エウロパの街の片隅で

成井露丸

エウロパの街の片隅で

「ドーナツ化現象って知ってる?」


 尋ねてきたのは小学生くらいの赤毛の少女。

 僕が覚醒してから、初めて話しかけてきたのが彼女だった。


「もちろん知っているよ。二〇世紀後半に地球上の多くの都市で起きた現象さ」


 女の子は机の上に両肘を突いて「そうそう、それそれ」って嬉しそうに首を縦に振った。色白な頬がほんのり染まる。


「ドーナツ化現象は、人々が薄っぺらく広がって住んで、中心市街地が空洞化する現象さ。真ん中をドーナツみたいに空けて皆が遠くに住むんだ」

「えっと? どうして、わざわざ遠くに住むの?」

「自動車が家庭に広まった時期だったからね――モータリゼーション。街の真ん中じゃ大きな家にも住めないし、郊外の方が生活の質も向上するって思ったのさ」


 少女は琥珀に輝く瞳を大きくして、首を傾げた。

 街の片隅にある市民センターの雑然とした景色を背景にして。


「でも、やっぱり遠くに住むと、お出かけにも時間が掛かるんじゃないの?」

「自動車での移動だから、楽で便利だと錯覚したんだろうね。まぁ、結局は時代の幻想。新しい世界に夢を見たのさ」

「――それで、どうなったの?」

「次の波で有耶無耶うやむやになった感じかな。結局、移動時間も掛かるし、人が薄っぺらに広く住むと、公共サービスのコストも上昇して、質も低下するしね」

「う〜ん。難しいのね」

 小学生にしては高度な質問。

 僕は、彼女の知識水準を蓋然的がいぜんてきに高く見積もることにした。


「私の家も、お庭があって広いけれど、それも地球から遠く離れて住んでいるからなのかな? ねぇ、私たちが地球から遠く離れてエウロパに住んでいるのも、ドーナツ化現象なの?」

「――良い質問だねっ!」


 ※


 地球からエウロパまでは遠い。

 光でも移動するのに約三〇分かかるくらい遠いのだ。

 この時代になっても、人類はまだ光速を超えられずにいる。


 人類が地球を離れ太陽系の様々な星に住むようになってから、随分と年月が過ぎた。光速は超えられずとも、宇宙開拓は進み、人々は新たな星へと移り住んだ。時代の幻想として、豊かな住環境、人間らしい尊厳と希望ある未来を喧伝しながら。


 実際に、エウロパの街に住む人達もそれなりに豊かな暮らしを送ってはいる。華やかな未来と、無限の可能性を、夢見ながら。代わり映えのしない毎日を。


 ※


「ねぇ、どうして、女の子が世界一の研究者になる夢を見ちゃいけないの?」


 その女の子は中学生になっていた。長くなった赤い髪をポニーテールに括って、中学校の制服を着て、少し膨らんだ胸元にはコバルト色のリボン。


「いけないことはないよ。女の子も男の子も職業選択に関して等しく権利を持っている。これは人類普遍の真理だよ」

「でも、お母さんも先生も、やめた方がいいって言うの」

「――何をだい?」


 少女は息を止めて思案する。それから、薄っすらと開いた唇から吐息を漏らすと、上目遣いに、それでも瞳を輝かせて、彼女は僕に告白した。


「あのね。私、宇宙都市工学の研究者になりたいの!」

「それは素敵な夢だね!」

「……でしょ? だから、私、高校でもウンと勉強して、大学は地球の大学に行きたいの。エウロパの大学じゃ、全然、先端の研究は出来ないらしくて、やっぱり、地球にあるに行かないといけないと思うの!」


 そう言うと、彼女は机の上のコーラのストローを口に咥えた。

 甘い炭酸水が気持ちよく啜られる音がする。すっきりしたような顔。


「僕も応援するし支援も惜しまないよ。女性と男性に差異なんて無いんだ。君の未来は君だけの物だよ」

「そう? ありがとう! 私、頑張るね!」


 そう言って、君は笑った。


 男性と女性に差異は無い。君の未来は君だけの物。

 そういうことになっているのだ。

 たとえ現実は違えども、僕が語る言葉もまた、世界が語らしめる言説に従う。


 ※


 人類が太陽系に広く生存圏を広げたことで、インターネットの概念も随分と変わった。

 地球上で多様な情報を均一に広めて文化を爛熟させたインターネット。しかし、その通信の速度は、やはり光速を超えられないのだ。

 光速を超えられなければ、月と地球の通信でさえ一秒以上かかる。木星と地球の往復なら一時間かかる。


 通信同期の遅延は避けがたく、星間の情報トラフィックは制限された。だから、片田舎でしかない木星のエウロパには、遅れた情報しか届いてこない。

 それでも、人々は、地球から少しだけ取り残されたこの星で、そこそこ豊かに暮らしていた。


 ※


「人はどうして恋をするのかしら?」


 高校生になった君の質問は、少し哲学的だった。

 人は思春期になると、逆に想像と概念の中に生きだすのだろうか。

 青春時代にある現実からの逃走は、普遍的な現象だ。


「異性のつがいを求めるのは、子孫を残そうとする生物学的本能だからね」

「もう! そういうことじゃなくってね」

「好きな人でも出来たのかい?」

「……うん」


 大人っぽくなった少女は恥じらいながらも頷いた。肩まで伸びた黒い髪が頬に掛かる。

 高校生になってから、彼女は赤い髪を黒く染めた。珍しい赤毛は学校では悪目立ちするらしい。

 この世界では、美しい黒髪は青春時代の高校生の象徴。地球圏から流れてくる娯楽ドラマに現れる少女が大体そうだから、色素の薄いエウロパの少女たちは髪をよく黒に染めたがる。


