第6話:幼馴染は夕陽のせいにする

 なんだかんだ三本連続で映画を観る羽目になり、気付けば時刻は夕方。梅雨入り前の5月中旬と言ってもすでに日は傾いている。


 さすがに三時間近くソファに座り続けていたので筋肉が固まっている。俺はググっと一伸びをしてから隣で満足そうに感慨にふけている弥生に声をかける。


「弥生。そろそろ帰らなくていいのか? おばさん心配するんじゃないか?」


「そのことなら心配無用だ。なにせうちの両親も旅行でいないからな。子供置いて家族だけの旅行とは、いやはや正気を疑うな」


「そうだな。そうなるように仕向けたのがお前じゃなければ、俺も両親の頭のネジが吹っ飛んだことを疑うところではあるな」


 なんのことだと言わんばかりに弥生は口笛を吹いて誤魔化した。健全な男子高校生の家に大事な一人娘をよこすなんていくら生まれたときから一緒に居ると言っても過言ではない関係だからと言えどあんまりではないか。


「何を驚いている? 別に私達二人でこうして過ごすことは別段初めてではないではないか。むしろ、今まで何度もしてきただろう?」


「…………そう、だったな」


 思い返してみれば去年も何度か互いの両親が旅行に出かけて弥生が家に泊まりに来たことはあった。だがあの時とは状況が決定的に違う。俺が改めて弥生を意識していることだ。


「だから、特に気にすることはないだろう? 今まで通り一緒にご飯を食べて、ゲームでもテレビでも観て、そして寝る。朝になったらご飯を食べて、それで帰宅する。ただそれだけのことはないのか?」


「いや……それは、そうなんだけどな。いや、違うというか……なんというか……」


「それとも純平は。私と二人きりで過ごすのが嫌なのか? それとも……私のような美少女と一晩明かすことを、意識しているのか?」


 自然と。そうまるで恋人がするように。弥生は俺の手に自ら手を重ねた。ひんやりした感触だが、しかし俺の身体は熱を帯びていく。


「純平は……私と一緒は…………嫌なのか?」


 すぅと身体を近づけ来る。目の前に弥生の、端整な顔立ちで誰も彼をも魅了する精悍さと可憐さの調和のとれた顔が俺の視界を埋め尽くす。


「い、嫌じゃ……ない、です」


 見慣れた顔のはずなのに。これまではこういうことをされてもただからかってきているだけと思っていたので意識してこなかったのに今は無性に恥ずかしい。


「フフッ。そうか。嫌じゃないか……よかった。私も、純平と一緒にいるのは嫌じゃないぞ? むしろ、嬉しいぞ」


 ありがとう、と言って蕩けるような甘い笑みを浮かべる弥生。それを見つめている俺の顔はきっととてつもなく惚けたものになっていることだろう。近くに鏡がなくて本当に良かったと思う。


「どうした、純平? 顔、真っ赤だぞ?」


 そう言ってからかってくる弥生。


「弥生こそ……真っ赤だぞ?」


 俺は視線を外しながら横目でそんな彼女を見ながら反論する。


「ふ、ふん! 気のせいだろう。もしそうだとしてもそれは夕陽のせいだ!」


 熟したリンゴのように赤く染まる頬は、決して窓から差し込む夕陽のせいだけではないのだが、彼女は少し怒ったように唇を尖らせた。


「わかったよ。そいうことにしてやるから、とにかくまずは離れてくれ。そうじゃないと……その、色々やばいから」


 今日だけで何度目だ、弥生と密着するのは。ただでさえ美少女でカッコよくて、豊満だけど締りの効いたスタイルで、男の夢が詰め込まれている魅惑の果実を携えて、照れた顔で見つめられたら、俺の理性がさすがに吹き飛ぶ。


「何が……ヤバイんだ? 教えてくれないか……?」


 だと言うのに。弥生はさらに俺との距離を詰めてくる。拳一つもないほど。ほんの少し俺が顔を動かせば初めてのキスが出来てしまうほど。期待と恐怖に瞳がわずかに潤んでいるのがわかった。いまだ握ったままの彼女の手も少し震えている。本当に。学習しない幼馴染だと俺は内心で呆れた。


「―――フン!」


「―――痛っ! 何をするんだ、純平! 痛いじゃないか!? いつからお前はそんなDV彼氏になったんだ!?」


「うるさい。お前が無茶をするからだ。少しは冷静になれ。弥生らしくない。それに……俺はまだお前の彼氏じゃない。ただの幼馴染。恋人っぽいことの中にはキスは入らないだろう?」


