【1-1c】集落へ

 真っ白い空間に立っていた。


 空も地面も分からない。景色もない。はるか先まで全て白だった。


 後ろを振り返ると、人影があった。


 下にうずくまる小さい子供の影。それに向かって棒のような何かを持って何度も振り下ろす大人の影。


 その人影の方へ向かうこともできず、足が固まって逃げることもできず、ただ黙ってそれを見つめるしかなかった。













 コンコンコンコンコンコン……。


 耳に音がつんざいて、迅は目を覚ました。ベッドから転がり落ちて、床を這いながらノックが止まらないドアへ向かう。


 ドアを開けると、オルフェがニッコリと床に這う迅を見つめていた。いや、糸目で見ているかも分からないが。


「やぁ、おはよう。君も朝に弱い口かい?」


「おはよう……、ございます……」


 オルフェは部屋に入ると、椅子を拝借して座り、迅にも円卓の向かい側に座るよう勧めた。迅が座るとオルフェが話を切り出す。


「メイドさんがいくら呼んでも起きないというんでね。様子を見に来たけど、一応眠れたんだね」


 頭が働かず「まぁ」とだけ返事をする。


「さて、眠い所悪いけど、君の処遇について話さなければならない。聞いたとおり、霊晶剣に選ばれなかった君は、学院に入ることはできない。ここはセフィロトの麓に建てられた『王都ダート』だが、国の制度で1年は君でも生活を保障されるが……」


 段々と頭に血が通って話が飲み込めるようになってきた。どうやら1年はホームレスルートは回避できるらしい。オルフェが言いかけているので言葉を待つと、


「実は私が定期的に授業を開いているトリックスターたちの集落があってね。たしか部屋にあまりがあったから、そこに住んでみるのはどうだろう?! 集落の責任者にテレパシーを飛ばしたから、すぐに受け入れてくれると思うよ」


 安堵で息を吐いた。『テレパシーを飛ばす』とやらが意味不明だが、迅は受け入れて、オルフェとともに朝食の後にここを発つことを話し合いで決めた。


「それと、その服は目立つから後でメイドさんに……」


「すみません……!」


オルフェの提案を遮り、自分の服装を見る。高校の制服は目立つというが、昨日の赤い燕尾服と大差ないと思いながら、


「服はこれでいいです……。先輩が見つけやすいかもしれないし……」


 オルフェは否定することなく、迅の要望を尊重した。


「君の先輩、見つかるといいね」


「はい、ありがとうございます」













 扉が開かれた。


 床を大理石で敷き詰めた豪奢な大広間。所々大破してガラスの破片を散らばせたシャンデリアが床に伏し、辛うじて天井に吊り下がっているものはクモの巣が貼って一点も明かりがない。


