第2話【萌芽。生きてゆく】

 ミソラは、夢を見ていた。

 かつて、彼女がウォルフガンと共に豊かに暮らしていたころ。世界が風に巻かれ消える前。彼女たちと共に過ごした子どもたちのこと。

 朝、その子たちはミソラよりも早く目を覚まし、勢いよくカーテンを開ける。安らかな眠りの空気を払い、朝を知らせる陽ざしを豊かに取り入れ、その子たちはミソラに声をかけた。

「おはよう、ミソラ」

「まだ、起きないの?」

「今日もいい天気だよ」

 ——ええ、もう起きるところ。

 さらに窓を開ける。外の緑に色づいた山や遠くの草原。放牧されている牛や羊たちが鳴き声をあげていた。

 幸せだった。

 たとえこの世界が潰えるとしても、この子たちだけは——。そう、強く思った。



 真っ暗な静謐の空間で、ミソラは目を覚ました。

「ウォルフガン。あの子たちは……」

 仰向けのまま、半ば寝ぼけてそうこぼした彼女の目の端に、涙がたまっていた。

 それを小指で払い、数瞬の後に、事態を呑み込もうとする。

「私……目が覚めて……?」

 目が覚めたのなら、ここはいつのどこかしら。ウォルフガンは?

 不思議と体は動く。まるで荒廃した世界を見たのが昨日のことのよう。なら、さほど時間は経っていないのかもしれない。

 起き上がって冷めた床をゆったりとした足取りで進み、壁に触れた。沿うように進み、感触の異なる壁にたどりつく。切れ込みが入っていた。——扉がある。

 少し力を込めると、縦一線の光が差し込んできた。暗闇のなかでようやく、自分の手や足を視認できた。

 さぁ、この扉を開いて先に進もう。たとえその先が荒れ果てた物寂しい世界だとしても。

 そう思い、念じて扉を開いた。あふれんばかりの陽光が、彼女を出迎える。

「……ッ!」

 そこで見た景色に、彼女は目を奪われた。


 その日は、陽が高く上り空も透いて伸びやかに広がっている。太陽が街を照らし、天下の往来は人の喧騒でごった返していた。市場や広場での賑わいが、まるで昨日のことを嘘にするように人々は騒がしく平和に過ごしている。人は行き交い、ぶつかり合いながらも時折笑う。そうして生きる姿があった。

 ただ、彼女が目にした彼らの装束や建物の意匠。舗装された道の形まで、彼女の持つ常識から全く異なる様相を呈している。

 見たこともない装束。

 見たこともない建物と道。天を衝く銀の建物の群れ。

 緑の山は? 草原は? ふもとの畜舎は? 

 目の前で、真鍮色の牛車らしきものが空を飛んでいた。ただ、牛はおらず、人が動かしているようだ。

 自分は昨日、荒廃していく世界のなかで、数多くの失われていく命を見た。都市と呼べるものはすべて崩れ落ちていた。

 ——それなのに。

「人が、こんなに……」

 それ以上の言葉がでない。

 目覚めたばかりの彼女にはあまりにも刺激的だった。

 これは現実なの。それとも、夢?

 すると、

「おはよう。ミソラ」

 振り返ると、自分と同じ薄紫色の髪と、翡翠色の瞳をした男が立っている。 

「寝ざめの気分はいかがだろうか」

「ウォルフガン——?」

「ああ。おはよう」

 彼女にとっての昨日と変わらない、穏やかな笑みがそこにある。街並みの驚きをまだ引きずっていて、つい声が上ずった。

「おはよう。あの、いまは——」

「あの日から、彼らの尺度で言う一万五千年と百二十八日のあと」

「いちまんっ——?」

「君には一瞬だったかい。僕には、とても永い時だった」

「あなた、もしかしてずっと——」

「ああ。君のそばにいたよ。残された子たちが成長して自立したときも。その子たちが結ばれ、新たな人を生んだときも。その子らが死に、さらにその後胤たちが群れを成して、街をつくり、国を興し、戦で果て——それが気の遠くなるほど繰り返されるなかを……」

「それでも、こんなにひとが——」

 ——あのとき、荒廃していた世界に、これだけの。

「それが人という『種』の性だ」

 ウォルフガンは、さきを見据えながら言う。

「彼らは自らの使命で殖え、群れを成せばひとりでに散っていき、その活動圏を拡げながら、くじけず生きてきた。どこまでも本能に忠実で、たくましく、そして力を合わせることで大きな力を発揮する……」

「人という種が、拡がり、散りばめられ……」

「僕は、こう思うよ。ミソラ——」

「ウォルフガン?」

人間たちかれらを信じてよかったと……」

 そのとき、彼女は目の前の光景を現実として受け入れられた。彼と共に残せた昨日の世界が、はるか時を超えてこの今に繋がっている。

「そしていま。一万と五千年を超えて、こうして目覚めた君と再び出会えた。僕はその感動に打ち震えている」

 ——あら、そうなの。そうは見えないけど。

「そ、そうかな」

 肩の力が抜けたのか。ミソラはくすりと、いたずらっぽく笑って見せる。

 するとウォルフガンは、「表情に乏しくてすまない」と、とりなすように苦笑いしつつ、

「元来、愛想笑いは得意でも、満面を笑みを浮かべたりするのは苦手で……それは一万五千年経っても変えられなかったな」

 と、柔らかく結んだ。

 ミソラは、目の前の光景に向きなおし、彼の隣に立つ。

 そして、言った。

「ありがとう。ずっとそばにいてくれて」

 彼をよく見ると、ウォルフガンの頬に涙が伝っていた。彼はあわてて目をこすり、「こちらこそ、ありがとう」とかすれた声で言う。

「ミソラ。また会えて、とても嬉しいんだ。——それは本当だ」

 さらに、小さく笑いながら、

「この一万五千年。微睡むたびに何度も君の夢を見た。君と生きた追憶の街の景色を。——何度も」

 その翡翠色の瞳は目の前で懸命に生きる人々に向けられている。彼らが守った子たちの子孫を。

 ミソラは頷いて。彼の手を取った。

「これからまた、そうして過ごしましょう。いまのこの地に生きる彼らの子たちと」

「ああ。そして……」

 彼と彼女は手を取り合う。

「一万と五千年の軌跡が生んだ今に、君と語りあかせる幸せをかみしめよう」

 ふたりは再会を祝し、穏やかな陽を浴びられる場所で、このまま安らいだひとときを過ごすつもりでいる。

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翡翠の瞳が見た未来 ななくさつゆり @Tuyuri_N

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