「あぁ……いや……そ、そうだな…………私は別に……構わないんだが……」


「そういうことは好きな奴としないとダメだぞ? 勢いとか、お試しでとか、そういうのでするもんじゃない。絶対にな」


 なんだか自分で言っていて辛くなってきた。


 本当なら。許されるなら今すぐここで弥生のことを抱きしめたい。これまでできなかった分、目一杯の愛情を込めて抱きしめて、そのぷっくり膨らんだ唇に逢瀬をかわしたい。そして、叶うことなら彼女の身も心も全て、独占したい。


 でも今はまだダメだ。俺がちゃんと気持ちを伝えて、それに弥生が応えてくれたら初めてそれが許される。一生に一度しかない初めてを、こんなごっこ・・・で奪ってはならない。


「わかったら離れろ。もう一度言うがお前の野望にはちゃんと協力する。恋人ごっこでも何でも付き合うから。今日はこのくらいにしよう。まずは週明け。一緒に登校だったか? まずはそこからだな」


「…………あぁ、そうだな。ありがとう、純平」


 弥生はゆっくりと身体を起こす。俺はソファから降りてもう一度背中を伸ばした。


「さて。弥生、夜は何が食べたい? トマトソースはもうないから何か作らないとダメだし、なんなら外に食べに行くか?」


「いや……いい。今日は帰るとするよ。少し浮かれていたから頭を冷やす意味も込めてな。純平のご飯を食べられないのはとても残念だが、また週明けに会おうじゃないか。そこから改めて、幼馴染の恋人ごっこのスタートだ」


 弥生も立ち上がり、腰をそらして首を鳴らす。


「今日はありがとう。映画を三本も観るなんて初めてだったからな! 色々懐かしかったし、楽しめたぞ! 純平の協力も得られたことだし、実に充実した一日だった」


「そうかい。弥生が楽しめたなら何よりだよ。でも本当にいいのか? 少し遅くなるが買い物に行って、夕飯一緒に食べなくて?」


「フフッ。本当に優しいな、純平は。大丈夫だよ。何から何までお前におんぶに抱っこでは私の良心もズタボロになってしまうからな」


 そう言って弥生は自宅から持ってきたノートパソコンを鞄にしまい、玄関へと向かった。俺はその後に無言で続いた。


「では。改めて週明けから宜しくな! ともに多くの幼馴染を救おうじゃないか!」


「書くのは弥生だろう? まぁ、頑張れよ。俺に出来ることなら大抵のことはしてやるから。あと、協力する見返りの話だけどな……」


「おっ! 思い付いたのか? なんだ、教えてくれ」


「……あぁ、いや。やっぱりいいや。また今度な」


「まったく……この意気地なしめ。まぁいい。それではな、純平。せめてこれが終わるまでには聞かせてくれよ?」


「わかってるよ。それじゃ、またな」


 最後に手を振って弥生は家に帰った。とは言っても歩いて十秒とかからない隣に建っている一軒家なのだが。


 ぎいっと音を立てて完全に扉が閉まった時。俺はその場に座り込み、膝の上に額を当てて深いため息ついた。


「たった一言。思いを形にするだけなのに、なんで俺は言えないんだよ…………」


 たった十文字の言葉。これに弥生への思いを全て乗せて口にするだけなのに、どうしてもそれが俺には言えない。


 その理由はわかっている。怖いからだ。この崖の上に立ち続けているような、生と死のはざまに立って揺れる、絶妙で微妙で曖昧な関係が壊れてしまうのではないかと考えるのが。一歩踏み出した結果天国にもなれば地獄にもなる。


「もし振られたら……一生引きずるわ」


 俺は独り言ちてから立ち上がる。うじうじしてばかりもいられない。


「まずは髪でも切ってイケメンになるか……って、アホかよ」


 ガシガシと頭を掻いた。そんなことでイケメンになれるなら世の中イケメンパラダイスだ。


「こんなアホなことばかり言ってないで、弥生の隣に相応しい男にならないとな。でもあいつなんでも人並み以上にこなすからなぁ。はぁ……前途多難だ」


 幼馴染を救うとか突拍子もなければ訳が分からない話になったが。まずは怠惰な学校生活を見直すことから始めよう。俺はそう決意しながら夕飯を何にするか考えることにした。


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