バレンタインはまやかしだ

バレンタインはまやかしだ

2月14日

　今年も、「あの日」が来てしまった。若干そわそわする男子、いつもより少し荷物が多い女子、浮き足立った教室。わたしはそんな空気に辟易して、小さくため息をついた。

　バレンタインが面倒くさいのはモテない男子だけじゃない。むしろ、チョコレートを作るか否か、渡すか否かを考える女子のほうが頭を使う。それが楽しい子なら面倒くさくないのだろう。教室内を見渡すと、手づくりチョコを作っている子は多いし、女子同士でともチョコの渡し合いをしている子たちは楽しそうだ。だが生憎と、わたし……立石（たていし） 翼（つばさ）は「やったら喜ぶ人がいるけど、やらなくてもいい」系のイベントごとが苦手な質（たち）だった。

　――クラスの人たちにはお世話になってるけど、とりたてて数人を選んでチョコをあげたい人もいない。女子に至っては、何処までの範囲に渡すかで周りの見る目が変わりそう。だったらむしろ、誰にも渡さない方が平和に過ごせるはずだ――

　自分の机にほおづえをつき、ぼんやりクラスの様子を眺める。中にはクラス全員に作ってきたという猛者が、わたしの許へもチョコを置いていく。そういった子の受け渡しは授業のプリントを配るのと同じくらいあっさりしていて、受け取る側も気楽なものだ。

「ありがとう」

「いいえー！」

　向こうは全員に配っているとはいえ、一応お返しはしたほうがいいだろうな。わたしはそう考えて、ノートにこっそりとチョコをくれたクラスメイトの名前をメモした。

「Oh、今日はヴァーレンタイン・デイだね！」

　突然教室の入口から大きな声がして、皆がそちらを振り向いた。サンタクロースばりの巨大な白い袋を担いだ男子が、謎のステップを踏みながら教室に入ってくる。

「うっす歩高（ほだか）。今日はサンタの物まねか？」

「それとも他クラスの女子から大量にチョコ貰ったあとか？」

　入口近くに立っていた男子たちが、矢継ぎ早に声をかける。彼…田之島（たのしま）歩高はチッチッ！と人差し指を立てて横に振った。そのまま軽やかな足取りで教卓へと向かう。

「今日は何するんだアイツ」

「リア充爆発しろ、とか叫ばないよな」

「やりかねないけどな……」

　席の近くでぼそぼそ喋る男子たちの声に心の中で同意しつつ、わたしは演壇と化した教卓を見上げた。田之島は大きな机を手のひらでバン！と叩く。

「皆のもの、注目！」

　友チョコの配布に勤しんでいた女子たちが、びくっとして教卓の方を向く。

「女子からチョコが貰えるかハラハラしている男子諸君！そして、女子同士でチョコを分け合っている女子諸君！　……いつから、『バレンタインデーは女子から男子にチョコを贈り合う日』だと錯覚していた？」

　わたしが「はい？」と呟いたのと同時に、田之島は背負っていた巨大な袋を開ける。中からは、大量のチョコレートの袋が見え隠れしていた。教室の中ががおおっとどよめく。

「これは俺から皆への、日頃の感謝の気持ちだ！　配っていくからしかと受け取ってくれ！　貰い忘れた人はあとで俺に言ってくれ！」

　また、クラスの中からおおっという声がわき上がり、ぱらぱらと拍手の音も聞こえた。田之島は袋を担ぎ直すと、宣言通りクラス中にチョコを配り始めた。

「さすがだな歩高！」

「ヨッ、非リアの星！」

「田之島くん、面白いよね」

「ちょっと変だけどね」

　感心する人、茶化す人、面白がる人……色んなリアクションが聞こえてくるけど、皆好意的な反応ばかりだ。田之島はいつだってそうだ。突拍子もないことをするけど、結果的にみんなを笑顔にする。

「すごい人、なんだろうな」

「誰のことだい？」

　いつの間にか、田之島はわたしの机のところまで来ていた。ひとり言に返事が返ってきてびっくりしたが、聞かれたのでそのまま応える。

「田之島が。よくそんなにチョコレート用意したよね」

「このクラスの皆に感謝の気持ちを表すためなら、他愛ないことさ」

　芝居がかった口調でさらりと返しつつ、袋の中をごそごそ漁る。

「いつもありがとう」

「こ、こちらこそ」

　深々とお辞儀をした状態でチョコレートを差し出され、思わずこちらも席を立つ。受け取ると、彼は頭を下げたまま向きを変え、次なるクラスメイトへと渡しに行った。

――マメ、なんだよなぁ――

　田之島の演説で一変した教室の空気を背に、わたしはぼんやりと、貰ったチョコを眺めていた。

3月14日

　今年も、「あの日」が来てしまった。いつもより少し荷物が多い女子、にぎやかな教室。わたしはこれからやらねばならぬ作業に辟易して、小さくため息をついた。

　わたしはバレンタインにチョコをくれた人には、全員お返しを用意する。「気持ち」だから絶対返さないといけないものでも、それをホワイトデーにする必要もないのだろうけど、何となく返さないのは悪い気がして準備していた。それに、年に一回くらいはお菓子づくりをしないと料理の腕が鈍りそうだ。料理はほとんどしないが嫌いではないので、今年は少し凝ってマカロンを作ってみた。クリームと外側を別々に作るため数は作れないし、手間もかかるが渡す人数が少ないので別に構わない。

