第4話 涙のあとには

 ハッとして気がつくと、目の前で翔也がゲームに熱中していた。私はソファの上で眠りについていたらしく、体には毛布がかけられていた。

「あっ、起きた?」

「ごめんなさい。ちょっと眠っちゃったみたい。この毛布…」

「あ~、かけといたよ。そんなところで寝たら風邪引くと思って」

翔也は画面から視線を外さず、ぶっきらぼうに言った。私はなんだか、温かい気持ちになって毛布に顔を埋めた。でも、どうやらもう涙はでなさそうだ。散々涙したからだろうか。

 急いで、鏡を覗く。少し腫れぼったい瞼に、泣いていたことを悟られまいか心配になった。だが、私の顔を見る人などいないだろう。そう思うと、なんだかまた寂しい気持ちになった。

 やがて、柚月が帰ってきた。彼女は帰ってくると、今日の出来事を一切合切話してくれる。いつもはそれをゆっくり聴いてあげる余裕がない。話をし続ける彼女を見て、私はイライラしていた。「ただでさえ、翔也のことで大変なのに!」と思っていた私は、柚月にあまり愛情をもてずにいた。

 翔也は発達に凸凹のある子どもだった。それを指摘されたのは、小学校に入学する直前だった。

 集団生活が苦手な翔也は、幼稚園にもなかなか馴染めずにいた。それである日、幼稚園の園長先生から「会って話がしたい」と連絡をもらった。「私は何事か」と思って、幼稚園に向かった。だが、半分は覚悟もしていた。

 「翔也くんには、発達障害の疑いがあります。一度、きちんと検査を受けてみませんか?」

 園長先生は、慎重に言葉を選びながら話をしていることがよく感じられた。でも、私にはその提案は到底受け入れられるものではなかった。

「うちの翔也は、そんな子じゃありません!」

私は怒気を含んだ声を発すると、逃げ出すように園舎を飛び出した。あとで、自宅に園長先生から謝罪の電話があったらしい。私は電話に出ることができなくて、旦那が応対してくれたっけ。

 あれからだな…。幼稚園の卒園式、私は先生たちを避けるようにして、参加した。小学校だってそうだ。四年生で「学校に行きたくない」と言い出すまで、私はいつも怯えていた。この子が周りに迷惑をかけてしまうのではないかと。

 親である私が一番わかっていた。翔也はこだわりが強く、簡単に自分の考えを曲げられないところがある。幼稚園のときは、おもちゃの取り合いになっては喧嘩になり、手を出してしまうことがたびたびあった。

 小学生になって、少しは丸くなったものの、やはり年に数回は謝罪に行くことがあった。それぐらい手を焼いていたのだ。だからこそ、妹の柚月にはしっかりしてほしかった。これで柚月までが不登校になったら、私はパンクしてしまう。そう思えば思うほど、柚月に厳しく当たってしまう自分がいた。

 でも、今日は柚月の話を聴く余裕が生まれた。昼間、天使が聴いてくれたように、ただ「そうなんだね、そうなんだね」と言って、彼女の言葉に耳を傾けた。

 「なんだか、今日のママ、ママじゃないみたい」

そう呟くと、満足そうな顔をして、彼女は自分の部屋に戻っていった。

帰りしなに、

「ママ、今日のおやつ、何?」

と聞いてきて、私はハッとした。昼間に眠りに落ちていて買い物をし忘れてしまったことを思い出したからだ。

 すると、翔也が、

「冷蔵庫にケーキが入ってたぞ」

と言った。

 はて、そんなものを買っただろうかと、冷蔵庫を開けてびっくりした。冷蔵庫の中にはケーキが2つ入った箱があった。箱には3体の天使がハートの周りを飛んでいるロゴがあしらわれていた。

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