第6話 それを選んでいるのは誰ですか?

 「昨日はありがと。いろいろ話せてスッキリしたわ」

そういう私には目もくれず、天使はひたすらご飯に箸を走らせていた。まるで茶碗まで食べてしまうのではないかという勢いだ。

 天使の食べこぼしたものを台布巾で拭う。続けて、コーヒーを出す。

「あら、ママ。わかってるじゃない?今日もブルマン?」

「ううん、今日もスーパーの特売」

天使はコーヒーを口に運ぶと、満足そうに「ゲプ~~~っ」とゲップを吐いた。

「ママはあれよね。自分の気持ちを吐き出せる場所ってないのかしら?」

 唐突に尋ねられて、私はドキリとした。翔也が学校に通わなくなって以来、翔也や柚月のママ友とは、できるだけ顔を合わせないように暮らしてきた。話をすれば、好奇心に満ちた目できっと子どもたちのことを尋ねられる。それは私にとって堪え難いことだった。

 「う~ん…、ママ友とかいないし…」

「いや、ママ友じゃなくていいのよ。話をする相手、いないの?」

旦那は話を聞いてくれないし、年老いた母は「スープの冷めない距離」に暮らすものの、子どものことをあれこれ詮索されるのが億劫で、できるだけ立ち寄らないように心がけてきた。

 私はいつだって孤独だった。

 「なかなかねぇ…。子どもたちがこんなだと、気軽に話なんかできないじゃない?」

 天使は深いため息を吐くと、椅子を座り直して私に問いかけた。

 「ママに友だちがいないのと、庄屋や柚月のことは関係なくない?」

そう言われて、私は少しだけイライラした。

「そんなことないわよ。子どもたちがあんなふうだと、周りの人はすぐにあの子たちのことを尋ねてくるの。私は、子どもを学校に行かせることもできないダメな母親だと思われる。そんなの、誰だって嫌なはずよ」

また、少しだけ感情的になってしまったなぁ、と反省しつつ、でも天使にはついつい本音をぶつけてしまう。

 「それでママのこと、だれがダメな母親だと思ってるわけ?」

「えっ?」

「うん、だから具体的には、だれがママのことをダメな母親だと思ってるのよ?」

「それは…。だって、子どもは学校に行くものでしょ?学校に行かせてないなんて、ダメな母親だと思われても仕方ないじゃない!」

 天使は、コーヒーを口に含んで、ニコリと笑った。

「ママ!」

「はい!」

急にピリッとした声で呼ばれて、私は思わず声を出した。

「ママのことをダメな母親だと思ってるのはだれですか?」

「うっ…」

私は答えに窮してしまった。そして、一言。

「私です」

と答えた。

「そうよ、ママ。あんたのことをさ、ダメな母親だと思ってるのはあんただけよ。自分で自分のことを責めてるだけ」

 私はマグカップを口に運ぶ。味のしないコーヒーを口に含んで、しばし物思いに耽ける。私、私のことをダメな母親だと思ってた。信じてたなぁと少し幻滅する。

 「ママさ、この国には不登校の子どもって何人くらいいると思う?」

「えっ…、わかんないよ、そんなの。でも、そんなに多くないでしょ?」

「いい?学校に行かない選択をしている子どもって10万人以上いるのよ」

「そんなに…」

「そう。これが多いか、少ないか、わかんないけどさ。学校に行かないことはもうそんなにも珍しくないわけよ」

 翔也や柚月が特別で、だからずっと私の子育ては間違っていたんだと責めてきた。「学校に行かないことは珍しいことではない」と言われ、内心ホッとしている自分がいた。

 「だからね、ママ。ママに話をする相手がいないのは、翔也や柚月の問題じゃないの。ひとえに、ママの問題ね」

そうハッキリ言われて、心にグサッと矢が刺さったような痛みを感じた。でも、確かにそうだ。自分の不遇を子どもたちのせいにしてきたなぁとまた、私は私を責め立てた。

 「あのね、ママ友ってのは、ママの友だちじゃないって知ってる?」

「えっ!どういうこと?」

「ママ友の中に、転園や転校をした後でも付き合いたいような人っていた?」

 子どもたちが幼稚園に通うようになって、自然とママ友ができてきた。だが、ママ友にはなんでも話せるような人はいなかった。おそらく、引っ越しをしたら、二度と連絡を取るようなこともないのだろうと思った。

 「あのね、ママ友ってのは、子どもの関係でつながった人たちね。ママ自身の友達ではなく、子どもにとっての友だち。そのお母さんってことよ」

確かにそうだと思う。私は独り合点して、話の続きを促した。

「だから、一言で言ってしまえば、友だちではないのよ。そういう相手に子育ての悩みを相談しようとしていること自体があつかましいわよね。あんたの化粧みたいに分厚いの♡」

と言って、「ブヒヒ」と下品に笑った。私はいつもお化粧をする暇もなく、すっぴんだったから、腹も立たなかったけれど。

 「でも、私、ママ友以外に友だちの作り方わかんないし…」

「だから、言ってるじゃない。ママ友は友だちじゃないって。友だちって、やっぱ似た境遇の方に会ってみることがいいんじゃない?」

「似た境遇?」

「そう!すっぴんババァの集まりとか♡」

いい加減、腹が立ってきた。

「なんなのよ、あんた、さっきからバカにして!」

天使は嘲るような表情で、さも驚いたようにのけぞった。その姿が、私をさらに腹立たせた。

「あら~、いいじゃない?ママはそうやって怒ってた方が元気が出てくる感じ。それにしても、落ち込んだり怒ったり、あんたは忙しい人ね」

「それをさせてるのはだれですか?」

私は天使と同じように、質問を仕返してみた。それなのに、天使は悪びれもせず、こう言った。

「落ち込むのも、怒るのも、それを選んでいるのはママでしょ?」

「えっ…」

「いい?アタシがママを腹立たせてるわけじゃないの。ママが私の言葉を聞いて腹を立ててるの。それを選んでいるのは、ママ自身だよ」

「私自身が選んでる…」

 天使はおもむろに時計に視線を送る。リビングの掛け時計は、もう柚月を起こす時間だった。

 「自分の気持ちも、ダメな母親だというレッテルも、全部選んでるのはあんただから。ママ、いい?自分のご機嫌は自分で取らなきゃ」

そう言い残して、天使は部屋を出ていった。私は小走りで柚月の部屋へと向かう。その間、天使の言葉がずっと耳の奥でジンジンと響いていた。


 イジワルな天使の教え2

 『それを選んでいるのは誰ですか?と問いかける』

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