第十八話「想定問答」

 各社の報道は俄然加熱した。

「序二段力士、角界の因習を暴露」

「狛ヶ峰に八百長疑惑浮上」

「求められる協会の説明」

「協会に公益法人の資格はあるか」

「土俵を覆う黒い霧。急がれる真相解明」

 一般紙、スポーツ紙、公共放送系報道番組からお昼のワイドショーまで、これらの見出しが踊った。

 それも当然の話だろう。

 力士が力士を刺殺するという事件がそもそも異常であった。その引き金になったのが最強を謳われた横綱による八百長の打診だったとなると、世間が騒然とすることは勿論、それに対する協会の会見が求められたことは当然の成り行きであった。

 

「なにを聞かれても八百長などやっていない、持ちかけたこともなければ持ちかけられたこともない。犯行動機に関わる狛犬の供述については、狛ヶ峰はまったく関知しない出来事である」

 狛ヶ峰は北乃花理事長とともに、協会専属の弁護士連合会策定した右の文言を主旨とする想定問答を必死になって頭の中に叩き込んでいた。

 協会側にとっての強みは、狛犬の供述が未だ他の現役力士によって裏付けられたわけではない、という点であった。捜査機関側が犯行動機に関わる狛犬の供述について裏付けなく送検するというのなら、協会として

「狛犬が供述した内容は裏付けられなかった」

 という立場を堅持すれば良いだけの話であった。

 弁護士から手渡された分厚い想定問答集を手に、汗みどろで記者会見の練習を繰り返す狛ヶ峰と北乃花理事長。

 ようやくひととおりの訓練を終え、弁護士が理事長室を退出したあとには大男が二人、部屋に取り残された。

 どっかりと理事長の椅子に座る北乃花。

「で、お前本当のところどうなんだ」

 理事長の問いに対して

「やってません」

 と即答できない狛ヶ峰。

 無論北乃花理事長とて狛ヶ峰の注射相撲を知らないわけではなかった。否、現役時代、命懸けのガチンコ相撲を貫いてきた理事長であればこそ、その取組が注射によるものかガチンコによるものかをひと目で判別することが出来るというものだった。過去には土俵上の一番を八百長相撲と看破して取り直しさせた審判員もいたほどだから、力士経験者とりわけ北乃花理事長のようにガチンコを貫き通した者にとって取組の真贋を見極めることなど容易たやすいことであった。

 理事長は、狛ヶ峰の取組が高確率で注射相撲であることを知りながら、

「本当のところはどうなんだ」

 と聴取したのである。

 やっていないのであればやってないと即答できる問いだ。 

 しかし狛ヶ峰はといえば、しばし間を置き

「……やってません」

 とようやくひと言絞り出すような始末であった。思い当たる節があって言いよどんでいると受け取られかねない答え方だ。

 一方で、

「本当だな」

 と念を押すことも出来ない理事長。

 狛ヶ峰が嘘をこたえたことなど百も承知だった。

 場所前、来たるべき名古屋場所の優勝予想を記者から訊かれて

「狛ヶ峰」

 とこたえたことを北乃花理事長は思い出していた。

 地力が落ち、最近では霧乃山あたりに勝てなくなった狛ヶ峰が優勝を確実なものにするためには、注射に頼るほかないことは理事長にとっては明らかなことであった。

 十五日間をガチンコで貫き通す苦しさを誰よりも知る北乃花である。もともとの体重が大きいとはいえ、一場所終えれば十キロオーダーで体重が落ちるほどであった。今日の取組を終えれば明日に向けて相手を研究し、取組のことが頭から離れるということがない。食は進まないし睡眠は自然と浅いものになった。一睡も出来ず翌日の取組を迎えるということも一再ではなかった。

 これが二週間と一日、ぶっ続くのである。

 平気な顔をして土俵に臨ん出いるように見えた横綱北乃花も、十五日間をぎりぎりの状態で乗り切っていたのである。

 もし明日の取組について勝敗をあらかじめ知ることが出来るなら、どんなにか気楽だろうか。

 現役時代、何度そう思ったかしれない。

 そして北乃花が羨んだような力士が、現に幕内で何人かいるらしいという噂を、現役時代の横綱北乃花は耳にしたことがある。そうと知りながら一切の売り買いや貸し借りに手を出すことなく現役を終えたことは、この男にとっては遺した記録に勝る金字塔なのであった。

 そして今、目の前のソファーに所在なげに座っているこの男といえばどうだ。

 北乃花が見積もったところによると狛ヶ峰がガチンコで臨んだ番数は、この名古屋では五番が良いところであった。残りの十番はカネで買った白星だ。

 近年現実味を帯びてきた限界説を吹き飛ばすためにも、狛ヶ峰は今場所、過去にない規模で白星を買うであろう。北乃花理事長はあらかじめそのように見越し、皮肉交じりに

「今場所は狛ヶ峰なんじゃないの」

 とこたえたのが真相だった。

 その狛ヶ峰。

 この期に及んで理事長に嘘を言った。北乃花はだから、

「本当にやってないだろうな」

 などと念を押すような無駄なことはしなかった。


 汗みどろの狛ヶ峰が理事長室を退出したあと、部屋に入ったのは大関霧乃山であった。

「狛犬の供述でお前の名前が出てるが、こんな事実はなかったよな」

 北乃花が霧乃山に問う。

 こんな事実とは勿論、霧乃山の付け人たる浦風経由で狛ヶ峰から八百長を持ちかけられ、これを断ったという事実である。

 いくら想定問答を練り込んで自分自身や狛ヶ峰が記者会見を切り抜けたとしても、関係者として名前が挙がった霧乃山や連山あたりから真相が漏れては何の意味もない。なのでこういった「ガチンコ勢」に対する口止めも、同時におこなわなければならなかった。

 理事長の問いに対して

「ありませんでした」

 と言葉少なにこたえる霧乃山。

 理事長は大きくうなづいた。

「俺は、お前を後継者だと思っている」

 理事長は嘘や懐柔のためではなく本心からそう言った。

 北乃花部屋の部屋頭たる北登きたのぼりは、数少ないガチンコ勢のひとりであり、実力者ではあったが大関獲りとなるともう一皮むけてもらわねばならない。その点霧乃山はガチンコ勢の総帥として八百長の権化狛ヶ峰に敢然と立ち向かう、角界の数少ない良心だった。北乃花理事長が、部屋や一門のしがらみを越えてガチンコで鳴らした霧乃山を後継者だと思い定めることは、ある意味当然のことといえた。

 そしてそのあたりの事情は霧乃山も十分に理解していた。狛ヶ峰は現役時代の実績もそのままに、年寄になっても要職を歴任するつもりのようだが、現役時代の注射相撲で人望を失った者が年寄になって重要な役職に就いた例が実はない。狛ヶ峰本人は強い意欲を持っていたが、周りの目は冷たかった。一方ガチンコで通してきた分、霧乃山に対する周囲の信頼は厚い。理事長は言外にそのことを指摘して、霧乃山を口止めした。

 組織を防衛することは、霧乃山にとっても重要なことであったのである。

「自分は狛関本人からなにか言われたわけではありません。自分が知らないことについて、あれこれ口にすることはありません」

 霧乃山はそうこたえて北乃花理事長を満足させると、理事長室をあとにした。

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