第八話「内部告発」
北乃花理事長と横綱狛ヶ峰が揃って会見しようというその二日前のことだ。インタビューに臨んだ日のことを京スポの堂垣はこう語る。
「最初はなんの冗談かと思いましたよ。ええ。その手の嘘はしょっちゅうですから。
でもまあ、うちのデスクの方針っていうか、それが京スポの良いところなんでしょうけど、取りあえずお前先方とアポ取ってみろ、っていう話しになって、連山関……いまは連山さんって呼んだ方がいいね。会うことになったんです。
大手の新聞じゃこうはいかなかったでしょうね」
堂垣が嘘報ではないかと疑った情報こそ、連山自身によるリークの申し出であった。前頭の連山を自称する者から、狛王を刺殺した狛犬の供述を裏付ける情報をリークすると申し出を受けたとしても、時事ネタに乗っかった虚報と多くの人が疑うのも無理はなかった。これまで現役力士の内からこのような内部告発者が出た事例は皆無だったからだ。
しかし真実よりも話題性を追及する京スポはその社是に則り、この電話の人物が指定したホテルの一室を訪ね、単独インタビューに成功するのである。
薄暗い部屋の中で、窓際に座る大男。
椅子に座るその右脚はギプスで固く固定されている。堂垣が最初に目を奪われたのは投げ出された右脚であったが、逆光に目を凝らすとザンバラ頭の連山自身である。
「関取、その頭……」
そう言ったきり、堂垣は絶句した。
「関取は止めて下さい。自分、もう辞めましたから」
「辞めたって、力士を!?」
堂垣が鸚鵡返しに聞き返したのも無理はない。重傷を負って名古屋場所を途中休場したことは知っていたが、引退したことなど一切聞いてはいなかったからだ。
「いつ、受理されたんですか」
通常、力士が引退しようというときには引退届を協会に提出し、これが受理されなければならない。無名の力士ならばいざ知らず、十両以上を一場所も勤めた力士ならばそこそこの大きさで広報されても良さそうなものであったが、連山の引退など寡聞にして知らない。
しかも無造作なザンバラ頭。
連山のように三十場所以上関取として在位した力士は、引退してもすぐには髷を切らないものだ。引退後概ね半年後に行われる引退相撲に備えてのことだが、連山の場合、引退相撲どころか引退した事実すら堂垣は知らなかった。
ということは連山は、何らか思うところがあって自ら包丁か鋏を髷に入れ、半ば部屋を出奔するような形で引退を決意したものと考えねばならなかった。
堂垣は自ら髷を切ったのであろう連山の心意気を一瞬にして汲んだ。いつ引退したのか、という問いにニヤリと笑みを浮かべただけの連山に対し、次のように問うたのである。前代未聞の単独インタビューが開始された。
「まず伺います。どんな思うところがあって、自ら髷を落とされたのでしょう」
「まず、私にはもう出来ることがありません。初土俵以来八年、ガチンコを貫いてきましたが、この怪我での復帰は絶望的であり、ガチンコを貫くことで土俵を正常化することが自分自身の力で出来なくなった以上、本当のことを言って改革してもらうしかないと思い、本当のことを言うことにしました」
「名古屋場所での怪我が、真実を話すきっかけになったと」
「怪我をしてから名古屋市内の病院に入院していたのですが、そこには大相撲中継を楽しみにしている入院患者さんや外来の患者さんがたくさんいました。
皆さん熱心にテレビに見入っており、力士に声援を送っておられる姿を見て、胸が痛みました。『おじいちゃん、あの相撲は注射なんだよ』と、行って教えてあげたいような、あげたくないような気持ちになりました」
「で、場所後に降って湧いたような八百長騒動」
「はい。ちょうど現役続行が絶望的という診断も出たころで、本当のことを言うのは今しかないと思いました」
「連山さんが、いま真相を語ることによって、『連山は負け相撲の意趣返しで内情をリークした』などという声が上がることを心配しませんでしたか」
堂垣が鋭く斬り込んだ。総じて内部告発者が最も触れられたくないであろう部分に、ほとんど無遠慮ともいえる聞き方で踏み込む堂垣。その点に関するインタビューをおろそかにしては、連山の訴えが世間に響くことはないだろう。そのように思われたからであった。
連山もそのことは重々承知しているようであった。連山は静かに言った。
「そのような声が上がることは当然のことと思っています。しかし当たらないと思います。そのことは、私の生涯戦績を見てもらえたら分かります。
仲の良い相撲雑誌の記者に教えてもらったんですけれども、私の幕内での勝率は五割をやや上回ってる程度だそうです。二番とって一番負けるか負けないか、程度の勝率です。
つまり今まで数え切れないくらい負けてる私が、今さら一番負けたからといって、そのことを理由に注射を告発するという理屈が成立しないでしょう。もし黒星に腹を立てて内部告発するというんでしたら、一体何回告発しなけりゃならないのか」
「純粋に、ファンに対する申し訳なさのためと」
堂垣の問いに、連山が
「自分の力で相撲界を変えられる可能性がなくなったことも」
と答えた。
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