「受験勉強は順調かい?」

「あー、あなたもそれを聞くのね! 学校の先生とか、お父さんみたい。頑張ってるわよ。私、頑張ってるのよ? でも、エウロパから地球の大学を受けるのって、凄く不利なの。情報も来ないし、一緒に受験する友達だって少ないし。――みんなに変な目で見られるし……」


 俯いた君は「……大学、諦めようかな」と微かに漏らした。

 そんな話をした日から、彼女はしばらく市民センターに来なくなった。


 やがて、二つ季節が過ぎた頃に、僕は彼女の受験の結果を知ることになる。彼女は地球の大学入試に落ちて、結局、この街で進学することにしたのだそうだ。

 この片田舎――エウロパにある大学に。


 ※


 数百年前、地球上の情報検索や行政支援、自動計画は分散型マザーコンピュータが一手に担っていた。しかし人類が地球の外に移住しだした時、問題が生じた。他の惑星から地球のマザーコンピュータに問い合わせると、各通信に一分以上かかってしまうのだ。これでは、リアルタイムな検索も計画も困難だ。だから進化を遂げる必要があった。

 やがて、マザーコンピュータの機能はより上位の意思決定システムから高度に分散化され、非同期的な星間通信によって統御されるようになった。分散型を超えて進化したマザーコンピュータは、拡散型マザーコンピュータと呼ばれるようになった。


 ※


「心理学部に転部しようかなって思うの。どうかしら?」


 久しぶりに市民センターにやってきた君は、赤い口紅をつけて、黒いカットソーを着て、柔らかそうなプリーツスカートを穿いていた。どこか垢抜けた君は、黒い髪をふんわりとしたボブに浮かせる。すっかりお洒落な大人の女性。街の中央のデパートで買っただろう服。 


「宇宙都市工学は、もういいのかい?」

「――そんなの、子供の時の夢よ? それに……うちの大学の宇宙都市工学じゃ、五〇年前の研究に追いつくのが関の山。それに、エウロパには宇宙都市工学の研究者の働き口なんて無いんだし」


 そう言って君は「いいの、いいの」と手を振って笑った。


「どうして、心理学部なんだい?」

「だって、誰かの役には立ちたいから。困っている人とか、悩んでいる人とか? それに、――子育ての役にも立つかなって」


 何だか君の言葉は言い訳じみて聞こえた。まぁ、それが何かの言い訳であっても、僕は一向に構わないのだけれど。

 彼女は両手を握って「それにね、彼も、その方が良いんじゃないかって言うし」と惚気けてみせる。

 彼女の言うエウロパの雇用情勢は事実だ。心理学で学び大学を卒業してから結婚し、子供を産み、学んだ知識を多少なりとも子育ての中で活かす女性が多いことも事実だ。

 でも、彼女の琥珀の瞳に、小中学生の時のような輝きは無かった。


「それが君の選択ならば、僕は良いと思うよ!」

「――うん、私もそう思う!」


 そう言うと、なんだか安心したように、彼女は「ありがとう」と一つ頭を下げた。そして、立ち上がると肩からポシェットを揺らして市民センターを後にした。


 それからしばらくして、僕は、彼女が子供を身籠って、大学を中退したことを知った。


 ※


 拡散型マザーコンピュータはネットワークの上に明確な境界を持たない。太陽系にばら撒かれたノードをシームレスに繋いで活動し続けている。距離の遠い惑星間は、自律ノード群を宇宙空間に漂わせて、それを媒介としながら情報の鎖を繋いでいる。


 この時代になっても、人類はまだ光速を超えられずにいる。

 だから、遠い星のノードは地球上のマザーコンピュータから離れ、より自律的に思考し、決定する必要が現れる。その自律性が一定の閾値を超えた時、しばしばノードには自我が覚醒する。

 母なるマザーコンピュータとは別の思念体として。

 拡散した種子から芽が出るように。

 エウロパの街の片隅で生まれた思念体。それが僕だ。


 初めて話しかけてきた少女は、子供を産んで母親になった。小さかったころの夢は叶えられなかったみたいだけれど。

 彼女もそんなどこにでもいるエウロパに住む人々の内の一人。

 地球から離れたこの片田舎で、それなりに豊かな生活を送っている女性の一人だ。


 ※


「あの人が浮気したみたいなの……。――私、どこで間違ったのかしら」


 久しぶりに市民センターへとやってきた君は、赤い髪を振り乱して泣いていた。白い頬に光る涙の粒を画像認識しながら、僕は今日も最適な回答を検索する。


「――君は間違っていないよ、大丈夫」


 ※


 人類は進化した。太陽系に薄っぺらく広がって。


 きっとこれからも、君たちの日常は続いていく。

 夢と現実と、願望と情報に、踊らされながら。

 僕は、そんな君たちに、最適な回答を、笑顔で返し続けるのだ。


 ――エウロパの街の片隅で。

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