい。あんた達、結託してンのかい? しょうがないね、世話はアンタがするんだよ。食い扶持は自分で稼がせな」


「やったぁ!」


「え? え? え?」


 クィントが自らの身の振り方を、己の預かるところ以外でなされる一部始終を見てしまったあと、ヴィクトリアがカーテンの向こうにある自室へと戻り、そのドレスの背中を困惑のまま見送ることしか出来なかった頃だ。

 海賊船ブルーポラリス号は、船首を下げ、一路海中へとその巨大な船影を没してゆく。


 第二艦橋の天井付近にあった覗き窓の内側には、遮光シャッターが下ろされ、隠密潜航時における灯火管制がしかれていることをクィントに教えた。

 微速潜航。

 舵を任されている女性は、操舵輪に設置された計器類を頼りに、潜舵と方向舵を刻んでゆく。ルカは彼女のことをジュリアと呼んだ。長いストレートの髪と、船長とはまた違ったタイプの見事なプロポーションの持ち主だった。タイトミニにヒールブーツという刺激的な恰好で舵を握る彼女は無表情で、それがまた妙にしっくりとくるのだった。

 左目の泣きボクロが、クィントには印象的だ。


「な~に見とれてんの? やーらし」


「ちがっ! じゃなくて、なんだよさっきの! なんかこう……予定と違うというか」


「なによソレ」


 うまく想いを表現出来ないクィントが、身振り手振りを使ってそれでもなんとか伝えようと苦心していると、


「はい、どうぞ」


 と、横から湯のみに入った熱いお茶が差し出された。

 番茶である。

 ユラユラと湯気をたたえ、実にうまそうである。


「あ、どうも」


「いいえ~」


 盆を手にして微笑むその女性は、ほかの三人と比べるとややふっくらしており、とてものんびりとした雰囲気をかもしていた。下ぶちの眼鏡を掛け、ミレニアともまた違う白い肌質はホァンと同じくモンゴロイドのそれである。

 彼女はサクラと名乗り、ブルーポラリス号の水測士であることをクィントに告げた。


「あなたも海賊……なんですか?」


 船長ほどではないにせよ、そのギャップにしばし苦しむ。クィントにはどうしてもサクラのようなおしとやかな女性が、自ら望んで海賊をやっているようには思えなかったのである。


「よく言われますぅ」


 と、まるで「誰かに似てますね」と言われた時のような、ごく自然な反応が返ってきた。彼女にとっては日常茶飯なのかもしれないが、クィントはまだ狐につままれたような気分である。


 船は進む。それぞれの想いを乗せて。

 まだ見ぬ宝を追い求め、彼らの行き着く果ては、栄光か、それとも挫折か。

 クィントは己の運命に翻弄されるまま海賊船ブルーポラリス号へと乗り込んだ。これは果たして『ワダツミ』の導きであるのだろうか。あるがままを受け入れる海人としては、しばらくここでがんばってみるのもいいだろう。


 そんなことを思いながら、クィントは緊張で乾いた身体に熱い番茶を流し込んだ。



〈つづく〉

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