第五話「運命の出会い」

浩太郎こうたろう。いくつになった?」

 浩介こうすけはベッドに身を起こす浩太郎の傍らに腰を下ろして訊いた。浩太郎を挟んで反対側には雅恵まさえ。愛しい独り子を見つめる両親の優しい視線。

 浩太郎は父親からの問いかけに

「七歳」

 とこたえた。

 父親とこれまで何度も交わしたやりとりだ。それでも飽かずに笑顔で年齢をこたえる浩太郎。どんな些細なことであっても親が自分に関心を抱いてくれていることに、素直に喜びを感じているのだろう。

「じゃあクイズ。パパはいくつでしょう」

「えーっと……三十五歳!」

「正解! じゃ、ママは?」

「パパよりふたつ年下だから、三十三歳!」

「速いね!」

 父親から褒められて笑顔を見せる浩太郎。

「浩太郎は、三十五歳ってどう思う?」

「どう思うって?」

「若く見えるとか、おっさんだとか」

「おっさん!」

 それを聞いた浩介は、驚いたように目をまん丸にして

「パパはおっさんじゃないぞ!」

 とおどけながら、浩太郎をくすぐるように抱きしめた。浩太郎の笑い声が響く。

「よく聞いて浩太郎」

 浩太郎の笑い声が止むのを待って、浩介が切り出した。

 しっかりと浩太郎を抱きしめたまま。

「浩太郎は、もしかしたらパパやママの歳まで生きられないかもしれない。浩太郎は病気なんだ。筋ジストロフィー症っていう名前のね。

 身体中の筋肉が固くなっていって、足や腕が動かせなくなっていく病気なんだ。

 浩太郎の心臓の音、聞かせておくれ」

 浩介が浩太郎の胸に耳を当て、目を閉じながらうなづいた。

「今、一生懸命動いてる浩太郎の心臓」

 浩介は浩太郎の両肩を掴み、真っ直ぐにその目を見据えながら続けた。

「心臓も筋肉で出来てるんだ。身体中の筋肉が固くなるということは、心臓もやがてそうなる。そうなると……」

 それきり、浩介は恐い眼をしながら黙り込んでしまった。

 誰も、何も言わない。


 浩太郎の寝室に響くのは雅恵のすすり泣く声のみ。


「僕、分かるよ。心臓が止まって死ぬんでしょ」

 どれほどの時間が経ったかしれない。重苦しい沈黙を破ったのは浩太郎のひと言だった。

「ずっと、頭の中で考えていたことと同じだった。よかった」

 浩太郎の言葉に浩介が困惑する。

「よかったって……」

「だってそうでしょ? 幼稚園のときは出来てたことが、今は出来なくなってるんだよ? この病気は治らないんだって。悪くなるだけなんだって。

 僕知ってたよ。

 パパもママも、知ってくれてて安心したよ。僕から教えてあげなきゃいけないのかと思ってたから」


 この瞬間、この浩太郎の言葉を境に、一家は残された時間をただ惜しむことをやめた。時間を惜しんで嘆き悲しんでいる暇など、もうこの家族には幾許いくばくも残されてはいないのである。

 そんなことに時間を費やすよりは、限られた時間を懸命に生きて、一日一日に命を燃やすことに力を注がなければならない。日々浩太郎の身体を蝕んでいく病に対する、これがこの一家のささやかな抵抗であった。


 そんな浩太郎が大相撲に興味を抱いたのは、症状が悪化しいよいよ学校生活を諦めなければならなくなった、ちょうどそのころであった。ベッドに横たわる時間が増え、一人で出来ることもさほどない。

 視線は病室の天井。

 何やら騒がしい。大勢の人の声が、テレビのスピーカー越しに浩太郎の耳に入った。

 無論この歳まで大相撲というものを知らなかったわけではない浩太郎である。ただこのときは、千秋楽結びの一番、横綱同士の優勝を賭けた一番とあってひときわ大きな声援だったことが、いつもと違うといえば違う雰囲気だった。

 病室には両親。

「パパ……」

 浩太郎が浩介を呼んだ。

「どうした?」

「起こして」

 父親に助けられながらベッドに上半身を起こす浩太郎。

 狛ヶ峰の仕切る姿が大写しに映し出される。浩太郎がその姿を見て声を上げた。

「緑のふんどしのお相撲さん、強そう!」

「あれはふんどしじゃないよ。まわしっていうんだよ。この人は横綱の狛ヶ峰っていうお相撲さんだよ」

「ふーん。ところでねぇ、なんで試合始まんないの?」

 画面の中では両横綱が東西に別れて仕切りを繰り返している。

「ははは、試合とはいわないねえ。お相撲の場合は取組っていうんだよ」

「ねえ、なんで始まんないの?」

「見ときなさい。もうすぐだから」

 父が言ったとおり、何かを予感させるかのように声援はひときわ大きいものになった。時間が告げられる。

 仕切り線ぎりぎりの所に拳を着く両横綱。一瞬の静寂。


「はっけよい!」

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