【1-8d】幻影 俺のエゴ
ただひたすら逃げた。誰のいないところへ。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
『どうして、逃げるのですか?』
頭に声が響く。甘ったるい声が脳にまとわりつくようで気持ち悪い。
『逃げて、生き延びて、どうするんですか? だって見て?』
川があった。そしてその水面に自分の顔が映る。獣のような怪物の顔が。
『あなたはこんなに醜い』
「違うぅぅぅうう!!」
川に入って、水面を斬り払う。しかし、水面が映し出すのは化け物の自分。
『分からないのですか? それとも分からないフリですか? それがあなた、照木迅の正体です』
「違う……!! 俺は……、こんなに醜くなんか……!」
『本当にそうですか? 無差別に人を襲うもう一つの人格、制御の効かないあなたに彼女は振り向きますか? 誰も傷つけない、そんなことが約束できますか?」
「それは……!」
『知っているでしょう? 身勝手な意志が人を傷つけることを。あなたは今まさに、あなたを醜くした人間と同じ道を辿ろうとしている。それがあなたの望みなのですか? あなたの望みで、誰か幸せになるのですか? それがエゴではなく、なんだと言うのですか?』
「何他人事みたいに言ってるんだよ……! 俺をこんな風にしたのは、お前じゃないか!!」
その声は沈黙した。しばらくしてまた、響いてくる。
「そう。愚かなことでした。幸せになれないあなたを生み出してしまった。自分の気の向くままに、あなたを傷つけた。取り返しがつかないことを。しかし、私は生まれ変わりました」
自分を囲む深い森が、自分ごと光に包まれた。
目を開けるとそこは、王都のような町並み。曇りのない空が照らす、平和な世界。
『素敵でしょう? 全部私が作ったの』
振り返ると、あの女がいた。自分を痛めつけて、どうにもならない病を押し付けたはずの女が、優しい顔で自分に微笑みかけている。
『この世界はあなたを歓迎します。水も、食べ物も、あなたを愛する人も、全て与えましょう』
「俺を……、愛する……。俺……でも……?」
『そうです。あなたもこの世界を守る宿命に従う。それであなたは何者にも傷つけられません』
女の後ろには沢山の自分と同い年くらいの男女がいる。
そして、自分の目の前に地面に突き刺さった剣が一つ。
『剣を抜きなさい。この世界のために戦うことを誓いなさい。私が、あなたの仲間が待っていますよ』
自分がこの世界で生きていいと。自分にも仲間がいると。人を傷つけてきた自分でも歓迎すると、この人は言ってくれた。
人を傷つけるだけの爪。これを捨てられるなら。
目の前の剣に手を伸ばした。
「ぐあぁぁああ!!」
女の後ろに控えていた一人が倒れた。女の顔は訝しげに歪み、自分の後ろを見た。自分も振り返るとそこにいたのは、
茶色に染めた髪をボブに切りそろえた少女。
『ジャンヌ。いえ、今は伊吹ひかるさん、かしら?』
「先輩……!?」
「……」
七支刀のような剣を握ったひかるが真っ直ぐな眼差しで女を見据える。
跪く自分に構わず通り過ぎて、目の前に刺さった剣に斬り払うと、剣は綺麗に両断された。
そして、女に向って歩を進める。
「駄目だ、先輩! 俺は……、醜い怪物なんだ!! 俺のために戦うことなんて、傷つくことなんてないんだ……!!」
そう言う自分を一瞥するように見やり、また女に向き直る。
「なるほど。照木くんをいじめていたんですね? いい大人がカッコ悪くないですか?」
『……』
女は微笑みを保ちながら、そう言うひかるを見る。
「ねぇ、照木くん。私、バカだったよ。求められたら簡単に受け入れちゃってさ。お姫様気分だったかもしんない」
シャウトゥを睨んだままそう自分に語りかけてくる。
「でも、思い出したんだ。私を助けてくれたカッコいい人を。運命の人は今でも探してる。でも、選ばれたから運命なんかじゃない。私が運命の人に出会ってみせる……!」
そう言うと、ひかるはシャウトゥや後ろの男女に向かって駆けていく。一人一人を斬り裂いていく。
自分はただ見ているだけ。
「違う……。俺は……」
しかし、人が多すぎる。包囲されていき、一人に斬りかかっても横から一人の蹴りが腹部に入る。
「カハッ……!」
『邪魔になるとはいえ、慈悲であなたを守ってきたのですが、止むを得ませんね。もう、終わりにしましょう。あなたに、死という永遠の封印を』
そこからいなくなった女の声が、そう言うと一人が倒れるひかるに向けて剣を振り上げる。
しかし、振り下ろされることはなかった。
自分が、右手の刃で斬り払ったから。
「照木くん……?」
「先輩、すみません。今まで負い目があったんだ。俺は皆とも先輩とも違うから。先輩すら傷つけるかもしれないから」
剣を抜いた少年少女たちが蔑む目で自分を睨む。
「でも決めた。この手でも守れるものは絶対守る!!」
雄叫びを上げながら、集団に斬りかかった。一人一人と斬り裂いていく。ひかるを攻撃してきた者たちを。
「醜いままで、誰かを傷つけるだけで終わらせない……! たとえ俺だけのエゴだとしても!!」
『勝手に信じて見捨てられても、感謝されなくても、同じことが言えますか? 仲間のために身を削る。その覚悟があなたにありますか?』
女の声がそう囁いても、振るう刃に迷いはない。
そんな自分の体に翠の焔が纏う。
「誰かの為じゃない……! 俺のために、変わる覚悟なんだ!!」
纏う翠の焔は獣のような体を焼き払い、人の姿へと変えていく。
紛れもない、霊晶剣ストームブリンガーを握る照木迅に。
植物に侵食された迅から翠の焔が立ち上がり、焼き払う。
焔が収まると、ストームブリンガーを握る照木迅が立ち上がる。
「迅……。あなたは本当に……」
迅をシャウトゥは恨めしそうな目を向ける。
「ジン……!」
「迅!」
仲間が迅の復活に涙を浮かべている。迅は、倒れる甲冑たちの側に駆け寄り、ストームブリンガーを二本の剣に突き立てて吸収した。
剣を左腕に戻し、
「我に従え……!
