5 蒲公英の花ゆれる

 体育祭が済む頃には衣更えも終わり、学院の生徒達もすっかり夏服である。

 半袖とスカートから伸びる白くてほっそりとした四肢が眩しい。もともとの容姿の良さもあるが、自身の健康的な美しさに注目が集まっていることに杏樹は。


(最近はわりとおとなしくしてると思うんだけど。そんなに気に入らないのかな)


 ……視線の意味を微妙に勘違いしていたが、入学式から体育祭まで悪目立ちしかしていなかったので無理もない。

 とは言っても体育祭以降は悪い意味だけでなく一目置かれていたのだが、それも本人は預かり知らぬこと。そんな中で。


「ひ、緋上さん!」

「はーい?」


 体育祭以降、やけに杏樹に絡んでくる女子生徒がいる。

 杏樹の随分適当な返事にも緊張した様子でぴょこぴょこ走り寄って来るのは、美並玲於菜。話しかけられるようになったきっかけは勿論、例のタスキの一件だろう。


「次の授業移動だよ。化学室」

「それはわかってるけど」

「い、一緒に行ってもいい?」

「行く場所同じなんだからそれは構わないけど」


 杏樹の答えにぱぁっと嬉しそうな顔をしたかと思えば、手にした教科書と筆記用具一式をぎゅっと抱えて傍らに立つ。動作に合わせて明るい色の髪がぴょんぴょんと揺れていた。


(たんぽぽみたいね)


 玲於菜が動く度に視界に入る明るい色に、杏樹は結構どうでもいいことを考えていた。玲於菜の髪はくすみのない金色で、日影だろうとアスファルトだろうと根を張り花を咲かせる逞しい野花の色に似ている。

 絡まれてはいるが杏樹のほうからは別に友好的に接しているわけでもない。玲於菜もそれがわかっているのだろう、おっかなびっくりに話しかけてくるので馴れ馴れしいほどではない。多少気になるが、邪魔とまでは思わないので基本放置だ。……が。


「えっ、なに急に立ち止まってどうかした!?」

「いや、妙に斜め後ろ歩かれるからかえって気になって。どうせ目的地は同じなんだから隣歩けばいいでしょ」

「!うんっ」


 再びぱぁっと表情を明るくした玲於菜が隣に並ぶ。一応一緒に行くことを許可したのだし、並んで歩くことを嫌がるほど狭量ではないつもりなのだが。


   ○


 今日の授業はガスバーナーを使った実験である。

 杏樹と玲於菜は一緒に教室に入った流れで隣り合って座り、実験をふたり一組でやるように指示されたのでそのままペアを組んだ。今のところ仲のいい友達のいない杏樹には面倒が避けられてそれはよかったのだが。


「美並さん、代わろうか?」

「ううん、平気……っ」

「あ、そ」


 美並玲於菜は全体的にトロい。つまりいろんなことに不器用だ。悪意がないことは見ればわかるし、それをどうこう言うつもりはないのだが近くで見ているとハラハラさせられることもある。

 今のようにあまりにぎこちない手つきでバーナーを調節されたりした日には。

 ビーカー片手に記録をつけていた杏樹は見かねて交代を申し出たのだが、必死の形相でバーナーを握りしめる美少女にとりあえず引き下がる。本人が大丈夫と言い張るのだから大丈夫なのだろう、ということにした。


(ガスバーナーってそこまで死にそうな顔して扱うもんだっけ……)


 時間を測って記録をつけて、と自分の作業をするため目を離していたら。


「あれっ」


 間の抜けた声が真横から聞こえた。古今東西こういう状況でいいことがあった試しは恐らくない。


「なに、」

「っわぁ~っ」


 顔を上げた杏樹の目の前で、三脚の上で金網を挟んで火にかけられていたビーカーがポンッと音だけは軽快に吹っ飛んだ。実験中だったのだから当然ビーカーの中は沸騰した液体が……


「……っっ!」


 バシャッと派手な音がした直後、伸ばした左腕に濡れた感触。


(あーあ、)


 杏樹の心境はまさに「やっちゃったー」である。熱いとか痛いとかはまた後からくるパターンだろう。


「ひ、緋上さんっ」

「緋上!大丈夫か!?」


 玲於菜と教師の声が重なって聞こえた。

 目の前で蒲公英たんぽぽに似た色の髪がぷわぷわしている。それがクラスメイトの髪色だということはすぐにわかったが、何で目の前にあるんだという疑問が浮かんだ。


(あー、だから左手が濡れたのか)


 どうやら右隣に座っていた彼女を後ろに下がらせようと腕を伸ばしていたらしい。自分の体勢も動いて、真横から目の前に位置が変わっていたようだ。


「緋上さんっ、緋上さんっ」

「聞こえてる聞こえてる。ってかうるさ……」


 目の前で騒がれて杏樹が顔をしかめると、玲於菜はハッとしたように口を閉じた。

 幸いバーナーと三脚は倒れていないが、このまま実験を続けるのは無理だろう。ということで火は消した。


「緋上!」

「はーい、あー……大丈夫です」


 駆けつけた教師に改めて呼ばれて随分適当な返事をした後、自分の腕を見下ろして続けた。

 半袖から伸びた剥き出しの腕が濡れて赤くなってきている。目で見たことで再認識し、遅れてやってくるじんわりとした痛み。


「だ、だ、大丈夫じゃないよぉお!赤くなってるもんっ」

「ま、人体に影響するような薬品は使ってなかったし。熱湯がかかったようなもんよ」

「熱湯な」

「熱湯です」


 教師と確認し合うように続けたが、つまり普通の火傷である。量が多かったのもあって浴びた範囲は少し広い。

 杏樹は水道で軽く腕を洗い流した後、ハンカチで拭いた。少し考えてハンカチを濡らして固く絞り、火傷した箇所を覆う。

 剥き出しだと少しヒリヒリしていたその箇所が、幾分マシになった。

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