一夏の友

萬 幸

一夏の友

夏休み。

じいちゃんとばあちゃんの家に泊まりに来た、最初の日。

僕は退屈な木造の家にいるのが嫌になり、古臭い自転車をゆったりと漕いで、十分ほどの場所にある川辺に来ていた。

この川は富士山の雪解け水が流れているらしい。

試しに足をつけてみる。


「冷たっ!」


思わず声を出す。

暑さと普段こない田舎に来たという興奮に、少し夢を見ていた僕の意識は、絶対零度の流水によって現実に引き戻された。


「痛ったあ…」


あまりの冷たさに足がジクジクと痛く感じてきた。

それはスーパー銭湯の水風呂に入った感覚と似ていた。


「ここに来たのは初めて?」

「うん…」

「都会は川ないの?」

「あるけど、汚いよ」

「ふーん。あ、タオル貸そうか?」

「いいの?」

「いいよ」


痛む足をスリスリと摩りながら答える。


あれ?


「誰!?」


僕は思わず後ろを振り返った。

そこにはクスクスと笑いながら、タオルをこちらに差し出す少女が。


「クウゼン」

「え?」

「ク、ウ、ゼ、ン」


ずいっ。

さらさらな黒髪を靡かせ、こちらにタオルを押し付けるクウゼン。


「あ、ありがとう」


僕はおずおずとそれを受け取り礼を言った。


「クウゼンさんはここに住んでる人なの?」

「さん付けじゃなくていいよ」

「えっと…クウちゃん?」

「なにそれ」


クウゼンは笑いながら僕にこう言った。

普通、ここは呼び捨てにする流れでしょ。

これが僕とクウゼンの出会いだった。




泊まりに来て二日目。

僕はばあちゃんの作ったカレーライスを急いでかきこんしで、すぐに川の方に向かった。


「クウちゃん!」


川辺の木製ベンチに座る人影に声をかける。

昨日と同じ白いワンピースを着ているから、分かりやすかった。


「おはよう」

「おはよう! クウちゃん、探検しよ!」


僕はクウゼンにそう言って、この田舎の案内を頼んだ。


「ここが私の生まれた場所」

「この大きな木が?」

「そう」

「ふーん。変わってるね」

「そうかな?」

「そうだよ」


クウゼンは神社にある大きな木の根っこから、生まれたらしい。

変わった子だなあ。

僕はそう思ったが、すぐに探検の興奮によって、その考えをかき消した。




三日目、四日目、五日目が過ぎる。

東京の家から持ちこんだカードゲームを一緒にしたり、じいちゃんの作ったキュウリを一緒に食べたり、裏山のてっぺんに秘密基地を作ったりした。

楽しかった。

でも少しずつ、クウゼンの元気がなくなっていってるような気がした。


六日目。

クウゼンと僕はラムネを飲みながら、こんな話をしていた。


「私の歳?」

「そう」


うーん。

クウゼンは悩んでいた。


「多分、七歳と六日かなあ」

「へぇー。僕より歳上なんだ」


クウゼンの独特な言い回しを特に気にすることなく、僕はそんな風なことしか言わなかった。


「そういえばさ」

「どうしたの?」

「僕さ、明日、帰るんだ」

「そっか」


クウゼンは、最初にあった日よりも元気の減った顔で、寂しく微笑んだ。



七日目の早朝。

僕はクウゼンに会いにきていた。


「今日で帰っちゃうだよね」

「そうだね」


僕は寂しさに胸を少し痛めながら、強がってなんでもないような返事をした。


「これ」


クウゼンはそう言って、僕に朱色の御守りを渡す。


「くれるの?」

「うん」

「あのさ、来年も会える?」

「難しいかな」

「どうして?」

「ここを離れなきゃいけないから…」

「引っ越すの?」

「そんな感じかな。だから、もう会えないと思う。

その御守りは私だと思って持ってて」


クウゼンは今にも死にそうな顔でそう言った。

そこから先はよく覚えていない。

僕は、ありがとう、とも。絶対に忘れない、とも。また会おうね、とも言った気がする。

気がついたら、泣きそうな顔をして、じいちゃんとばあちゃんに宥められていた。

あっという間の出来事だった。

ばあちゃんは来年も会えるからと言った。

そうじゃない。

僕は泣きながら、じいちゃんの運転する車に乗った。

目に涙を溜め、窓の外の風景を見る。

モノクロだった。

でも、一つ色づいて感じるものがあった。

広い青空のもと必死に泣くセミの声。

その声は、まるで悲しみに暮れる僕を励まし、送り出しているようだった。



数年後。

僕はなんとなく、家の押し入れを掃除していた。


「おっ」


懐かしいものを見つけた。

クウゼンの御守り。

クウゼンといえば、あれから会えたことはなかった。

 

「クウちゃん、元気にしてるかなあ」


そう言いながら、少し色の落ちた御守りの袋を開ける。

本当はいけないことだけど、今は許されているような気がした。


「これは…」


中身を見て、僕は息を飲んだ。

中から出て来たのはセミの抜け殻。


「クウちゃん、君は……」


無機質な都会の空に蝉の鳴き声が響く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一夏の友 萬 幸 @Aristotle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