殿、嫁に浮気を問い詰められて。

九十九 千尋

殿、浮気を問い詰められる。


 時は慶長八年、とある地方の田舎の大名に、香木こうぼく 直義なおよしというお殿様が住んでいらっしゃった。

 直義には、弟君がいらっしゃり、名は是近これちかと言ったそうな。


 直義と是近は、とてもとてもよく似た御兄弟で、実は双子であったものの、当時は双子は忌み子として育てられないため、二人は一つ違いの兄弟として育てられたと言われておりました。



 さて、この直義公、他でもなく色を好みまして……ええ、もう少し現代風にかみ砕きますと、女性に手を出しやすい、ええ、もっと言ってしまうと、男女問わず美人美形と見るや手を出してしまう、浮気性の殿でありました。

 側室を取れば良いものの、側室を取ると後が面倒だ、と口で言い、その実は、自分から愛するは良いが、人から愛情を求められると途端に縮み上がってしまう、自己肯定感の非常に低い殿でもあったのです。つまりダメな男ですね。


 ところが、この殿には正室の、つまり奥様がいらっしゃった。

 しかもこの奥方、非情に嫉妬深く、また同時に直義公をとても深く愛しておられた。奥方は名をせりといい、周りからは、お芹の方、おセセ様、などと呼ばれておいででした。


 要するに、浮気者の夫と嫉妬をする妻の話なわけなのです。しょーもない。






 さてさて、ある日のこと。

 いつものように直義公が城に戻りますと、弟の是近が走り寄り、何事か渋い顔で耳打ちします。


「兄上、何をなさったのですか? 姉上がお怒りです」


 ここでの姉上とは、兄の嫁、つまりお芹の方の事ですね。


「え? なんだろうか。セセが怒るようなことと言えば……」


「もしや、女中に手を出したのですか?」


「いやいや、そんなことはしない!」


「ああ、流石に兄上でも女中に手を出したりはしないですよね」




「女中の息子に手を出しはした」


「男色っ! しかも事態がこじれることを!」


 弟の是近の心配からの小言も他所に、直義公は食傷気味。

 是近が言います。


「兄上、姉上が天守に立てこもっておいでなのです。何とかしなくてはいけないのではないです?」


「え? なんとか? なんとかねぇ……いやしかし、男色は別腹だから」


「そうじゃないでしょ!? 自分の奥方の機嫌を……待って、待ちなさい、兄上。別腹って何?

 え? 何? なんだって?

