ザ・デイ・ビフォー・ロンギング

時津彼方

本編

「ねぇ、あなたは誰なの?」


「……」


「ねぇ、なんか言ってよ……。どうして私なんかを助けてくれたの?」


「……」


 ―――男は、ただ黙っていた。何も言わず、ただ彼女に向かって微笑むだけだった。そして男は、数枚のコインをその場に残し、消えた。


     *


「―――はいカットー。ありがとう。これで今日の撮影は終了でーす。おつかれ様でしたー」


 紺色に染まった現場に拍手の音が響く。その中に舌打ちが混ざっているのを、私は知っている。私の肩にゴワゴワとしたウインドブレーカーがかけられ、そのままロケバスに乗る。車内は今日の打ち上げの話で盛り上がっている。


「いやぁ、あと少しで終わっちゃうとなると悲しいですね」


 共演者の男性がしみじみと言った。


「そうですね。でも終わってからもまた集まりましょうよ、このメンバーで」


 私の隣に座った共演者の女性が、ねっ? と私に向かって笑いかける。私も笑みを返し、応えた。


「今日の飲み会行く人ー?」


 と先程とは別の共演者の男性が募ると、車内のあちこちから手が挙がる。監督の意向で、毎撮影終了後、親交を深めるために出演者で集まってご飯を食べることになっていた。

 今回の映画の監督はこの界隈では有名な人で、前作では大ヒットを記録した名監督だ。実際会ってみると、あーこの人についていったら間違いないなー、と思える人だった。監督は今作に、無名の役者を多くキャスティングした。私もその中の一人で、今作が二回目の出演ということになる。初めてテレビに出たドラマのエキストラの演技を見て、この人はいい、ということで選ばれたらしいのだが、まさかW主人公の一人になるとは……。


「紗英ちゃんはまた今度、何もない日に昼ごはん食べに行こうね」


 仲良くしてもらっている先輩役者の赤坂さんがフォローを入れてくれた。基本的にご飯会は居酒屋で行われるので、高校生の私は参加できないのだ。


「あ、すみません。僕も今日無理です。明日の用事が詰まってるので」


「お、そうか。じゃあ今日は二人欠席で、予約しときまーす」


 お願いしまーす、という声が飛び交った。駅に着くまでは様々な話で盛り上がった。他作品の愚痴、最近のニュース、演技について、などなど。その時はとても楽しかった。でも。


「はい、じゃあここでとりあえず解散ということで、お二方とはここでお別れで、機材の方は戻し次第合流ということでお願いします。では、また次の撮影も頑張りましょう!」


 ―――急に現実に戻ったように思える。私はW主人公のもう一人である砂籠さごもりさんと一緒に、少しいた電車に揺られていた。今日は偶然家からそこまで離れていないところでの解散であり、もともとタクチケをもらえるほど有名でもないので、二人きりなのだが、どうもこの人はあまり私のことをよく思っていないようだ。撮影中もずっと、私のミスに舌打ちして、場が険悪なムードになったことも何回かある。私自身の技量不足であるから監督さんに相談できるわけでもなく、ただ練習を重ねては舌打ちをされて、もう撮影も終盤に差し掛かろうとしている。

 とにかく気まずいムードを紛らわせようと、私から口を開いた。


「家、この辺なんですか?」


「まあ、そうだけど」


 同年代の癖に、ほんとによそよそしくて愛想ない。顔立ちはまさにイケメンでなタイプなのに、ここまでぶっきらぼうに塩対応されると嫌になってくる。話しても無駄だと思って台本を取り出し、次の撮影の箇所を見始めると、


「なあ、ちょっとこのあと時間あるか?」


 と砂籠さんが突然私を小突いて言った。


「え、ええありますけど……」


「そうか、じゃあ次の駅で降りるぞ」


「えっ、次の駅って、なんでですか?」


 私がわけを聞いても砂籠さんは口を閉ざして前を見る、先ほどまでのポジションに戻ってしまった。仕方なく、私は台本に目を戻―――すわけにもいかず、気まずさが倍増した空間に、ただひたすら車内広告を見て耐えた。


「降りるぞ」


 彼は立ち上がり、ドアに向かっていった。私も遅れないようにあとをついて行った。彼は改札を出てすぐのカフェに入っていった。何がしたいのだろう。もしかしてはっきりここでいろいろ言われるのかも。

