23 二人の孤独

「大丈夫か、嬢ちゃん」

「うん」


 繰り返し揺れるシェルターの中で二人座るジェイクと澪。

 幼子にはきつい状況だろうと、ジェイクはしきりに澪を気遣っていた。

 

「ねえ、じぇいく」

「何だ?」

「おとうさんって何?」


 唐突に投げ込まれたド直球の質問。

 ジェイクは答えに詰まる。

 

「何で、急に……?」

「少し前にめいおねーちゃんに聞かれたの。おとうさんかおかあさんはどこって」


 ジェイクには澪の言う「めいおねーちゃん」が誰なのかは分からない。

 ただ仁から聞いていた話から、迷子になった時にでも聞かれたのだろうと見当を付ける事は出来る。

 

「じんに聞いてみようかと思ったけど、何か聞いちゃいけない気がしたの……」

「あー」


 果たしてその問いを投げかけられた時、仁はどんな反応を返しただろうか。

 ジェイクにも容易には推測できない。

 

「じぇいくは、おとうさんじゃない……よね?」

「ああ。そうだな」


 澪は確認なのか、首を傾げてそう問いかけてくる。

 そして続けて言う。


「じんも、おとうさんじゃない」


 自分の膝を抱えて。

 そこに顔を埋めながら。

 

 ジェイクの位置からは澪の表情が見えない。

 

「じぇいくが見せてくれるお話し。みんなおとうさんとおかあさんが居るの……みおにはいないのに」


 心の中で、ジェイクは仁を大声で呼ぶ。

 どうしてお前は今ここにいないんだ。

 この子がこんなにも寂しそうにしている時に、どこで何をしているんだと。

 

 自分ではその寂しさを埋める事は出来ない。

 それがジェイクには良く分かる。

 

「みおはここでも一人ぼっち」


 どうしようかと狼狽えていたジェイクは、今の澪の何気ない一言に意識を引かれた。


「…………ここでも?」


 ジェイクは聞いていた。

 澪には出会う前の記憶が無いと。

 自分の名前すら定かではなかったと。

 

 ここでもと言う言葉はここ以外を知らなければ出てこない物だ。

 気になった。

 しかし落ち込んでいる子供を前に、そんな言葉尻を追及することなど出来るだろうか。

 少なくともジェイクにはできなかった。

 

「仁の奴がいるじゃないか」


 そんな不器用な慰めの言葉を言うのが精一杯だ。


「……じんはね、時々違うとこ見てるの」

「違うとこ?」

「みおを見てるんだけど見てないの。おうちの中で時々痛そうな顔しているの。いっつも、みおのいる方じゃなくて反対側を一度見るの」


 それは、仁も気付かれていないと思っていた事だった。

 澪を見ていると令の面影を追ってしまう。

 澪と一緒に暮らしていると、有り得たかもしれない令との生活を幻視してしまう。

 澪の声を聞くと、つい令が何時もいた方を見てしまう。

 

 一つ一つは些細な事。

 子供ならば気づかないだろうと思っていた仁の心の傷。

 

 だけど澪は気付いていた。

 仁が自分を通して誰かを見ていることに。

 

「じんはきっと、みおじゃなくてもいいの」


 その声にジェイクは痛ましい視線を向ける。

 澪と仁の双方に。

 

 澪にとっては仁が自分を真っ直ぐに見てくれない事は悲しい事だろう。

 幼子にとって、それがどれほど残酷な事か。

 

 本来ならば友人として、ジェイクは仁に怒るべきなのだろう。

 だが出来なかった。

 

 二年経っても尚、それほどまでに一人を思い続けている。

 否、二年経ったからこそだろうか。

 そこに澪と言う似姿が現れてしまったからこそ仁は令の面影をより追いかける様になってしまった。

 

 ふとした拍子に、澪が令の残影を上書いて行くような気がしてしまった瞬間から。

 失うことは怖い。

 それ以上に、忘れてしまうことが怖い。

 

 そんな仁の声が聞こえてくるようだった。

 彼がどれだけの喪失感を抱えているのか。

 その片鱗を知っているジェイクには仁を諫める事も出来ない。

 

 吐き出された澪の心情。

 この言葉はジェイクにだからこそ言えたのだろう。

 もしも、仁にこの言葉を向けて肯定されたら。

 それを恐れて澪は仁に言えない。

 

 更にジェイクはもう一つ気付いてしまった。

 

 澪がピカピカを――ASIDの襲撃を待ち望む理由。

 抱きかかえられる事が好きだと言っていた。

 だが本当はそれだけではないのだろう。

 

