第17話 ルカ

【前回のあらすじ】

 目隠し状態で案内されたブルーポラリス号の艦内。クィントは不安な気持ちのまま、船長のヴィクトリアと対面した。





 あまりにも衝撃的すぎた船長との面会を終え、クィントは一度、ルカに預けられた。

 第二艦橋でシェフと別れたふたりは、クィントに着せるための服を探しに、船内倉庫へと向かう。


 目隠しを外してから歩く船内の風景は、クィントの予想を大きく裏切るものではなかった。やはり船体中央を走る通路を挟んで両舷に個室を配した構造で、等間隔に隔壁が設けられていた。隔壁のドアは常時開放されているので往来は自由だが、分厚く堅牢さを極めており、ひとたび閉めれば破壊は困難だろうと思われた。また長い通路の途中には、何箇所か下層甲板へと降りる階段があり、その昇降口にも同様の水密ハッチがついていた。


 倉庫へと辿り着くまでにいくつかの隔壁を越えたが、いずれの通路にも物があふれていた。ゴミはもちろんのこと、不要になった日用品や木箱に入った食材や酒。果ては魚雷なんかも転がっているので、クィントは内心気が気ではない。

 ルカいわく「慣れれば平気」ということだが……。


「よかった、やっぱりピッタリだわ。父さんが若い頃に着てたヤツだけど、いいよね?」


 クィントは、ルカが引っ張り出してきたデニムのパンツとシャツに袖を通した。普段、海パン一丁で生活している彼にとって、煩わしいことこのうえないが、ほかならぬ船長命令であるため仕方がない。いわく「裸で船内をうろつくな」だそうな。


「はい、じゃあこれ上着ね。ほかにいるものがあったらその辺あさって。なんか出てくると思うから」


「うん……ありがとう」


「なーんか、うれしそうじゃないなー。気に入らなかった?」


「や、そうじゃないよ! ただ服を着るなんて何年か振りだからさ」


「ぶ! あんた一体どういう生活してきたのよ!?」


「どうって言われても、だから海人だって」


 するとルカは、眉間にしわを寄せて小首を傾げる。


「あたし、その海人ってのがいまいちよく分かんないンだけど。それってー、海のうえで生きてるひとってことでしょ?」


「まあ簡単に言うとね」


「じゃあ、あたしらと同じじゃん! ねえ、あたしって海人?」


「や、海人ってのは『ワダツミ』の声に耳を傾けて生きている人間のことをだね……」


「だって、だって! あたし、この船の中で生まれたんだよ? 生まれてから十六年間、ずっとこの海で暮らしてきたンだから! その辺のチンピラ海賊団なんかよりも、よっぽど年季入ってンですからねっ」


「十六歳……」


 ミレニアと同じだ、とクィントは思った。

 ただルカという少女を知れば知るほど、あまりにミレニアと違いすぎて驚いてしまう。だが、本来あるべき年頃の女の子とは、きっとルカみたいな感じなのだろう。


 ミレニアが張り詰めすぎているのだ。

 生まれながらにして背負ってしまったものが違うという考え方も出来るのだが、それに対する不満すら口にしない彼女の実直さを思うとすこし胸が痛い。ルカのすべてが、彼にとってミレニアを強烈に意識させる起爆剤となる。


「なに? なんか文句でもあンの?」


「ううん。ないよ、おれの一コ上だなと思って」


「そうなんだ。じゃあ、あたしのほうがお姉さんだね」


「でも、海人は十五で成人なんだ。おれのが大人だね」


「なによソレ」


 ルカが笑った。丸い頬を真っ赤にして。

 海のうえでは分からなかったが、彼女の明るい髪色は照明を跳ね返して柔らかく光る。サラサラとしたショートカットは、奔放な彼女によく似合っていた。


「でもいいの? こんな立派な服貸してもらっちゃって。親父さんにもお礼しないと」


 なにげなくクィントがそう言うと、ルカが突然、雰囲気を変えた。顔からは笑みが消え、目はうつろに床をながめている。その異変にただならぬ空気を感じたクィントが、声を掛けるのを躊躇していると、彼女は「いいの」と小さくつぶやいた。