 私はおびえながら彼の後ろをついて行った。



「注文、何にする?」


「えーと、じゃあアイスティーで」


 それとアイスコーヒーで、と砂籠さんが店員さんに話した。


「……あの、用件は」


「ああ、そうだった。あのー、な、そのー、なんだ。言いにくいことなんだが」


 と一度こちらの様子をうかがう素振りを見せたが、私は頷いて応えた。


「あのさ……どうやったらそんなに上手い演技ができるんだ?」


「……え?」


「いや、紗英ちゃんの演技って絶妙に現実味があって、見る人によってはすごく惹かれる演者さんだと思ってる。感情移入しやすいっていうか、限りなく見る人に寄り添える女優さんなんだなって」


 彼は急に饒舌じょうぜつになって、私を褒めだした。


「え、じゃあこれまで舌打ちしてたのって……」


「あ、聞かれてたか。申し訳ない。どうやったら君みたいな演技ができるのか、どうして自分はこんなに芝居くさい演技しかできないのかって、自分にムカついてたんだ」


「そ、そんなことないと思いますよ。先輩の演技、すごいです!」


「そ、そうか…………でも、やっぱり憧れは君だ。どうやって演技しているのか、教えてくれないか?」


 彼はもう無表情とは程遠い、感情豊かな顔でこちらに問いかけてくる。


「え、えーとですね、私は実は、学校であんまりうまくいってないんです。小さいころから役者の仕事で学校休みがちで、友達もあんまりいなくて、それで舞台の子役の仕事ばかりだったから、これまで一本しか作品に出てないわけで、しかもそれがエキストラで。興味本位で話しかけてくれる子もいるんですけど、次に学校に行った時にはもう見向きもしてくれませんでした。きっとよくわからない子だって思われてたんです。だから、本をよく読んでました。こういう生活、今じゃない生活、この世界じゃない生活に憧れてました。だから、私だったらこうするなって想像、たくさんしてたんです。それをそのままやってるんです。ほんとにそれだけで、あんまり応えられてないかもしれませんが」


 少し長く話しすぎたかな。そう思って彼の方を見ると、彼の台本の裏表紙に何かを書いているようだった。


「何書いてるんですか?」


「ああ、今の話をメモっておこうと思って」


「そんなに!?」


「ありがとう。ほんとに今回の現場で、君の演技が一番すごいって思ってる。そんな君が憧れっていってくれるなら、俺も自分の演技がんばっちゃおうかな」


「先輩はどんな感じで演じているんですか?」


「それはな……」



 それからたくさん演技について語り合った。好きな作品も、次に話す約束も。とはいっても、撮影の前に二人だけ集まって演技を見せ合うという約束だけど、それでも楽しかった。まさかこんなことになるなんて。

 とにかく今日は楽しかった。


     *


 私は帰り道、スキップしながら映画の主題歌をハミングしていた。周りには誰もいないので、気兼ねなくできる。いつもの帰り道とは大違いだ。

 私はこれまでいつも、悩んでいた。友達、勉強、演技、親の説得。高校生が抱えるには重すぎて、帰ったらいつも手足がしびれるほど泣いていた。風呂の中でずっと、明日はどうしようって考えすぎてのぼせることも多々あった。でも、今日は違う。ただ嬉しくて仕方がなかった。

 私と砂籠さんが主役をつとめた作品は、この一週間大ヒットしている。学校でも急に話しかけられるようになったし、勉強を教えてくれる人もいたし、中にはサインまで求めてくる子もいた。私はそれがただ嬉しくて、共演者の方々に報告してはみんなで喜んで、それが、ただ、楽しかった。

 砂籠さんはどうだろう。あの日の後の彼の演技は、これまでにいないほど私の演技とかみ合っていた。とても演じていて気持ちよかった。クランクアップの瞬間は二人で抱き合って泣いたっけ。そうしたらみんな集まってきて、これからこんなに楽しい撮影はないんじゃないかってくらいはしゃいだ。でも、もうすでに次の撮影の話が来ているらしい。今回以上の出来を、きっと。


 憧れられるような演技を、憧れる人に。絶対。

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