　作るのは楽しかったが、社交性の低いわたしが「お返し」を渡しに回るのはハードルが高い。自席に座っているところを狙ってサッと渡しにいきたいが、わたしにまでチョコを持ってきてくれるような社交性の高い子たちは軒並み活発で、なかなか自席に戻ってくれない。

「あの、バレンタインのお返し！　よかったら」

「えー、マカロン作ったの！　すごい、ありがとう！」

　ようやく対象の女子全員に返し終わったが、最後の一人がなかなかつかまらない。教室を端から端まで眺めて、気付く。

――今日、田之島が日直か――

　授業終わりなら教室にいるだろう。帰り際に渡そうと決めて、わたしは袋を鞄にしまった。

　　　　　◯ ◯ ◯

「田之島くん、終わった？」

「あとは黒板を磨き上げればバッチリだぜ」

「じゃあ、日誌出してくるね」

　日直の女子……実穂（みほ）ちゃんが教室を出てから、わたしは黒板をがしがしと拭く田之島に声をかけた。

「田之島、今いい？」

「なんだい？」

　わたしがマカロンの包みを差し出すと、田之島が黒板消しを自分の足に落とした。ガッ、という鈍い音が響く。

「うわ、大丈夫？」

　田之島は若干顔をしかめたが、それ以上のリアクションをとらない。視線はすっと、わたしの手の中の包みからわたしの顔に向いた。

「俺に、くれるの？」

「うん。先月くれたじゃん。みんなに。わたしはモノを貰ったらお返しはする主義だから」

「あ、ありがとう」

　わたしの言葉はぶっきらぼうになってしまったが、田之島は素直にお礼を言って受け取った。皆にフラットに渡していた割りに、お返しが貰えることは予想していなかったのか。受け取る側が動揺していると、こちらもざわざわしてしまう。

「あの、翼（つばさ）！」

「なに？」

「黒板磨き上げるまで、ちょっと待ってて」

「え？　わたし日直じゃないよ」

「知ってる！　あとちょっとだから」

　だから、突然呼び止められて、さらにざわざわが大きくなった。なんで、と問う前に日直の実穂ちゃんが戻ってくる。

「田之島くん、まだ黒板拭いてるの？」

「俺のピッカピカの基準には程遠い。まだ足りぬッ」

「うーん趣味の領域？　日誌は出したけど、私先帰って大丈夫？」

「もちろん。明日実穂が来るころには、ピッカピカの黒板がお出迎えだ」

「あはは……」

「そのときまでに落書きされてないといいね」

　実穂ちゃんはリアクションに困った様子で、わたしの顔を見る。わたしは適当に受け流しのレスポンスをして、帰って行く実穂ちゃんに手を上げた。

「で、黒板をピッカピカにする作業はどのくらいかかるの」

「もう少し……」

　これは1〜2分のレベルではない、と感じたわたしは、席に戻って本を読み始めた。

　　　◯ ◯ ◯

「えー、お待たせしました」

　目の前で声がして、わたしはビクッと顔をあげる。田之島と目が合い、そのまま前の黒板に視線を移した。

「……本当にピッカピカだ」

「だろ」

　ちょっとドヤ顔している田之島と、磨かれすぎてガラスのように光を反射している黒板を交互に見ながら、

「えーっと、用事は？」

と尋ねる。田之島はコホンと咳払いしてから、

「これを」

とわたしの前に包みを差し出した。一ヶ月前、クラスメイト全員に配っていたより小さい、高級なチョコレートの包みだった。

「えっ」

　意図が読み切れず、田之島の顔を見ると少し赤い顔でこう言った。

「いつから、『バレンタインデーにクラス全員に渡すチョコは全て義理チョコだ』と錯覚していた？　……いや、義理チョコだと思われるのをわかっていたから、こうして今日も用意したんだ。受け取ってくれるかな？」

「えっ、そういう、こと？」

　わたしの問いには答えずに、田之島は包みを持ったまま固まっている。その手は僅かに震えていて、らしくない緊張が、こちらまで伝わってくる。逃げたいくらいの張りつめた空気に耐えきれなくなって、わたしは言葉をしぼりだした。

「うん。……ありがとう」