獄門首

梟首さらしくびを盗みたい、そう云うのかえ」


 法体の大漢は、呆れた声音で問い返した。


 荒寺である。内藤新宿を二里ほど離れた、杉と銀杏に囲まれた無人寺だ。風が抜ける本堂へ忍び込み、人目を避けて今日で三日。そろそろ噂がたつ頃合いだろう。


 本堂といっても廃屋同然だった。障子は破れ、床は腐り、その抜けた床に石を組んで二人の男が炎を囲んでいる。


 一人は坊主で、六尺ほどもあろう屈強な体軀。半寸ほど伸びた頭と顎を撫でながら、なにが面白いのかにやりにやりと口元が緩い。墨染めの衿元は垢に塗れ、懐に入れた手がゆっくりと胸元を掻いていた。


 いま一人は浪人だ。月代を伸ばして総髪となり、着流した腰のものは重そうな直刀である。実直に崩れた危うい目付きは、風に揺らぐ炎を一心に見つめていた。削ったような頬と揺らがぬ姿勢と。どんな子細があるのか堅気から身を持ち崩した元主人持ちに違いない。


「いやはや、そこまでお前さんがに惚れ込んでいたとはのう。拙僧一生の不覚。しかしながら、孫殿や。愚行としか申しようがない。捨て置け、捨て置け。は前世よりの悪行が祟り、ようやく六道輪廻を巡る冥土の旅路に着けたのだ。愚かな劣情から寝た子を起こすでないぞよ──と、まあ、そのように愚考するものだが。さて、如何に」


 投げ返され、孫殿と呼ばれた浪人は立ち上がり、腰に大刀を差す。


「龍海坊、達者で暮らせ」

「まあ、そう怒るな」


 にやりにやりと哂いながら、半寸ばかり伸びた頭と顎ををさすり、猫撫で声になる。


「なぜそれほどに慕う。性悪のの所為で、孫殿は浪々の身となった。場末の襤褸屋で母御前は憤死したと聞くぞ。その後も、まあ、抱き心地は滅法よいが、の本性はまさに悪鬼羅刹の類、色道の鬼。というより三有の欲界に堕ちた餓鬼かのう。まさか、今更、好いたの惚れただの、そう云うわけではあるまいて」


 吉田孫兵衛は、思い返すように目を細めた。どこか淫らな顔つきだ。


「呼ぶのだ、俺を」

「呼ぶ、のか」

「嗤いたければ、嗤えばよい」

「嗤わぬわい」


 炎を見る孫兵衛の目が、笑むように細くなる。


「呼ぶのだ、俺を。彼奴は毎夜、俺の床で挑んでくる。夜な夜な俺の傍ら滑り込み、あの声音で呼ぶのだ。朱い口唇を歪め、耳朶を噛み、迎えに来いと睦言のように囁く。応えられぬか、何故来ぬのか、さあ応えぬかと俺を責め続け、明け方まで帰らぬのだよ」

「ほう」

「絡みついては肉を開き、枯れるまで俺を絞り上げて、また囁いてゆく──首を攫え、連れて帰れと、な。気が狂いそうだ。否、狂っているのか、既に」


 龍海は、声を立てて呵った。


「とことん魅入られてしまったのだなあ」


 孫兵衛は、苛立つように眉を顰めた。


「俺ではない。だ」


 龍海は鼻を鳴らした。一瞬、新卒な顔となる。


「そうかもしれねえ。まあ、どちらでもよいが」


 と、懐から出した手には、黒光りする短筒が在った。大振りの掌にしっくり収まる夷狄の銃だ。回転する弾倉に指を滑らせ、愛しげになぞる。その目が恍惚と宙を彷徨った。


「ああ、こいつとまた暴れたいのう」

「酔狂な坊主だ」

「坊主は付き合いがよいものだ。覚えておけ」

「ああ」


 孫兵衛は笑んだ。眼前の龍海なぞ、目に入らぬかのようである。日が射すように咲み、大刀を抜いて炎に翳す。曇りひとつない刃紋に息を吹きかけ、目釘を確かめ、鋒に触れた指先に血玉が膨れた。


「今夜は寝めそうだ」

「そうか」

「明日で、よいか」

「明日は雨になろう。丁度よい」

「では、明日」


 二人は炎を挟み、地に転がった。寝息がたつ。


 林の奥で、梟が鳴いた。




(了)





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

畢生の夢 お役者小僧遺聞 濱口 佳和 @hamakawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説