うたが広がる

らび

あやしい音程



 小学生の頃、音楽の時間にクラスのみんなで歌うのが大好きだった。ちなみにわたしは正しい音を覚えるのも、それを再現するのも苦手な方。

 わたしは何回も修正して練習して、〈大丈夫だ〉と思えるまでは、なかなか大きな声で歌うということはむずかしかったけれど、最初からのびのびと音を外して歌う子もいた。どのクラスになっても、2人はいた。


 まだ新しい歌を習い始めの段階。わたしは何故かそういう子の1人挟んで隣ぐらいにいることが多かった。両隣は〈普通に歌える子〉。〈のびのび外して歌う子〉はのびのび歌うので声がよく出ていた(ハキハキと歌う子のパターンもあった)。まだ、自分が音を外していることに気が付いていなかったのかもしれない(もしくは、そんなことを気にしないのかもしれない)。

 わたしは歌うのは好き。だけど自信がない。自信がないのでふやふやと不安定に大きく聞こえる方につられていってしまう。間に1人〈普通に歌える子〉をはさんでいるにもかかわらず、かなり早い段階からつられていた。

 結果、〈普通に歌える子〉は両隣から音程を外され、怪しげなメロディーを拡散させる側になってしまうのである。


 怪しげなメロディーは本当によく広がる。歌いながら横へ横へ。前へ斜めへ。「あれ?」という雰囲気と一緒に元の歌とは違う歌――当然、歌詞は同じ――が拡散していくのがよくわかる。そういうとき、わたしは「ああ、食い止められなかった! ごめんなさい!」という気持ちで最後まで誤った音を波及させる。何度歌ってもそうなる。わたしは拡散させる側の人間なのに申し訳ないことだけど、だんだん可笑しくなってくる。

 しかし、何故かどのクラスになった時にも、どんなに怪しい音が広がろうとも絶対につられない屈強くっきょうな歌い手がいた。

 彼女らは歌に自信があり、そして2人並んでいるので決してつられない。

 ピアノを弾く先生が「あら、おかしいわね? もう一度」と繰り返すうち、だんだん〈音の狂い目〉が明らかになってくる。そして〈犯人グループ〉が分かった時、先生による配置換えが行われる。大本おおもとの子はなるべく被害を出さないよう、前列の一番端へ。その横に屈強な子。あとはだいたい元のままバランスを見て、時々左右入れ替えられる。

 みんなが元の歌が分からないくらいの惨事さんじになった時には、屈強な子を中心に置く作戦もとられた。この場合みんなが音をとる分には良いが、合唱のバランスとしては彼女らの歌う位置は中心ではない方がいいらしい。みんながある程度音を取り戻したら役目を終え、適切な場所へ動かされていた。

 正しい音程を何度も聞かせてもらって練習したり、引っ張ってくれる子が横に来たりで、わたしもようやく拡散させる側から抜けられていた、はず……。


 みんなで上手に歌えて先生に褒められるのは嬉しかったけれど、わたしはやっぱり、新しい歌を歌う時、変な歌の発生源の近くでそれが拡散していくのを感じる時の面白さ、配置換えの楽しさも、上達してみんなで大きな声で歌う一体感や、爽快さと同じくらい捨てがたいと思うのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

うたが広がる らび @vvvravivvv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