第5話


椎名の言葉通り、ぼくらはまず隊列を変換し一点にかたまった。これにより4つの騎馬が大将騎の周りを固めた。ぼくたちは先手を打ち、盤石の態勢で次の行動を待った。

さすがにこの作戦を予想したものは誰もいなかったらしく団席がにわかにざわついていた。

もちろん、あっちの連中だって例外ではなかった。

椎名の思惑はまさしく的中し、左前方から黄団の騎馬が二騎やってきた。その二騎の騎手はゼッケンをつけていなかったが、彼らは猪のような勢いでこちらに突っ込んできた。

「偵察騎だな」

篭った空間の中で椎名がつぶやいた。

「梅ヶ谷は、様子見の段階のようだな」

梅ヶ谷というのは黄団の大将だった。彼はサッカー部のキーパーをしていて、巨躯のわりに素早い動きをするぐらいのことは容易に想像できた。

「こちらを見くびっての二騎っていうことなんだろうが、大誤算だよ梅ヶ谷。そこで指を咥えて自騎が無残にやられる姿をおめおめと見ているがいい──青団全騎、全速前進!」

椎名が声をあげ、青い軍勢が黄団の陣地に向かってまっしぐらに進んで行く。

「やっぱり大将はお前のほうが良かったんじゃね」

柏木がからかうように、椎名を顎で指した。

うん、ぼくも同意だよ。

「松郷、お前たちはゆっくりめに俺たちの後を追え。出過ぎてやられちゃ本末転倒だからな」

椎名は先に進みつつ、ぼくのほうを振り向いてそう言うと、またすぐに前を向いて突進していった。

「柏木」

「なんだ」

「大将は戦わない間、何をしていたらいいと思う?」

「そうだなあ、戦局をよく把握することじゃないかな」

「ああ、納得。合点承知」


青団の4騎と黄団の2騎が激しく火花を散らしているころ、ほかのところでも動きがあった。

赤団より輩出された2騎が、泥沼のごとく混戦する青と黄色に迫っていた。混乱に乗じて主導権を握るつもりなのだ。

さらに残りの赤団2騎が直接ぼくらのほうに向かってきた。二対一の構図にして、後ろ盾のない無防備なぼくらを一気に攻め立てようという魂胆が見え見えだった。

青団同様、本丸を置いて戦力を分散させた赤団の大将は、やはりというか、最初からわかってたけど、竹熊だった。

赤いゼッケンをつけた彼は、しきりにこちらや黄団の大将を指差しながら、馬役の男子に何かを伝えているようだった。

「竹熊のやつ、怪しい動きをしているな」柏木が言った。「黄団の梅ヶ谷よりは、俺たちのほうを気にしているようにも見える」

うん、ともかく警戒が必要だね。

「まあとりあえずは目先の敵だな。この学校でオセロで右に出る者はいないと言わしめた俺の実力、とくと見よ!」

「オセロじゃ騎馬戦に勝てなくな……うわっと」

ぼくの突っ込みも虚しく、青大将は車が急発進をしたような衝撃とともに赤団2騎に突貫していった。

前方に突進している間、また新たな変化があった。

先ほど黄団と交戦していた青団の騎馬のうち、椎名を含めた2騎がごたごた騒ぎから脱け出して、こちらの支援に向かってきた。

ぼくらが赤団とぶつかるすんでのところで、椎名たちが横槍となって入ってきた。

これで三対二。数が有利になると、戦う意欲がみなぎった。ぼくは彼らの背後からぐっと腕を伸ばし、赤団の騎手の頭のはちまきに手をかけた。苛烈な衝突で砂煙が舞い上がり、ぼくは目を細めた。それでもなお、ぼくはもう一本の腕を伸ばし、はちまきに手をかける腕を払いのけようとする騎手の腕に掣肘を加えた。

よし、行け!