「あたし、親いないから」


「え……」


「二年前にね、ユニオンに殺されたの。父さんも、母さんも」


「そ、そうだったんだ……ごめん」


「ううん。いいの、すぐに分かることだし。あたしの両親ふたりともマリナー乗りだったんだ。すごく強くて、かっこよかったの。でもね……あの日、党軍の艦隊に待ち伏せされてて、父さんも母さんもブルーポラリス号を逃がすために戦ったけど……」


 彼女は怒りに震える手を握り締めて、背後にある壁を思いきり殴りつけた。

 たたきつけた拳のほうが壊れやしないかと心配になったが、とてもクィントが声を掛けられるような空気ではない。


「あたし、ユニオンを見つけたら絶対に許さないんだ……。ひとり残らず殺してやる……誰が生きて返すもんか……」


 彼女の目が嘘ではないことを語っている。

 小柄な身体を戦慄かせて、いまにも破裂せんばかりに猛っていた。彼女の小さな手は、きっとクィントには想像もつかないほど多くのユニオン兵の血で染まっているのだろう。


 恐怖はなかった。ただどうしようもない悲しみだけが、クィントを襲う。ここにもうひとりの自分がいると。


 最愛の母を党軍に奪われた時、クィントの心はやはり憎しみに支配された。しかし、同じ海人であった親方に拾われ、憎悪を糧に生きていくことの悲壮さを教えられたのだ。


「海人ってのは、海と戦い、海に生きる。ほかのことにかまけてると『ワダツミ』に嫌われるぞ」


 それが親方の口癖だった。人間同士の争いなんて、海の前ではなんの価値もない。

 やられたからやり返して、そして、またやり返される。そんなくだらない繰り返しが延々と続いて、どこかで誰かがやめなければ、その連鎖は終わらない。「クィント、おまえにひとが殺せるか?」クィントはしばらく考えて、そして、首を横に振った。


「がっはっは! それでいい! そんなことよりもおれと宝を探そうぜ!」


 あの時の豪快な笑い声はいまでも忘れない――。


「あ。ご、ごめん! こんな話するつもりじゃなかったんだけど……」


 我に返ったルカが、もとのかわいらしい少女に戻って慌てていた。本当に衝動的なものだったらしく、その顔には尋常ではない焦りが見て取れた。


「いいよ、気持ち分かるから。ほら、さっきおれも格納庫でヤっちゃったじゃん。あれも似たようなモンだから」


 と、ようやく声を掛けることが出来たのだが、その矢先に、またルカが微妙な態度を見せる。


「それなんだけさ。さっきの話でヤバくなったブルーポラリス号が、戦場から逃げ切れたのってアイツのおかげなんだよね。色々とムカつく奴だけどさ、一応感謝もしてるんだ。なにがあったか知らないけど、大目に見てやってくンないかな?」


「アイツのおかげ?」


「うん。元々、ウチの船に乗りたがってたんだけど、船長が嫌がってさ。でもあの時の海戦に偶然居合わせて、たった一機で艦隊のマリナー全滅させちゃったんだよね。その腕を買われて正式なクルーになったんだけど、あの性格じゃん? 色々とトラブルが多くて」


 フゥ、とため息交じりにルカが言う。マシューという輩は彼女よりも随分年上のはずだが、まるで弟の心配でもするみたいに話すなと、クィントは思った。元々、憎しみを長く持続出来る性質ではない。口ではああ言ってみせたが、もはや再び、彼とことを構えようという気はさらさらなかった。

 最初の一撃をたたきつけたことで、ミレニアに一矢報いることが出来たと溜飲を下げている。


 そんなことを考えていたクィントを心配したのか、ルカが上目遣いに彼の顔を見上げてくる。ミレニアともまた違った彼女の魅力に一瞬ドキリとしたが、クィントは「分かった」とだけ逃げるように答えた。



〈つづく〉

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