 うん……『女中に手出しはしてないが、女中の母親には手を出した』……あきれてものも言えませんよ!? ってか、雑食過ぎる!」


 流石の事態に頭を抱えた是近でしたが、彼には秘策がありました。

 こういう困った時に頼れる家臣。彼には、お抱えの忍者が居たのです。


虎太郎こたろう! 虎太郎こたろうは居らんか!」


 是近の声に応えるように、唐突に背後に少年が現れて言います。


「はっ! 風間かざま 虎太郎、参上仕りました」


 この風間という忍者は、代々この香木家に仕え、先日三代目に代わったばかりでしたが、先代に引き続き色々知恵を借りられるだろうと、是近は考えました。


「虎太郎、かくかくしかじか、というわけで、なんとかしたいのだがどうにかならないか」


「なりませんね」


「即答か。……だよな」


 肝心の直義はアクビの一つもしつつどこ吹く風。そこに虎太郎が言い放ちます。


「ここはひとつ、実際にお芹の方に素直に詫び、叱られるのがよろしいかと」


 直義公がそれに対して返します。


「といってもなぁ、セセに殺されたりせんだろうか?」


「それは……そうなっても仕方がないかと」


「なかなか酷い忍びも居たものだ。城主が奥方に刺されそうという時に、それでいいと言い切るなんて」


「痴話喧嘩で城を乗っ取られる家臣の身にもなって、ここはひとつ、奥方に叱らるのが自業自得かと」


「しかしなぁ……叱られるのは、怖いし……」


「ならなんで浮気など……」


 ごもっともなこの虎太郎の言葉に返す言葉もなく、是近に助け舟を求めるように弟を見ます。

 是近は「助けを求められても困る」と顔で返しますが、これが端から見ていると二人とも実に瓜二つ。

 そこで見ていた虎太郎が膝を打って進言します。


「私に考えがございます」


 それは……















 さてさてさて、虎太郎の策を携えて、ついでにご機嫌取りの白粉と紅を持って、直義が天守に立てこもる奥方の下へと参りました。

 お芹の方は天守の上座を空けたまま、されど……

「私の前を通れば何者であっても、えぇいやああ! っと刺してくれる!」という、鋭い眼光で天守の上座を睨むように座っております。


 これには、流石に恐れをなして上座を空けたまま、少し離れたところに直義公はお座りになられた。


「直義様、城主が座るべき座が、空いております故、私の前をどうぞ、お通りくだされ」


 お芹の方の声は一段と冷え切っており、それはそれはそこに居るだけで蛇に睨まれたカエルの気持ちを知るに至るものでありました。


「いやいや、この度は、儂の不徳、不貞が招いた事態。そなたに詫びるのになぜそなたの前を横切れよう。わ、儂は、ここで良い」


 カッと睨みはしたものの、それ以上何も言わぬ奥方へ、直義公は持ち込みたる化粧道具を渡し、更に南蛮渡来の菓子などを、そっと預け渡した。



 ……と、ここまで虎太郎の読み通りであった。

 というのも、この香木の城には仕掛けがあり……


「あ、い、今は、梅が見ごろかの?」


「梅、ですか? はぁ、城下に咲いている物が……天守からも見えるかと」


「あー、その、見てはくれんか?」


「ご自分で見ては?」


「いや、その、な?」


「ははぁ……なるほど。よほど、私の傍を通るのが怖いと見える。仕方がない殿ですこと。どれ……」


 と、芹の方は腰を上げて窓際へ。

 その隙に直義公は天守の反対の壁へと、こそりと移りそこの壁を指で押した。すると……


 なんと、壁が回り中からもう一人、直義公が現れたではありませんか。

 いえいえ、お察しの通り、これは弟君の是近。直義公の服とうり二つの物を着ればあら不思議……でもないですが、直義公の影武者の出来上がり、というわけです。

 城に仕掛けられた「どんでん返し」の仕掛けを使い、見事二人目と入れ替わるというのが、虎太郎の策であったわけです。

 彼曰く「二人で叱られれば、怖さも半減するのでは?」と。んなわけあるかい。


 お芹の方に気付かれぬように、震える声で直義公が言います。


「こ、是近、助けてくれ。こ、交代、交代じゃ。腰が、腰が抜けて……予想よりセセが怖い」


 もうそれはそれはとても気が重い是近が、これでもかと言わんほどの不快感を現わした顔で兄を見下ろしつつ言います。


「絶対に失敗すると思いますが、しかし姉上に天守を占拠され続けるのは不本意。此度だけです」


 直義は壁にへばりつき、どんでん返しの仕掛けで壁の向こうへ消えていきます。

 是近は何食わぬ顔でお芹の方の隣へ、南蛮菓子を手に寄っていきます。


「梅はいかが?」


「そうですね……五分、いえ、七分というところでしょうか。少し遠くなもので」


 と、お芹の方は隣に現れた“直義公”を見ます。

 じぃーっと見つめられて思わず、“直義公”は南蛮菓子を差し出します。


「南蛮菓子など、いかがか? せ、セセの、好きそうな味ではないかと、思うてな。取り寄せた物じゃ」


「あら、乳白色で奇麗な。それはありがたく思います。いただきましょう」


 ところが、そこは流石の奥方。この“直義公”が偽物であると瞬時に見抜いたのです。


「しかし、私一人では流石に勿体ない。……是近も呼びましょう」


「へ?」


「是近! 是近! 殿が菓子をくれたぞ。共に食べぬか?」


「ああっ、いや、それは、それはいかん! それは、そなたの為の菓子じゃぞ!?」


「はは、まるで毒が入っているかのような口ぶりですね……と、の?」


「そんなわけがあるか! ほ、ほれ。……うむ。うまい」


 などと一つ取って食べるに、この南蛮菓子、表面の粉が、“直義公”の口元や服につきます。

 その様を、まるで猫が鼠を狙うかのような目でじっと見つめるお芹の方が、か細く、わざと聞き間違えるように言いました。


「コレチカ」


 思わず顔がこわばる“直義公”に、お芹の方が突如として笑って言います。


「どうしましたか? いつもの懐紙かいしではないので、『これ違う』と言ったのですが」


「え? ええ? あ、お、お待ちを。じゃない、しばし、しばし待ってくれ。そうじゃ、別の菓子もあるのじゃ。そっちに、いつもの懐紙を使っておってな。待っておれ」


 これには堪らず“直義公”も察して逃げ出し、どんでん返しの仕掛けの先である別室に居る本来の直義公に半泣きになりながら訴える始末。


 仕方がなく、新しい別の菓子を持って、本物の直義公が天守へ戻ります。


「あ、あー、その、セセ、機嫌は……いかがか?」


 部屋の隅からこそっと現れた直義公をお芹の方が見て言います。


「ああ、こういう時、こう言えばよろしかったでしょうか?

 『もう一度、庭を見ていようか』と」


「い、いつから、いつから気づいて居った!?」


「そりゃもちろん。我が殿が、怒っている私の隣に立つわけがないでしょう? それに……服に先ほどの菓子の粉が付いておりません」


 お芹の方はふふっと微笑んで言います。


「次回から、お気をつけくだされ。もう、仕方のない殿方ですこと」



 その後、直義公はお芹の方が良いというまで額を床に押し付けていたとか、居ないとか。















「ところで虎太郎や」


 と、是近が虎太郎に聞きます。


「なにも、最初から替え玉、影武者で叱られて居れば、兄上は姉上に叱られずに済んだのでは? と思ってな」


 そこに虎太郎は少し悩んでから答えます。


「仕える臣下として、影武者を立てる義理と、浮気をされた者として、罰を与えたい気持ちと、その両方をこなすことにしたのです」


「ん? 浮気をされたのは姉上様では? どういうことだ?」


「いえ、殿が『女中の息子にほかの男色に手を出した』のは、私も知りませんでしたので。つい、嫉妬を……」



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殿、嫁に浮気を問い詰められて。 九十九 千尋 @tsukuhi

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