愛されない馬鹿

GROTECA

点と線

「頭が良い?勉強ができる?だから何だ、俺には角がある」


焦げ茶色に白い斑点模様の、少し硬そうな毛質の髪。

背が高く、首が長い良好なシルエット。

皮の厚い指先は、不思議とヒヅメのように黒い。

凛とした彼は、歴とした鹿人間。

「ねえ、俺の名前、漢字でどうやっけ」

「…君、このやり取り何百回目だか分かってる?」

ただし、このイケ鹿人間は、漢字がどうも駄目らしい。


馬鹿目点白(バカメ テンシロ)。

馬鹿目くんは、もの凄くラフな生き物だ。

立ち姿は天下一品、容姿端麗の彼はもちろん女子にモテまくりだが、この鹿男子、人間の女の子にはまるで興味がないらしい。

そのせいか、頼み事(ほとんどが漢字が読めないだの書けないだの……)は全て僕のところにしにくる。

僕と馬鹿目くんは、幼稚園の頃から今現在の大学に至るまでエスカレーター式に進学してきているので、腐れ縁も良いところなんだ。

長年の付き合いではあるものの、僕の手を借して彼にお礼を言われたことは一度もない。

はあ、それぐらい馬鹿目くんは毒舌で孤高の性格。

雄の鹿は単独で行動するものも多いらしいけれど、ここまでくると一匹狼、あちらが寄ってくるまでは絶対に近付けない。

俺様でも、漢字が駄目でも成り立つなんて、目立てない僕には羨ましいったら。

この前のレポートも、さっき配られた試験結果も、馬鹿目くんのはやっぱり誤字だらけなのに、先生からの手厚いコメントも凄いんだ。

……僕は何が面白くないんだろう。

一字一字一生懸命書いたはずなのに、殺風景な丸とバツ。

馬鹿目くんの魅力が、こうやって僕に突き刺さるのを、誰にも知られたくない。

そして、弱気になっている僕を、誰も見つけてくれたことがない。



「荒唐無稽って知ってる?」

「嫌味臭いね。いかにも漢字だらけみたいなそんな言葉、この俺が知ってるとでも?」

「ごめんごめん、君みたいな人のことをそう言ったりするのさ。僕もさっき知ったから、教えてあげたくなったんだ」

「ほー。なら、悪い意味じゃねえな」

「うん」

うん。

ごめん、と心の中で謝った。

バカメくんは面倒臭がって絶対に意味なんか聞いてこないし、自分で調べたりするようなタイプじゃないから、意地悪を、言った。

最悪。

こんな風に、本人が知ることのないマウントをとる僕は、最悪だ。

荒唐無稽。

全然君なんかじゃない、いや、君ならどんなネガティブな言葉も、明るく似合ってしまうことぐらい、分かっていた筈。


現実性のない見た目。

でたらめな性格。

根拠のない人付き合い。

根拠の、ない。

彼はどうして僕に付き合うのだろう?

僕みたいな弱っちい人間に、なぜわざわざ自分の弱みをしつこく見せるのだろう。

騙されている。

絶対に化かされている。

僕に、どんでん返しは絶対にあり得ないと思って、舐められているのかもしれない。

馬鹿目くんみたいに姿勢も良くないし。

角も生えてないし。

指先だって、あんなに黒くないし硬くない。

僕はいたって普通の人間だもの、そりゃあ歩幅も合わないってものだ。

馬鹿目くんがどんどん一人で歩いていってしまう。

後ろも振り返らず、真っ直ぐな背中で遠ざかっていく。

馬鹿目くんの靴。

夏なのに、モコモコのブーツ履いてるし。

どこまでもでたらめだ、そんなんだから漢字に弱いんだよ。

変わらなさすぎる、君は。

もう、歩くのやめよう……。

立ち止まって、俯いて、僕はこれからどうしたら良いのか。

「おい、」

突然また馬鹿目くんの声がして体が酷く跳ねたものの、そのまま強張って上手く返事ができない。

「おい、いるんだろ?ここに」

ますますどう返せば良いか分からない問いかけに、僕は恐る恐る馬鹿目くんを見上げることしかできない。

「お前、すぐ見えなくなるんだよ、俺が声かけねーと」

え?


「保護色人間?」

「さあ?知らねーよ。俺は仮にそう呼んでる」

馬鹿目くんによると、僕は度々周りと同化して、言わば透明人間のようになっているらしい。

視覚的にだけではなく、精神的にも周りの人間に同調しすぎる色があり、周りから個性のない影の薄い人間に見られがちだと言う。

「それってさ、俺と同じじゃん。俺の角とかと変わらない、人種のハンデってやつやん」

そう、なのか……?

「つか、自分のことなのに全然気付いてなかったん?お前、俺のことばっかり気にしすぎてるのか知んねーけど、髪に白い斑点でたりしてたよ。そういうのって、保護色人間あるあるっしょ、たぶん。よく一緒にいる奴に同化してくる的な……」

「ま、まじか」

慌てて髪を触ってみると、少し髪質が変わっている気がする。

そんな、そんなことって、全く自分のことなんて気にしていなかっただけに、体に表れていたなんて恥ずかしすぎる。

どうしよう、僕は本当に、これからどうすれば……。


「悪いことばかりじゃないと思うけど」

困惑してばかりの僕に、馬鹿目くんはいつになく静かに落ち着いた声で言った。

「なんで俺が漢字のこと、お前にばっかり聞くと思う?」

全身の小さな震えが、一瞬、止まった。

「そ、れ…は、まじでなんで?」

「ふ、」

馬鹿目くんの涼しい顔がふと崩れる瞬間が、僕は嫌いじゃない。

こういう時の彼は、すごくおしゃべりなんだ。

「それなぁ。お前は保護色人間だからさ、努力してるのもバレバレなのよ。お前が教室の席についてると、体の部分部分に色んな活字が大量に透けて見えたりするんだよ。そんなん見れば分かるやん、ああこいつ、スッゲー勉強熱心なんだなって。運動だってそうだよ。グラウンドに立つとお前、インナーマッスルスケスケで気持ち悪いことになってっからな、ハハ!自分では全然そんなアピールしないし、お前が保護色人間じゃなかったら、そんなに努力してることを誰も知るこたねーだろうさ」

僕は黙って聞いている。

たぶん、緩んだ顔をしながら。

「周りはお前のそういうコロコロ変わる見た目だけで判断して、お前を遠ざけるかもしれない。お前にはお前の悩みがあるかもしれない。でもよ、一線くん、」

馬鹿目くんが、僕を珍しく『一線』と呼んだ。

僕の名前は売受一線(ウリウケ イッセン)という。


「鹿人間は漢字が駄目なんですよ!」


知ってた?と笑う馬鹿目くん。

なんて気持ちの良い人だろう。

こんなに爽快なバカ、いるか?

愛される馬鹿なら悪くないよな、僕がこんなに元気付けられちゃ。

見てろよ、愛されない馬鹿のどんでん返し、点を線で制してやるぜ。


「なあ、点白くん」

「あん?」

「大抵の人間は、自分の名前はちゃんと漢字で書けるんですよ!」

「うっせ!バーカ」

「馬鹿は君!」



馬鹿でかっこいい君の真似をして、礼なんか言わないでおこう。

いつかきっと、愛されるね。



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