 大広間を照らすのは壁に取り付けられたキャンドルのみ。


 鈍い金属音を伴って赤いカーペットの上を歩く。


 やがて、銀の甲冑を身にまとったそれが赤いカーペットに跪く。


「失礼します。我が魔王よ」


 その御前には座り心地のよいビロードの椅子に腰掛けた『魔王』がいる。


 黒いローブを身に纏い、フードを深々と被りその素顔は伺い知れない。


「『魔王』……。慣れないな、そのあだ名は」


「いえ、あなたこそがこの世界を新たに制す者。これ以上にふさわしい名などございません」


「……。用件は?」


「ハッ……!! 偵察班より、先代魔王の剣を発見したと報告がありました」


「……。随分なつかしいものを……」


「現在発掘隊を編成し、回収へ向かわせております」


「場所はどこだ?」


「は?」


 魔王は椅子から立ち上がる。すると、背中に畳まれていた黒い鱗と皮膜を張った翼が展開される。


「俺も向かおう。座りっぱなしは退屈だ」


「それには及びません。発掘隊には精鋭の……」


「つい先日、新たなトリックスターが招かれた」


甲冑の言葉を意に介さず、カーペットの上を真っ直ぐ歩く。


「!!! それは……、セフィロトも無駄に足掻き続けるものですな……。死滅ももはや時間の問題でしょう……」


「……。火種のような命運を負った人間だったな」


「火種?! さぞかし矮小な命なのでしょうな……」


 魔王は立ち止まるとしばらく沈黙し、やがて言葉を発する。


「だが、葉をくべれば大火となる。いずれ灯火となるか、業火となるか、この目で見極めたい」


 甲冑の側を魔王が通り過ぎる。甲冑は立ち上がり、魔王に振り返る。


「貴方様の手を煩わせることはないのでは……?! その火種とやらになぜそこまで……」


フードの影に隠れた顔の右半分に手を添え、左目の瞳が紅く鋭く閃いた。


「……。いい加減ウンザリしているんだ……。この傷の疼きが……!!」













 吐きそうだ……。


 この世界では2本の角が生えたバイコーンという黒馬が移動手段として流通しているらしい。そのバイコーンが引く馬車には、地球で使われているようなゴム製のチューブを車輪に巻きつけており、小石を踏んでも激しく揺れることはない。


 それでも、乗り物に弱ければ酔う者は酔う。迅は腹の中のモノが逆流しそうな口を押さえながら、向かい側に座るオルフェに尋ねる。


「……。すみません……、酔い止めの薬は……」


「生憎ないんだよね……。毒とかで気分が悪くなったらドロップっていう飴を食べればだいたい治るんだけどね……。とりあえず、食べてみるかい……?」


 オルフェが懐から出した巾着から桃色の飴を一粒取り出して、迅は口に含ませた。ハチミツのようにねっとりした甘みが口に広がる。


「すまないが耐えてもらうしかないね。馬車を使わないと日が暮れてしまう」


 迅が今まで寝泊まりしていた学園の教職員用の宿舎を発つ前、地図を見せてもらったが、オルフェが言う集落は王都から南下したところにある湖畔にあるらしい。馬車で2時間を要するという。


 迅は気を紛らわせるため、オルフェの後ろのガラス窓から見える景色を眺める。


 レンガや石で作られた建築物が集合し、その中央に一番目を引く天高くそびえる塔のように見える大樹。それは雲さえ突き抜けており、おそらく東京スカイツリーを越える大きさだろう。その麓に作られた街が『王都ダート』。


「……。あそこに、先輩はいたんでしょうか……?」


「君は本当にその先輩のことが好きなんだね」


 消化物が若干込み上げた。


「恥ずかしがることないさ。恋は君の人生が充実している証拠だ。かく言う私にも恋人がいるからね」


「オルフェ……さんに……?」


「多分3年くらい前かな。この世界に来て、向こうの世界に一人置いてきぼりだ」


「そうなんですね……」


 それでもオルフェは笑みを崩さなかった。いや、もともとこういう顔なのかもしれないが。


「だから、帰る手段も絶賛模索中だ。鍵は勿論セフィロトが握っている。王都で教鞭を執りながら研究はそれなりにしているんだがね……」


 オルフェが眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げる。複雑な事情があることをを迅は察する。


「それなりに……?」


「ダートの王家や学院は、あの樹を神聖視してるみたいでね、『神聖なるセフィロトにメスを入れるなどけしからん!』って具合さ。お陰で立ち入りは制限されるわ、研究費は入らないわでね……」


「それは……、大変ですね……」


「まぁ、今の王政が変われば、或いはチャンスがあるかもだけどね。おっと、私としたことが『もしも』にすがってしまったね」


 それから、居眠りしたり、元の世界のことを話したりして退屈な馬車の中を過ごし、御者が集落に着くことを教えてくれた。













 オルフェの腕時計によると12時。集落に到着したようだ。


 馬車から降りて迅がリバースを地面にぶちまけた後に、林を拓いた小道から入ると、木製の4,5メートルほどある柵で囲まれた村がそこにはあった。


 王都とは違い、建築物はほぼ丸太を積み上げた木造建築で、外を行き交う人は最低限の質素な服装の人ばかりだった。胸元には迅と同じ読心のブローチが付けられている。


 やはりブレザーは目立つらしく、奇異の視線が頻繁に迅に突き刺さった。


「先生!! おかえりなさい!! その人は新しい人かしら?」


 オルフェの元へ駆け寄ってきたのは、銀髪をポニーテールに結った迅より少し大人びた少女。外国人立ちした顔で、羽織ったジャケットの下はスポーツブラで若干盛り上がった胸と縦筋が入った腹部に迅は目がいってしまった。


