第五章 孤独の魔法使い

第1話 先生は嘘は言わない

 ザジに促されたリディアが帰宅すると、アデルは不在で、師とシュリカが居間にいた。

 難しい顔で額を突き合わせていた二人は、リディアの気配にはっと振り返る。


「おかえり、リディア。お邪魔してるぞ」

「こんにちは、シュリカさん。……アデルはいないの?」


 前半はシュリカに、後半はイルザークに向けた言葉だ。師はそっと顎を引いて応え、言葉少なな彼の代わりに暖炉の炎がぼぼっと燃え盛る。


「坊ならお嬢のあと追っかけて出てったぞ」

「ええ? 全然すれ違わなかったけどな」

「最近は森の気配がおかしいから一人で歩かせたくないっつってた」


 リディアは眉を顰めた。

 なにも気づかず歩いていたリディアの速度には、アデルは追いつけない。きっと姿も見えないくらい後ろから、追いつけないと解っていながらも追いかけて、森の空気を探りながらオクに出たのだろう。


(……けんかちゅうなのに)


 心配してくれていることが照れくさいような、力がない自分が情けないような。

 複雑な表情で黙りこんだリディアに、シュリカは苦笑していた。


「リディア」


 葉の先から朝露が零れるような声に顔を上げる。

 イルザークはいつもの無表情のままだ。


「オクの南隣の町で自称・《黒き魔法使い》の目撃情報が上がった」

「えっ……」


 ──ありゃぁ南でなんかあったな。

 ザジの声が思い起こされる。ではやはり、あの飛び魚の群れは、南の《黒き魔法使い》から逃げてきたのだ。


「魔法教会から要請があったのでシュリカとともに討伐隊に参加する」

「……え、先生が? 討伐?」

「うむ。これから出発する。アデルが帰ってきたら鍵を閉めて暫らく家の外に出ないように」


 耳を疑いあっけにとられるリディアの目の前で、大人二人は「じゃあ行くか」「うむ」とうなずきあい、とっとと歩きだしてしまう。

 慌ててイルザークの黒衣の裾を掴むと、彼は音もなく振り返った。


「や、やだ先生、だって《黒の魔法使い》って魔王の第一配下なんでしょう? そんなのと戦ったら、先生すぐ死んじゃう」

「黒の、ではなく黒き、だ。それと『自称』をつけろ」

「そんなのどうでもいい!」


 自分で思っていたよりも、縋るような子どもの駄々のような、情けない声音になった。

 ぎゅっと両手でしがみつくと、ほんとうに小さな子どもになったような気になる。

 だけれど怖かった。

 弟子ふたりのことなど微塵も心配していないような口ぶりで、家を出ようとするその姿は、リディアと母を置いて出ていった父の後ろ姿そのものだった。


「だって先生はいっつも研究ばっかりなのに、攻撃魔法なんて使えないのに、みんなの病気や怪我を直す先生なのに、そんな……討伐なんて……」

「…………」

「…………おいイル」


 黙りこくるイルザークの脇をシュリカが小突いて、そこでようやく師が動いた。

 膝を折り、リディアの顔を覗きこむようにしゃがむと、蒼白い両手で頬に触れる。黒い指先が目元をなぞったことで、自分が涙を流していたことに気づいた。


「戦力として向かうわけではない」

「…………」

「教会から魔道士や魔法騎士が派遣される。このあたりの地理の案内として同行するだけだ」

「ほんとうに?」

「嘘は言わない」


 その通りだった。

 多くの魔法使いは、嘘をつかない精霊や魔物との契約を真摯に守るため、彼らもまた嘘をつくことを己に禁じている。


「しばらく戻れぬかもしれぬが案ずるな」

「いつ帰ってくる?」


 自分が子どもみたいなことをしている自覚があった。

 それでもイルザークは嫌がらず淡々と応じた。


「不届き者を始末したら。……長引くようなら、三日に一度は顔を見せる」


 感情の昂ぶりで赤みの差す頬を、イルザークの細い指先が丁寧に撫でる。

 前髪を梳いた指が耳を掠めて、リディアがちょっとだけ身を竦めると、彼はほんの僅かに目を細めた。

 落ち着きを取り戻したリディアがイルザークの首に抱きつくと、やや呆れたような吐息を洩らして、ぽんぽんとちいさな背中を叩く。


「……ごめんなさい」

「うむ」

「行ってらっしゃい、先生、シュリカさん。早く帰ってきてね」

「善処する」

「努力して!」

「…………わかった」


 若干間があったのが不満だったが、約束してくれたのでよしとしよう。

 玄関先まで見送ろうとついていくと、ちょうどアデルが帰ってきてドアを開けた。

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