ぼくはわずかに指が引っかかったまま、勢いよく腕を上げた。すると、赤団の騎手のはちまきは熱気で荒れ狂う頭上をふわりとひらめいて、柏木の頭に落ちた。

誰かが、あっ、と漏らした。

やった、と心の中で快哉を上げた。

その瞬間のことだった。

「逃げろ、松郷!」

「え」

椎名の声が聞こえたのと同時、見えない砂塵の奥から細く華奢な腕がにゅるりと伸びてきた。

ぼくは慌てて、遮二無二になりながら腕をどけようとした。しかし、空中にセメントで固定されたようなその細腕はまっまく微動だにせず、さらに驚くべきことに、ぼくの片腕をたやすく鷲掴みにするとずるずると手前に引き込もうとした。

腕が、痛い。血管が、千切れる。

これはやばい、直感がおののいていた。

「柏木! さ、下がって! 早く!」

「わかってる!」

ぼくは気が動転していた。純粋な恐怖が皮膚にこびりついて、蛇の鱗のようになった。

もしもあと一歩遅かったら、ほんとに収拾がつかなくなっていたかもしれない。青団がめちゃくちゃになって、弱小のレッテルを貼られたかもしれない。ぼくが負けたら全部終わりだった。

このとき、絶対絶命の窮地から救い出してくれたのはやっぱりこの男だった。

「柏木、大将はお前に任せたぞ」

椎名はそう言うと、ぼくと見えない腕の間に立ちはだかり、懸命にぼくを引き剥がそうとした。両手を使って、はちまきを無防備にして全身全霊でぼくをその呪縛から解いた。

その反動で、ぼくや柏木は後ろに仰け反った。まるで樹木から樹皮がべろりと剥がれ落ちるみたいに、ぼくらは乖離した切片となった。

傍観する間もなく、ぼくらはその場から後方に退散した。

椎名の方を見ることはできなかった。

ものの数秒後、赤団の団席がいっせいに立ち上がり湧き上がる光景を、ぼくらは目の当たりにした。



戦局はいよいよ中盤から終盤に差し掛かるところだった。

なんてったって体力の消耗が激しいのだ。

馬役の柏木たちはつねに動き回っていたために、肩で息をしているありさまだ。言葉も少なくなっているし、この先はあまり長く持たないかもしれない。

一方で戦況は芳しくなかった。


グラウンドに残っている騎馬の数は全部で5騎。

青団が2騎。赤団が2騎。黄団が1騎。

大将騎馬はいまだ健在で、グラウンド上で三色のゼッケンが目立っていた。

優勢なのは赤団で、竹熊は余裕綽々といった表情。黄団は大将騎こそ残っているものの、心許なかった。青団は劣勢というほどではないが、ぼくを助けるために椎名が犠牲となり、頼れる参謀役を失った。

はちまきを奪われた騎馬は、試合の邪魔にならないところに避難していた。

考えてみれば、ぼくがここまで残っていること自体奇跡のようなものだった。ひとえに周りの助けに支えられたおかげだ。もちろん、ぼくも彼らの惜しみない奮闘に報いたい気持ちは当然ある。

「敵さん、こちらの様子を伺っているな」

すっかり弱々しくなった砂まみれの柏木が、冷静に分析していた。

「さすがにこの場面で、黄団は動きにくいだろうし」

黄団大将の梅ヶ谷の理想としては、赤団と青団をぶつけることで戦力を削らせ、最終局面として大将どうしの三つどもえに持ち込みたいはずだ。

そうなってしまったとき、赤団はともかく青団は勝ち目薄だった。ぼくは二人の大将とはあまりに体格差があって話にならなかった。

だからこそ、このクライマックスまでぼく以外に味方がもう一騎が残っていることはまさしく僥倖だった。うまい具合に連携すれば、望みはあった。そういう状況なので青団も下手に動くことを躊躇っていた。

では赤団。赤団はどうだろう。彼らとしては黄団を狙っても、青団を狙っても悪い選択じゃなかった。黄団を討ち取り、青団との正面対決に繋ぐか、盛り上がり的に三すくみを選ぶか、竹熊なら何をするか。

