12 健康診断

「うん、うん……澪君の健康状態に問題は無いね」


 澪の検診を終えた医師は満足そうにうなずきながらそう言った。

 特に問題は無いと聞いて仁も知らず止めていた息を吐いた。

 六歳児相手の生活がこれで良いのかと少々心配だったのだ。


「さて、東郷君。次は君の番だよ」

「いや、先生。俺は……」

「散々逃げ回ってくれたからね。君も。定期健診も半年で来なくなるし」

「本当に大丈夫ですから。特に問題も無いですし」


 固辞する仁を見て、澪がぽつりと呟く。


「じん、お医者さん嫌いなの?」


 その言葉に仁は固まる。

 そんな仁を見て医師は笑った。

 

「ほら。悪い手本になるつもりかな?」

「……分かりました。分かりましたよ。お願いします、先生」


 両手を挙げて降参する。

 最初からそのつもりだったのだろう。

 検査はスムーズに進んだ。

 その間、澪は病院内の預り所で遊んでいた。

 

「……君の身体も大丈夫そうだね。再生させた細胞も完全に定着して新陳代謝を行えている。これならもう問題は無い」

「だから問題ないって言ったじゃないですか」

「あんまり楽観しちゃいけないよ。前にも言ったけど、君程広範囲で再生治療を行ったケースは無いんだ。悪影響が出ないとは誰も言えない」


 そう言われて仁は己の身体を見下ろす。

 確か八割が人工的に作られた肉体で構築されている。

 

 これ以上となると、脳だけの移植レベルの話になる。

 

「それで先生。澪の件なんですが……」

「数学のテストで凄い点数を取ったって話だね。聞いているよ」

「ええ。何か分かりますか?」

「少なくとも澪君の身体に、後天的な処置をした形跡は見られない」


 その言葉に仁は胸を撫で下ろし、違和感を覚えた。

 

「後天的な、という事は先天的な処置は?」

「……分からない、と言うのが正しいね。彼女の肉体におかしなところは見当たらない。まるでそう設計された様に細胞単位で非常に綺麗な肉体だ」


 だからこそおかしいのだと医師は言う。

 

「人間なんてどこかしらおかしなところがあるものさ。だけど澪君には全くない。まるでそうあるべしとデザインされたかのようだ」

「デザイナーズチャイルドですか」


 遺伝子操作を施された人間。

 ただこれに関しては船団に住む人間全てがそうであると言える。

 宇宙を旅するために、人はその環境に耐えられるように肉体を僅かだが改造している。

 

 医師が言っているのは、そう言った環境適応の為の最低限ではなく、もっと根本的な所に手を入れた子供の事を言っているのだろう。

 

「ただそうだとしてもやはり綺麗すぎる。ここまで整える必要は全くないし、そもそもそれだけの技術はどの船団にも無いよ」


 だからこそ分からないと医師は言った。

 

「人為的に手を加えられたとしか思えない美しい人体……しかし、人為的な加工では生み出せない美しさ……矛盾してますね」

「ま、僕から言える事はただ一つ。あの子は将来美人になるよ。彼氏を連れてこられる日を覚悟しておくんだね」

「そうしたら俺より弱い男は認めないって言ってやりますよ」


 歴代トップの撃墜数を誇るエースが言うとシャレにならない。

 仁の冗談に笑うと、これで診察は終わりだと医師は言った。

 

 預り所で少し退屈そうにしていた澪を引き取って家路に着く。

 

 夕食のキューブフードを食べて、少しまったりとしていた。

 

「今日はピカピカしないね」


 集合住宅のベランダから空を見上げて澪が残念そうに呟く。

 戦いの怖さを知らない幼子はあの綺麗な光景を心待ちにしている様だった。

 

 思えば、敵の襲撃は何時も夜間だ。

 そのタイミングがこちらが嫌がると知っているかのように。

 宇宙には昼も夜も無いというのに。

 

 落っこちない様に腰のあたりを支えながら仁も見上げる。

 今日の夜は警報に怯えなくて済むだろうか。

 澪の勘はよく当たるので、今日は眠れそうだと思った。

 

「そろそろうちの中に入ろう」

「はーい」

 

 聞き分けが良いのは助かる。

 100センチそこそこの身体を抱え上げて洗面所まで連れていく。

 

 二週間、それが澪と共に暮らし始めての時間だ。

 非常に懐くのが早かった澪のお陰で、仁としてもそれほどの苦労はしていない。

 

「さて、澪。急な話だが、俺は来週からお仕事です」

「お仕事?」

「そう、お仕事」

「おうちにいるのがお仕事じゃなかったのか……」


 目を見開いて驚きを示す澪。

 共に暮らして気付いたのだが、動かないのは口元だけで目元は割とよく動く。

 こいつ、そんな事を考えていたのかとちょっと仁はショックを受ける。

 