「イリーナくん。ちょうど良かった。彼、君と同じ地球から来たみたいだよ」


「へぇ!! ねぇ、君!」


 イリーナと呼ばれた少女は好奇の目で迅に歩み寄ると、迅はつい目線を逸してしまう。そんな迅に構わず少女は、


「アタシは『イリーナ』。ロシアから来たの」


「じ、迅です……。出身は地球……、じゃなくて日本……」


「おお、日本!! サムライとスシだ!」


 よろしくと手を握られる。自分より少し冷たい温度と柔らかさに心臓が少し跳ね上がった。ぎこちなくヨロシクと返す。


「イリーナくん。しばらく村の案内とか頼めるかい?! 君の班の男性用のハウスまで連れて行ってくれるかい?」


「アタシでいいなら、いいですよ。ジン、案内するからついて来て」


 オルフェと別れ、迅はイリーナの言われるがままに後ろをついて行く。真っ直ぐな背筋が見えると心臓が少し暴れだした。


「ん?! イリーナ?! どこかで聞いたような……」


 迅はそう呟くと、錯乱した脳内から、地球の時の記憶を引っ張り出す。


 行方不明のテニス少女……。ロシア人……。名前は確か『イリーナ』とニュースキャスターが言っていた!


「イリーナって、行方不明の……!」


 イリーナが立ち止まって驚いて振り返る。


「え?! もしかしてニュースになってるの!?」


 頷くと、イリーナは頭を抱えて「あちゃぁ……」と言っている。


 世界中の行方不明事件と異世界転移が迅の頭の中で繋がり、迅がひかると取り込まれた時の事を話すと、イリーナも正にあの地面に現れたマーブル模様のなにかに取り込まれたらしい。


「でも、木の根っこってのはアタシ分からないわね……」


 あのときの光景を掘り起こすと、確かにひかるや自分に木の根が巻き付いていたが、イリーナにはなかったと差異があるらしい。その話でひかるのことを思い出した。


「伊吹ひかるっていう人ここにいないか?! 俺と同じ日本人の女の人なんだけど……」


「イブキ! ヒカル?! いえ、聞いたこともないわね。そもそもここには日本人はあなたしかいないし……」


「そうか……」


 ここに来ているオルフェでも知らないと言ったから、もともと望みは薄かったが、だからこそ内心不安になる。こんな見知らぬ場所で無事でいるのかと。


 改めて集落を見渡すと、目についたのは姿形だった。二足歩行の人型なのは共通だが、オルフェのようなエルフ耳だったり、老け顔なのにやたら背が小さかったり、尻から尻尾が生えている人もいる。


 そんな人たちが大きい袋を担いだり、屋根をハンマーで叩いたり、棚にこの世界の果実やら液体が入った小瓶やらを置いて商いしている。


「ここはだいたい自給自足だね。アタシの採取班でしょ?! あと建築班とか、漁業班、医療班、農耕班。って感じでグループ作って支え合ってるのよ。」


「なんか、ゲームの初めの村みたいだね」


「そうそう。そんな感じ。あ、ここが採取班のハウスね」


 そう言って着いたのは他の建物とだいたい同じ木造建築だが、塀の中に一階建ての家が2つある。


「ああ、なるほど。男性用のハウスね。男女分けてるのか」


「そっ。まぁ、流石に班は一緒でもね……」


「あー、何。その『採取班』に入るのは決定なんだ……」


「まぁ、ウチの班男手足らなかったしね。じゃあ早速仕事体験する?」


「え?! 今!?」


「モチロン、お昼ごはん終わったらやるわよ?」


「え、いや……。ココロの準備がその……」


「四の五の言うな、サムライボーイ!」


 何かの焼き魚に何かの草を添えた昼食を終えると、その日はハウスの中で果実を潰してジュースにする流れ作業や、採ってきた果実やキノコ類の有毒無毒の分別を日が沈む19時までやらされた。


 その後訪ねてきたオルフェから、迅が正式に採取班として集落に迎えられることが決まったと聞いた。


 21時。ハウスのフローリングに囲炉裏を囲むように布団を敷く。大人は酒盛りで別のハウスに出ており、迅と他には12歳ほどのエルフ耳の(肌は白い)少年のアルドと黒人の少年のディーンと名乗った少年たちのみが残っており、迅のプライベートについて恋人いるの?! だの何だのと質問攻めしてくるのに耐えられず、布団に潜ってやり過ごすことにした。

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