第11話 私の家族を紹介します


私は一人っ子です。


私の両親にとって、待望の女の子でした。

母は体が弱く。流産を二度繰り返し、やっと授かったのが私でした。


私に兄弟がいれば、4つ上の兄と、2つ下の妹がいました。


「背中にね、羽が生えて、お空に飛んで行っちゃったのよ」


晴れた空の下で、手をつないで散歩しながら話してくれた母の言葉は忘れません。


話は変わりますが、私は今、父と離れて暮らしています。


父もいい年なのですが、経歴を聞くと割と破天荒でやんちゃしていたらしく、

今でさえ新聞を読む姿が似合う落ち着いたおじさんなのですが、


「俺は雪が嫌いだからこっちきたんだ!」


と、測量士になって高校卒業した途端にすぐ上京し、母に一目ぼれして、

嫌われても何度もアタックしていたというなんてメンタルの持ち主なのか。


この父に関して言えば、世代的に精神疾患になんてご縁すらないような、

高度経済成長期を生きた人間でした。偏見になってしまうかもしれませんが、

この世代が割と精神疾患や障害を享受することが大変かもしれません。


まだ統合失調症でさえ、精神分裂症と呼ばれ、病院に隔離されるような時代。

障害があれば、生殖機能を取り去られるような過酷な時代。ハンセン病すら、移すわけでもないのに、隔離されてしまうような、人の人権なんたるかを考えさせられるような時代であったと私は解釈しています。


双極性障害


その名を口にした私に、父は理解するとか、ショックだとかの前に。


「そうかぁ…でも、休むきっかけになったな」


電話の向こうでそう言いました。じゃあその病気って結局なんなの?と聞く前に、父は必ずなんでもこうします。


「原因はなんだったんだ?」


なぜそれが起こったのか、今日までに何があったのか。取り調べではありませんが、きちんと自分も娘である私も事柄の整理ができるように話しをします。


「これからじゃあどうしていくか」


という話もきちんと一つずつします。

私は双極性障害についてどのような病気かを口頭で説明しました。簡潔に伝えないと、父も混乱してしまいます。いかんせん活字の媒体でしかほとんど情報を得れない人なので、口が裂けてもググれ!なんて言えません。


「テンションがあがったり、鬱状態になったり、長く付き合っていく必要のある病気なんだよ」

「大変だな」


大変です。ええもう大変です。素直な感想どうもありがとうと私は思いました。


「治療すれば治るのか?」

「うーん、治るんじゃなくて、寛解っていう、お薬が無くても(中には気分安定薬をお守りで飲んでいる人もいますが)良い状態に近付けたらベストかな」

「なるほど…」


お父さん、どんどんなんか知らない事知れてよかった感が出てきまして。


「働けるの?」

「今無理」

「いずれの話」

「普通に働いてる人もいるし、てか…」


不労所得は叶いません。父よ。


「だからって、寝てばかりもなあって思うんだよねぇ」


と、言ったのは私です。そう、生活リズムの問題。

それまで、働くサイクルに合わせて体のリズムを整えていたところで、休みに入るわけで、私は生活リズムの事に不安になりました。

体を休めるのも大事ですが、何か小さな目標をもって生活をと考えていました。


「お前免許取りにいけばいいんじゃないか?途中まで行ってたけど、延長のための資金も出すから、それを目標にすればいいんじゃないか?」


そこで父から提示された事がいくつかありました。


1、朝起きる時間を決める。ただし、無理なくやる。


2、犬の散歩をして、運動する機会を作る。


3、食事をしっかり取る(この頃体重が落ちていました)


あと私は、薬(当時1日リーマスを600mg飲んでいました。現在は400mg)による浮腫み。父はそれを心配していました。浮腫みでどうも、私は顔も体も体重は変わらないのに風船のように膨れていたようです。