 その瞬間だけは。

 仁は真っ直ぐに澪を見つめている。

 誰でもない澪を案じている。

 それが分かっているから澪は、その短い時間を望んでいるのだ。

 

 二人の関係は、一見シンプルなように見えて酷く歪み切っている。

 それこそ下手に他人が手を出せない程に。

 

 しかし、ジェイクにも断言できることがあった。

 

「嬢ちゃんじゃなくても良いなんてことはないさ」


 その言葉に澪は顔を上げた。

 ジェイクの予想に反して、その表情に涙は無い。

 

「少なくとも嬢ちゃん以外の人間はそこに立つことすらできなかった」


 そう。

 本人は愚痴っぽく言っていたが、婚約者を亡くした仁を励まそうとした人物は多い。

 その中には傷心につけ込もうとした相手も少なからずいたし、お節介を焼こうとした者もいた。

 

 その悉くを仁は切り捨てて来たのだ。

 いくらかの人間関係と共に。

 

 ――そんな姿を見ていた少佐が仁の行く末を危惧するのはある意味で当然だったと言える。

 

「まあ、嬢ちゃんの後ろに誰かを見てるのは……許してやってくれ。仁も、多分迷ってるんだ」


 もしも澪を令の代用品として見ているのならば。

 ジェイクは殴ってでも仁に怒っただろう。

 

 だが時々と言うのが仁の迷いを示している。

 思い出か今か。

 日々薄れていく令の思い出。

 

 当人の見込みが甘かったのだ。

 思い出をしまい込むことも出来ないとは仁自身思っていなかった。

 

「だけど仁は澪の嬢ちゃんを選んだんだ。それだけは保証できるぜ」

「……どうして?」

「澪の嬢ちゃんが澪だからだよ」


 その言葉に、澪は不思議そうに首を傾げた。

 

 仁はその名に令の文字を入れた事に自嘲した。

 だがジェイクの意見は逆だ。

 もしも本当に令の事を引きずっているのならば。

 代用品としてしか考えていなかったのならばその名はきっとレイと言う響きを持った物だっただろうから。

 

「その内、仁の奴も嬢ちゃんに話してくれる。それまでは待っててやってくれ」

「うん……」

「それからな。お父さんはいないって話だが……産みの親は澪の嬢ちゃんの側にはいない。これは事実だ」


 余計なお世話だと自覚しながらも、ジェイクは言葉を紡ぐ。

 後で仁に怒られるかもしれないと思いながら言った。

 

「だけどな、育ての親って言葉もあるくらいだ。今は違っても、澪のお父さんになってくれる人はいるかもしれない」

「そうなの?」

「ああ」

「そっかあ……」


 そう言いながら、澪は頬を膝に押し付けた。

 少しだけ嬉しそうに呟く。

 

「じんだといいなあ……」


 ああもう、本当にとジェイクは仁に苛立ちをぶつける。

 もしも今彼がここにいたのならば。

 感じている迷い何て一瞬で吹き飛んだだろうにと。

 

 そう思っていると一際大きな揺れがジェイクたちの足元から這い上がってくる。

 

「うおっ!」

「地震だ」


 目を開いて驚きを露にする澪。

 

「? いや、これは多分だが」


 再びの揺れ。

 周囲の人間の悲鳴やら、荷物の倒れる音やらで一気に騒がしくなる。

 

「取りつかれたのか……」


 何でよりによってこのシップ5にとジェイクは悪態を吐く。

 通常ASIDは大きなエーテル反応に――即ち、船団最大の船であるシップ1を狙うのが通説だというのに。

 だが各シェルターはそのまま脱出船へと変わる。

 移民船が沈められるような事態となっても、脱出は叶う。

 

 ただ、その様な状況で脱出船がどれだけ生き長らえられるかは未知数だったが。

 

 何度も、何度も。

 乱暴なノックの様な横揺れが澪たちを襲う。


 数分ほどもそんな生きた心地のしない時間が続いただろうか。

 唐突に揺れが止まった。

 

 その事に周囲は安堵した様子を見せるがジェイクは逆に身体を緊張で強張らせた。

 振動の感じからして、外壁を突き破られるほどの物だっただろう。

 

 それが止まったという事は。

 振動するような事をする必要が無くなったという事。

 

 つまり――シップ内に侵入されたという事である。

 アサルトフレーム部隊も、都市内戦闘には慣れていない。

 この状況になってしまった時点である意味詰みだ。

 

 危機的状況に気付いて顔を青ざめさせるジェイクの横で、澪は不思議そうに首を傾げる。

 

「何かうるさい」


 上を見上げながらそう呟いた瞬間。

 シェルターを断続的な振動が襲い始めた。

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