だめだ、全然読めない。

全然読めないけれど、この膠着した均衡に誰かが切り込みを入れなきゃいけない。

そしてそれをするのは、たぶん、ぼくなのだ。

飛び込まないと、状況は改善しない。

「ああ、お前が行けば、たぶんいけるような気がするな」と柏木が言った。

だよね。

「俺たちが行けば、確実に赤団は乗ってくる。俺たちが組み合えば、黄団も絶対に入り込んでくる。仲間に入れてもらえないと応援席への体面が悪いからな。まさかこの期に及んで、赤団と黄団が徒党を組んでいました、なんてオチはないだろうけど」

やめてよ。心臓に悪い。

「四の五の言わず、とにかく突撃するぞ。覚悟決めろー、覚悟決めろよー、決めてけよー」

らじゃー。


いよいよ青団二騎が同時に行動を起こし、それを見計らっていたかのように赤団も動いた。まずは青団VS赤団の構図ができあがり、それから矢継ぎ早に黄団が飛び込んできた。

三色の騎馬が、激しい応酬の中でもつれあう。腕が伸び、身体がぶつかり爪が割れる。下でも骨身にしみるような生身の肉弾戦が繰り広げられていた。喘ぐ声、痛みをこらえる声、吐きそうなめまい、悲鳴をあげる筋繊維、しっちゃかめっちゃかの混乱の中で、ただひたすらはちまきを掴み、天に突き上げることだけのためにみんなが戦っていた。

こうした極限の状態こそが、真に生きている、という証なのかもしれない。

なんだか、そんな歌詞の歌のレコードが父親の書斎の棚にあったような気がする。星屑を散りばめて夢を見る、イルカに乗って泳ぐ少年の物語。

って、馬鹿だなあ。こんなときにぼくは何を悠長に考えているんだろう。下でぼくをずっと背負い、死に物狂いで戦っている柏木たちに悪いじゃないか。これで負けたらどうするのさ。せっかく試合直前にも、安藤さんが秘密の応援をくれたのに。もしかすると、今だって団席から懸命に声を張り上げて応援してくれているかもしれないのに。

ああ、でも彼女は赤団だから、本心は赤団に勝ってほしい?

そうなの?

青団は赤団の敵で、赤団は青団の敵。

青団のぼくは赤団の竹熊の敵で、赤団の竹熊は青団のぼくの敵。

ぼくは竹熊の敵で、竹熊の敵は、

ぼくだ。

竹熊に勝つのは、ぼくだ。

息をするのも間に合わない目まぐるしい闘争の中で、同時に幾つかのことが起こった。

ひとつめは、黄団の大将騎が赤団の騎手のはちまきを奪ったこと。

ふたつめは、はちまきを奪われる瞬間に、赤団の騎手が青団の騎手のはちまきを奪ったこと。

そして最後に、混み合うもつれが嵐のようなうねりを生み出して、5騎すべてが大きくバランスを崩した。そのまま雪崩れるようにして多くの騎馬の選手たちが地に手をついた。

地面に落ちた衝撃の波が一段と深い砂煙りを舞い上げた。思わずぼくは目をつぶった。

その間、ぼくの騎馬はすこし後ろに引き下がって行くのを感じた。どうやら、ぼくはまだしぶとく生きているらしい。

ぼくが目を開けたとき、グラウンドに立っていたのはふたつの騎馬だけだった。

青団の大将騎。

そして赤団の大将騎。

同じ目線の高さにあった竹熊はまなじりを決して、ぼくを見ていた。

ぼくも彼の目を見据えた。

グラウンドは息を飲んだように静まり返っていて、団席からも応援は聞こえなかった。太陽の日差しは弱まり、血潮は未明の凪のようにひっそりとしていた。

あのさ。竹熊に聞きたいんだけど、ぼくが君に勝てる見込みはある?

ぼくは聞いた。

ないな。どこにも。

彼は答えた。

あっ、そう。やっぱりか。でもぼくは戦うよ。勝つつもりで戦うよ。これでも男としての意地があるからね。

男どうしなのに、わざわざそんなことを言う必要はないだろ。

それもそうだね。愚問だったよ。

じゃあさっさと終わらせようぜ。

うん。文字通り、一騎打ちだ。


両者が見合う。これで、決まる。


いざ尋常なりや。



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