「違います。先生、みたいなものだ」

「じんは先生だったのか……白衣ばさーってする?」


 その言葉で澪が想像しているのが入院していた頃の主治医だと気付いた。


「いや、お医者の先生じゃない。そうだな……いろんな人に知識を教える人だ」

「おー。じん、じん。澪にも何か教えて!」


 何か趣旨を勘違いしている気もするが、澪のお願いを無下にする気はない。

 

「そうだな……夜更かしする悪い子はピンクの髪をしたお化けに連れ去られちゃうんだ、知ってたか?」

「おばけなんていないよ」


 ちょっと表情を硬くしながら澪は早口でそう言う。

 なるほど、怖いらしいと分かった仁は口元を釣り上げた。

 澪の部屋に散らかされたペンギンのぬいぐるみ。

 この前買った物だが、大変に気に入っているらしい。

 それを見て仁はふと思い出した風を装いつつ更に続ける。

 

「他にも、片づけをしないと怒ったおもちゃ達が夜、ベッドで眠っているところの子に来て……」

「わーわーわー!」


 手をバタバタさせてそれ以上は言わせまいとしてくる澪をいなす。

 

「もう教えてくれなくていい……」

「悪かった悪かった。とにかく、来週から仕事なんだ。だから仕事してる間はジェイクのところに行っててくれるか?」

「怖いけどおいしいご飯作ってくれる人?」


 澪にとってジェイクはそういう認識なのかと仁はおかしくなる。

 中々正直だ。

 

「そう。この前も会っただろ?」

「んー」


 抱きついて、頭をぐりぐりと押し付けてくる。

 しばらくされるがままになっていると、胸元からちょっと膨れっ面で見上げてくる。


「いいよ」


 我慢させてるな、と思った仁は澪の頭を撫でて宥める。

 

「ごめんな。お休みの日になったら今度はお魚でも見に行こうか」

「水泳いでるやつ?」

「ああ。水泳いでるやつだ」

「……行く」


 本音を言えば、こんな状況だからこそ澪は近くに置いておきたい。

 だが流石に基地に置いておくわけには行かない。

 子連れで教官職は務まらないだろう。

 それに、後二月もしない内に学校の入学期だ。

 そうなれば昼間は嫌でも別々の場所で過ごすことになる。

 

 それまでにこの人型ASIDの件が解決すれば……と思いたいが、楽観できる状況ではない。

 

「それじゃあ約束だ」

「ん」


 互いに小指を絡めて指を切る。

 

「それじゃあそろそろ寝ようか。早く寝ないとピンクのおばけが――」

「おやすみなさい!」

「はい、おやすみー」


 最後まで言い切る前に澪はベッドへと駆け込んだ。

 その素早さに仁は苦笑して、彼もベッドへ入る。

 若干震えている澪を寝かしつけながら、来週から始まる教官職に想いを馳せた。

 

 その夜は、襲撃は無かった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「まさか、お前が同僚になるとは思わなかったぞ、東郷」

「在校時代はお世話になりました、教官」

「はっはは。お前の代は問題児が多くて苦労させられたよ」


 訓練校に着任した仁を迎えたのは仁の訓練校時代を知る女性教官だった。

 恩師と言ってもいい。

 当時の事を引き合いに出された仁は恐縮するしかない。

 お世辞にも模範的な訓練生とは言い難かった。

 

「その節は、その、誠に何と言いますか」

「おかげで小皺が増えたよ。ほら、見てみろ」


 そんなことを言ってはいるが、卒業してから八年。

 さほど容姿に違いが見えない。

 そもそも、この人は何歳なのだろうかと疑問に思う。

 今も昔も二十代にしか見えないが、逆算していくと確実に――。

 

「まあ当時の借りはこれからで返してもらうとするよ」


 そう言いながら叩かれた肩。

 その衝撃で直前まで考えていたことが飛んだ。

 

「精一杯努めます」

「さて、それじゃあ仕事の話をしよう。聞いた話では実機は無理との事だが」

「はい。絶対に乗るなと厳命されておりまして……」


 少佐の命令である。

 どうやら徹底的に前線からは離れさせるつもりらしいと仁は溜息を吐きたくなる。


「何、気にするな。どうせこのご時世だ。あの糞虫共の襲撃が収まるまでヒヨッコ共の実機使用なんて早々出来んよ」


 まあ当然の判断だろうと仁も思う。

 一先ず律義に突っ込んでおくことにした。


「人型ですけどね」

「ならあの糞女郎共だ」


 豪快に笑う恩師に懐かしさを覚えながら仁は気になっていたことを尋ねる。

 

「それで、私はどの様に訓練生たちに教えるのでしょうか」

「聞き及んでいると思うが、戦技指導だ。訓練生どもと模擬戦を行い、戦闘についての指摘を行う。お前も長老にやられただろう」

「ええ。何となく雰囲気は覚えてます」


 頷くと恩師も頷いた。

 

「大体あんな感じだ。年度が替わったらお前にもクラスを持ってもらうことになるが、今はそれだけだ。頼んだぞ、東郷教官」


 その言葉に仁は力強く頷き返した。

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