緑の光から日本刀のような剣を抜いた。電気を纏った刀身でシャウトゥに斬りかかる。
シャウトゥはミスティルテインで斬撃を受け止め、弾き返して、すり抜けざまに迅の二の腕を斬り裂く。
「ぐあっ!!」
「照木くん!」
ひかるが身を案ずる。しかし、迅はひかるに微笑みかけて天叢雲剣を左腕にしまい、今度は青色の光から剣を引き抜いた。
「我に従え……! リディル!!」
二体目の甲冑が使っていたレイピア状の剣。掲げると、傷ついた左腕に青い光が現れ、切り裂かれたブレザーの傷もろとも傷を治した。
そして、シャウトゥに向かって剣を構えると、シャウトゥは俯いた。長い前髪でその表情は覗いしれない。
しかし、顔を上げるとただ優しく微笑んでいた。
「そう……。あなた達はもう巣立ってしまったのですね。……。いいでしょう。この秩序が憎いなら、受けて立ちましょう」
シャウトゥは白い光に包まれると、体が葉っぱに変化して散っていった。
命を脅かす敵はいなくなったらしい。鉄幹やイリーナ、クロエはその場に座り込んだ。
「な、なんとか生き残れたのか……?」
「そうね……。何日か戦い続けた気分……」
「う〜……、疲れた……」
しかし、迅は座りこまずに床に倒れ込んだソードハンターに歩み寄り、剣を掲げた。ソードハンターが青い光に包まれ、傷が塞がっていった。息を吹き返し、体を起こす。
「へぇ。オイラに恩を売る気かぃ?」
「一つ貸しってことで」
迅が微笑んでそう言うと、ヘッと笑い捨てるソードハンター。
迅は続いて、倒れた甲冑にもリディルの魔法をかける。その背後から魔王が歩み寄る。
「魔族にまで気をかけるか……。また襲いかかるかもしれんぞ?」
「いつでも受けて立ちます。でも、それ以上にやっぱり帰りたいから、共闘の件受けます」
魔王は嘲笑して、座り込んでいる鉄幹を見やる。鉄幹はにらみ返すが、そっぽを向いて、
「私情はなしだ。裏切ったらブッ殺す」
また、嘲笑するとリディルによって修復された甲冑たちを伴って大広間を去った。
「さて、皆いいかな?」
オルフェがその場を仕切り、皆そっちへ顔を向ける。
「これで、学院長を始めとして我々は学院と敵対することになった」
「あっ、そっか……。忘れてた……」
イリーナがうなだれ、クロエに頭をポンポンされる。オルフェはそれにクスッと笑い、
「元の世界への帰還には近づいた。でも、その障害は侮れない。アーサーくんたちとも戦うことになるだろう。彼の実力は私以上、もしかしたら学院長すらも超えるだろう。その覚悟を持って明日から戦いに臨むように。今日はこれで解散にしよう」
オルフェやソードハンターに続いて、重い腰を上げたイリーナとクロエが続けて大広間を後にする。
鉄幹も出ようとしたが、思い出したように踵を返して、迅に握手を求めた。迅は何も言わず、すぐに握手を返すと背中を叩かれ、部屋から去った。
残るひかるも出ようとしたが、
「先輩」
迅が呼び止めた。ええっと、と何かを躊躇したが、申し訳なさそうに、
「その……、『運命の人』っていうのは……」
ひかるはクスッと笑いかける。
「それ聞くの?」
「あ、いや……。答えたくないなら、別に……」
「まったく……、ハッキリしないなぁ……。そういうところじゃない?」
「そういうところ……。はぁ、まぁ……」
うなだれる迅に、ひかるは悪戯っぽく微笑んで、
「悔しかったら、私のこと振り向かせてみなっ!」
ひかるはニヒヒと笑い、迅の鼻先を指で突いて、大広間から立ち去った。大広間で一人佇む迅は赤面するが、首を横に振って、扉に向けて歩き出す。
「ありがとう。俺はまた歩ける気がする」
See you in the next chapter ……
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