父と娘の関係というのは、会話もデリケートなところがあると思います。我が家にだけかわからないですが、私は自分の生理であったり、体の調子だったりをきちんと父に伝えることにしています。


母のガンの一件から、私たち父娘はそうなった気がします。逆も然り、父も血圧が高いとか体の調子はきちんと伝えてくれます。


話は戻りますが、最終的なところとしては、ひとつ目標をたてていけばいいのではないかという結論に達しました。


車の免許を取る。


これが私の目標設定となり、それに向けての生活リズム作りをすることで、何が変わったか。父も仕事をしているのであまり会う事はなかったのですが、たまに会うと新聞に載っていた健康情報だったり、


「今日は顔すっとしてるけど何かしてるのか?」


と変化に気付いては褒めをしてくれました。仮免許とった時も喜んでくれました。

何をしたかというと、私は1日1リットル水を飲むという事を続けて、体の循環を良くする事をしていました。

お酒もしばらくやめて、夜はハーブティー。昼間はネット通販で買った軟水の500mlを飲む。カフェインがダメだということがわかったので、コーヒーも紅茶も辞めました。

楽しみにしていたのは、休みの日に来る父との会話。その時だけお酒解禁です笑


「教習所どうだ?」

「夜は眠れてるか?」

「ごはんは?」


来るたび聞くのはそんな事。でも気にかけてもらって良いかなぁ。と私は思っていました。

父は優しい反面、とても厳しい人です。今でさえ優しいパパですが、幼い頃はとても厳しい人でした。親にも敬語、食事中はテーブルに肘をつかない。お箸もきちんと練習。暗黙の了解で、自分が席に着くまで食事に手をつけない。父が一番風呂。

「ありがとう」と「はい」の返事はしっかりする。文字も綺麗に書く事(小学生の頃は私の席の隣で文字のチェックしてました)。本もたくさん読む事(4歳ぐらいから図鑑のオンパレードでした)。

勉強も、運動も、別にできなくたっていいから最低限の事はしっかりしとけ。母も反対することなく、それを見守っていました。


頑固で真面目で、でもどこかのらりくらり生きていて。素直な父です。でも気がちっちゃいです(母を怒らせたあと後悔するタイプ)。


しかしどこかどっしり構えています。父の姉である伯母もそうでした。兄弟似るのか、伯母に至っては、


「これを機にお休みすんだねぇ」


とのほほんと笑


さて現在といえば。


コロナの影響で、あまり会うという事はしていません。父はタクシー運転手なので、いわゆる3密の状態。換気はしますが、父は私に何かあったらと会う事を躊躇しいます。電車にも乗るなと言うほど心配してくれています。

自分が大変なのにと思うのですが、生存確認で電話は定期的にしています。父は呼吸器疾患が弱いので、いつかかってどうなってもおかしくありません。私も喘息が若干あるので、かかったら1発です。


ちなみにこれを書いている本日、駅で会いました(パッシングしてるなあと思ったら父でした笑)。


父の事を書きましたが、全てのご家族がこういった形で互いに受容しつつ生活している事は少ないかと思います。双極性障害は付き合っていくしかない病気です。

いずれ私は結婚や妊娠を考える時が来るでしょう。父に孫の顔を見せてやりたいと思っていますが、私の飲んでいる薬は妊娠中には飲めないものです。


口には出しませんが、父は一切そういった事を聞いてきたことはありません。


私は恵まれている方かなと思っています。この病気を口に出すことによって、悲観されたり批判されたり、可哀そうと腫れもののように扱われたりしたことがありません。

私の情報発信もそうですが、父も「健康に生きていけると良いな」という優しさで見守ってくれる寛容さがありとても恵まれているかと思っています。


我が家のようにはいかない方が多いのは承知していますが、少しでも精神障害の方が、家族というコミュニティーのなかでも生き易くなりますように。




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双極徒然なるままに―私のこれまでとこれからの整理― まる @marumaru4527

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