てのひら

未翔完

てのひら


 俺は、人を叩くのが大好きだった。

 といっても物理的に殴るとかいうのではなく、ネット上でネタになりそうなやつをさらして、それを顔も本名も知らないような奴らと批判し、罵倒する。

 そういう感じの叩き、いわゆる〈ネットバッシング〉というやつだ。

 悪趣味だと思うだろうか?

 そう思うなら、勝手にすればいい。


 そうだ、一つ話をしよう。

 何故俺が、そんな外道の屑野郎に成り果てたか疑問に思わないか?

 ……思わない? まあ、君たちがどんな返答をしようとも、俺は勝手に話すだけだから聞き流すだけでも構わない。

 

 俺は極めて普通のサラリーマンだった。毎日残業ばかりで、休みもろくに取れない酷い労働環境にあったけど。今はそういうのが日本の普通のサラリーマンってやつなのかもしれないが。認めたくはない。

 新卒で入社してあまり時間は経っていなかったが、激務に悩まされストレスは日に日に溜まっていった。いわゆるブラック企業というやつだったのだろうが、当時はそんなことも考えられないほど忙しかったんだ。


 そのような日々が続いて、少しだけ忙しさが和らいだ頃。俺は気づいた。

 このまま何のストレスの捌け口も用意しなければ、俺は冗談抜きで死ぬと。

 大袈裟おおげさだし、今更かと思うかもしれないが、本気でそのときはそう思ったんだ。けど、急にストレスの捌け口を見つけようとしたって、俺にはこれといった趣味が無かった。だから俺は凡庸ぼんようで、ブラック企業にとっては格好のカモだったのかもしれない。……なんてネガティブな想像はやめるとして。

 

 さて、俺が趣味として見つけたもの。それがまずネットサーフィンだった。

 何も最初から人をけなすことを快楽としていたわけじゃない。

 何もない俺にとっては、ネット上で交わされる、何かを持っていたり成し遂げることができた人たちの会話だとか動画がとても楽しかった。

 俺の見ていた世界が広がるような気がした。

 学生の時には当然凄い奴もいて、そいつを羨ましく思ったこともあったけれど、その感情は極めて一時的なものにすぎなかった。けど、ネットは違った。

 スマホを顔の前に持っていくだけで、ネットの情報の波ってやつは俺に押し寄せてきて、世の中にはこんなことができる奴がいるんだということを見せつけてくる。

 最初はそんな奴らのことを見て、ただ単純に静かな興奮が高まっていた。

 けど、それは逆に俺の劣等意識ルサンチマンを更に増幅させただけだった。


 そんなネットサーフィンをやっていたのは通勤中の電車内とか、あるいは週一であるか無いかの休日だった。だから、一週間の大部分を仕事に支配されてルサンチマンを溜めこみ、更に束の間の趣味であったはずのネットでもストレスを感じる……なんて本当に馬鹿げたことだった。

 だけど、俺にはネットしかない。何の取り柄も、努力する才能ってやつもない俺みたいな奴には、ただ傍観者でいられるネットという空間は本当に心地が良かったんだ。けれど、楽な傍観者で在り続けたせいで逆に自分の居場所を見失って、自分はネットでも負け組なんだというネガティブ思考が生まれてしまった。ただそれだけを取り除ければ、あとは万事解決だった。

 

 そこで俺がやり始めたのが、そう。ネットバッシングだ。

 最初は……というか、ネットを始めた頃もその兆候はあったのかもしれない。動画のコメント欄とかで、少し勘違いだとか誤字などがあったときに指摘するというやり取り。それを何度か繰り返していく中で、段々と自分のコメントの口調が激しくなっていった。やっている最中は気づかなかったけど、今になったら分かる。あれは俺のルサンチマンから派生した悪意、ストレスの権化だったんだ。


 ネットバッシングを最初からやってやろう、なんて奴はいない。

 普通にネットを使っているだけで、顔が見えない匿名性ゆえか自然とコメントの口調が荒くなっていくんだ。それを更に助長していたのが、俺が抱え込んでいたルサンチマンだったというだけで。

 いや、それ以上に俺の中で何かが、ネットバッシングに俺を駆り立てていたのかもしれない。……いわば〈俺も何かネット上でやってみたい〉という、渇望かつぼう


 ネットにのめり込んでいく中で自らの劣等感から生まれた、更なる怨恨ルサンチマン

 それを自分の批判コメントの中に混ぜ込んで、相手に向かって放つ。

 そして、俺はストレスが解消するし、自分が何かを成し遂げたかのような達成感も得られる。それをやっているときは、本当に救われるような気分だった。

 

 さて、そんなことをほぼ毎日のように繰り返していた頃。

 その頃にはネットバッシングをする範囲がYoutubeやTwitter・5ちゃんねるとかにまで広がって、レスバトルだのネット語録といったちょっとした専門用語を使いこなし、自分なりに立派な〈ネット民〉になったかのような気分になっていた。今になって思えば、本当にしょうもない自負だったとは思うが。

 そんな年の夏に、ちょっとした長期休暇が貰えることになった。

 

