第16話 信じて手放す

 その晩、翔也は長電話をしていた。リビングの電話機は、ずっと「子機使用中」のランプを点灯させていた。いったい誰と話しているのだろう。

 天使はニタニタと笑みを浮かべながら私をからかい始めた。

 「あら~、ママ、心配なの?心配じゃない?」

「何がよ?」

「悪い友達かもよ。それとも彼女かしら。かわいい翔也ちゃんを付け狙う悪い女かもねぇ~」

「何なのよ、あんた。私がそんなくだらないことで心配するはずないでしょ?」

 意地悪な天使がさらに意地悪な顔をして、

「でも、ママ。あんたさっきから電話機のこと、気にしすぎじゃない?」

と言うものだから、

「長電話されると電話代が気になるのよ」

と言い返した。

 「いい?私はね、あの子のことを信じてるの。期待もしているの。だって、あの子は私の子なんですもの」

 そう言って私はまた、電話の親機に視線を落とす。私をあざ笑うかのように、「子機使用中」が点滅を繰り返す。私は本当に信用しているのだろうか。

 「ねえ、ママ?信じるってどういうこと?」

「えっ…?」

「だから、ママは翔也のことを信じてるんでしょ?信じるってそもそもどういう意味よ、って話なわけ」

「ちょ…、ちょっと待ってよ。今、スマホで調べるから」

そう言ってスマホに私は手を伸ばす。その手を天使の分厚い手がはたき落した。

 「ママにとっての意味よ。口では何とでも言える。信じてるって軽々しく言うけれど、それって簡単なことじゃないよ」

私はなんだか責められているような気がして、息苦しくなった。

「あのね、親はみんな、子どもを信じてるの!わかる?あんた、親になったことがないからわからないのよ」

天使もムキになって、

「じゃあ、親になったことのないアタシに、親になったことのあるあんたがちゃんとレクチャーしなさいよ。さあ、信じるってどういうことよ?」

 私も売り言葉に買い言葉で、言葉をつなぐ。

 「あの子は賢いし、能力も高いの。だから、きっと何かをきっかけに変われる。もっとすごい人になる。優秀な人になる。私たち親はね、そうやって我が子のことを信じてるのよ」

 「盲目に信じてる?」

「そうよ。絶対的な味方として、この子を信じてるの!」

それを聞いて、天使は黙り込んだ。私は勝ち誇ったように、

「わかった?」

と嬉々とした表情で尋ねた。

 ところが、天使ときたら、それがいかにもつまらない答えだと言わんばかりの態度で、「ぷぅ~~~~っ」とオナラをした。

 「あ~~、臭い。あんたの話はアタシのおならよりも臭いわ、ホント」

 私はカチンときた。

 「いい?じゃあ、たとえば明日、翔也が交通事故にあって、身体が不自由になったとするじゃない?それでもママは、あの子のこと、信じられる?」

返事に窮した私を尻目に天使はなおも話を続けた。

「あの子にもし、先天的な何か障害が見つかったとしても信じられる。いや、もしもあの子が大きな障害を抱えて生まれてきたとしても信頼できる?」

「えっ…」

「信じるってそういうことよ。存在そのものを信じ抜くってこと。ママはただあの子に期待をしているだけ」

 期待をしているだけ…。親が子供に期待をして、何がいけないというのだろう。親なら我が子に優秀になってもらいたいと思う。それが普通じゃないか。

 「子供の評価は親の評価じゃないんだよ」

その言葉を聞いて、私の胸は急に苦しくなった。

 「たとえ障害があっても、たとえ生まれもった能力は低くとも、この子は大丈夫。きっとこの人生を生き抜いてくれる。そうやって、この子のありのままを受け入れることが信じるってことよ」

 「ありのままを受け入れる…」

 私は、翔也のありのままを受け入れることなど、できていなかった。今だってコントロールしたい。あの子のことが心配だよ。これは愛なの?それともエゴなの?考えれば考えるほど、頭の中で言葉がループする。

 「信じるってのは、ある意味では期待を手放すことに近いわよね」

 天使が私のスマホと手に取ると、「カシャリ」と音がなった。スマホをひっくり返して、私に画面を見せる。そこには、私の顔面がドアップで映し出されていた。

 「ママ。ほら、また。あんたの顔、全力で不幸な顔をしてんのよ」

 確かに、不幸の絶頂のような顔をしていた。返す言葉もなかった。

 「自分をコントロールできるのは自分だけなの。ママの気持ちを誰もコントロールなんてできないんだよ。翔也に期待をかけて、裏切られた、ガッカリさせられたと思うのもママだし、あの子を信じて、どんなことが起きてもあの子は大丈夫って、どっしり構えていられるのもママだよ」

 スマホに映し出された顔をじっと見つめてみる。彼女は私だ。いつも、思考を不幸な方向へ、不幸な方向へと走らせる。この世界は敵ばかりで、私の理解者などいない。そうやって、この世界を捉えていたのは私だった。

 現に、あの先生は今日実際に話すまでは、悪い先生だとばかり思っていた。勝手に彼のことをそう見ていたのは私だった。私だけだった。翔也は分かっていたのだ。それを思うと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 「ママ~。あんたさ~、また自分を責めてるでしょ?私はダメな親だ~って。でもね、大切なのは、今ここ。この瞬間からどう変わるかが大事なの。変えられるのは?」

「自分だけ?」

「そういうことよ」

と天使は満足そうにうなづいた。


イジワルな天使の教え8

 『信じて手放す』

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