 長期といっても、お盆の期間に三・四日間ほどだけだ。だが、俺はかなり遠くの方から上京してきているし、実家へ帰る気もなかった。

 それは表向きめんどくさいという理由だったが、本当は自分の今の現状に少なくとも惨めさを感じているからというのもあったのではなかろうか。何にしても、過去の話なので確かめようがないが。


 さて、そんなわけで会社から久々に貰えた二日以上の休みというものに喜びながらも、一体俺は何をすればよいのかと悩んだ。

 というのも、相変わらず俺はネット以外の趣味というものを見つけることができていなかったから。夏らしく外で運動するにしても、俺は入社してたった三年ほどで生活習慣の乱れによって太り、かなりの体力が失われていた。当然そんな状況で、心も疲れ切っていた俺に旅行なんて行く気にもなれない。

 そこで、家で何かしようすれば、俺の目線はスマホに注がれてしまう。そうなれば後は単純で、ネットへ依存した。結局その四日間ほどはずっとネット三昧であり、ネットバッシングも多くやった。

 全く生産性の無い、非合理的な時間の使い方であることはその当時でも薄々感じていたんだと思う。それでも、何か行動を起こす気にはなれなかった。

 ただ画面上で繰り広げられるネットバッシングで得られる、本当にちっぽけな優越感を糧に俺は生きていたんだ。


 ……そして。そんな無意味な休暇も終わり、また仕事へと復帰。

 その後、秋になってからいつも通り俺が仕事をしていると。

 何故だか知らないが、俺は上司に呼び出された。


 上司に付いていくと、そこにはスーツを着た弁護士らしき人がいて。

 知らされたのは〈俺が名誉棄損罪で慰謝料請求をされている〉ということ。

 俺は一瞬頭が真っ白になったが、すぐに思い当たる節を見つけた。

 あの、長期休暇でのことだった。

 俺は休暇中、一人の高校生らしきユーザーへのネットバッシング及びを行っていたのだった。

 その個人情報というのは、そのユーザーの本名・住所など様々。

 俺が特定したという訳ではなく、そのユーザーを同じように叩いていた名前も顔も知らないようなユーザーから送られてきたものを、そのまま書き込んだのだ。

 何でもそのユーザーは俺の書き込みに憤慨し〈プロバイダ責任制限法〉とやらを使って、弁護士を通じサイト管理者に対して、発信者=俺の情報開示を求めたのだそう。それによって、俺に50万円ほどの慰謝料を請求される形となったようだ。

 

 当然その書き込みは削除され、俺は慰謝料を支払うことになった。

 しかも俺の会社はブラック企業の癖に評判を気にして、俺に自主退職をせまった。

 俺もこんな会社やめてやると思い、勢いで辞表を出した。といっても俺の経歴の中には一つ搔き消すことのできない罪が残り、再就職に今も手間取っている。


 俺は今、後悔している。

 どうして俺はあんなことをやってしまったのだろうって。

 ネットの中に居場所を求め、よく知らない奴らと上辺だけの徒党を組んで一個人をとぼしめ、それで一体俺に何が残ったのだろうか。


 てのひらにあったちっぽけなものがひっくり返り、何もかも失った気がした。




「……って、話なんだけど」


「いや、話が暗いわー。いつもお前そんなの書いてない?」

 

 日曜日。とあるファーストフード店の中で。

 眼鏡をかけた少年が、目の前に座っている長髪の少年に対し自分が書いた小説の話をしていた。休日らしく、お互いラフな格好をして。

 

「そうかな……。まあ確かに、いつも僕の小説って暗い描写入るんだよね」


「だろ? やっぱり小説は人に元気を与えるものじゃないと。ほら、俺の小説の〈怪奇探偵ニャーロンの事件簿〉なんてミステリーなのに明るい話だろ」


「いやいや、それは主人公が猫型ロボットだからであって……」


「なんだとー。お前の小説だって……」


 お互いハンバーガーとポテトをむさぼりながら、二人の会話は小一時間ほど続いた。

 そしてその話が終わり、帰り支度をしている頃。


「なあ、今Twitterで回ってきたんだけどさ、これヤバくね?」


「……またバイトテロか。リツイートして批判コメも送っとけば?」


「おう。『こういうことやってる奴なんて、ガチで生きてる意味ないから』っと」


「ひどっ。まあ、面白いからいいや」


 二人は席を立ち、笑いながらファストフード店を出て行った。



 

 ネットバッシング。

 それは個人情報を晒さない限り、誰にも責任が問われないことが多い為、てのひら返しが横行しやすい。

 前言っていた意見と違うことを自分の都合が悪いからといって、180度変える。

 

 もし自分が何も持っていない状況で、何かを逆にしろと言われたら、一体あなたは何をひっくり返すだろうか? 

 内にある自分の考えや気持ちを反転させることは難しい。

 だが、てのひらをひっくり返すことだけは簡単に、誰にでもできてしまうのだ。


 それを更にやりやすくしているのが、ネットという場所。

 広いようで、とても狭い空間。


 あなたは、そうしていないだろうか?

 

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てのひら 未翔完 @3840

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