第8夜 明日葉の怪

 ーーいつもの日常。


 7月ーーである。

 陽射しもそろそろ暑くなりかけてきた頃。


「テストなんだ。それも“期末”」


 土曜だと言うのに、葉霧は朝から自室に籠もっている。

 楓ーーは、それを聞かされていた。


「また?? この前もやった。今日は図書館行くって言った!」


 期末テストが終われば夏休みである。

 その前の大事な期間を、楓には理解しようもない。


 葉霧はデスクに向かいながら


「そうだったね。」


 と、言いつつ参考書をラックから引っ張りだした。


「な! なんだ!? その反応! 葉霧!!」


 楓はデスクには近寄ってはいない。

 少し離れた所から怒鳴っている。


 葉霧は参考書を開きながら


「図書館は混んでるよ。それに……今日は少し、しっかりやっておきたいんだ。」


 ぱらぱらとページを捲る。

 楓の方は見ない。


「あーそうかよ! わかった。オレ一人で行く!」


 楓は腕を組み、ふんっ。 と、そっぽ向いた。

 葉霧はノートにシャーペンで、筆記しながら


「いいけど。スマホは忘れるな。それから“3時間”で帰って来ること。わかった?」


 と、そう言った。

 その視線は、参考書に向けられている。


「……知るか!!」


 楓はドアの方に振り返る。

 思いっきり。さらっと揺れる蒼い髪。

 右耳に煌めく“金色のピアス”。


 地のヌシ 九雀くじゃに貰った“神珠”だ。

 丸い宝石の様なそのピアスは、お互いの片耳で煌めく。


 葉霧は左耳につけている。


 ドアが開く音がする。


「楓。」


 葉霧はようやく身体を起こした。

 ドアの方に視線を向けた。


 楓はドアを開けたまま、その声に振り返る。


「図書館。って言ったんだからな。違う所には行くな」


(……う。クソ! 一緒に行ってくんねぇのに! なんでこーやって“変な指図”すんだよ。心配してくれてんのわかるから……怒れねぇし……)


 楓は、葉霧の強い眼差しに言葉に詰まる。

 だが、


「あーはいはい。」


 と、そう言うと部屋を出て行った。


 ばたん。


 と、少し乱暴に閉まるドアに、葉霧はふぅ。と、息を吐く。


(期末これが終われば……“一緒”にいられるんだけどな。わかる訳ないか。“百聞より一見”だからな。楓は。)


 葉霧は少しだけ微笑むと、デスクに身体を向けた。

 勉強に戻る。


 楓は、“話だけでは納得しない”

 実際に見せて行動しないと理解しないし、納得しない。


 とんとんとん……


 階段を軽快に降りる音ーー。

 いや、ドスドスドスだ。


 不貞腐れながら降りてゆくと、


「あ。楓ちゃん。さっきね。“明日葉あしたば”の空幻くうげんさんから電話があったのよ。」


 と、優梨が階段の下にいた。

 どうやら二階に上がろうとしていたらしい。


 今日は少し気温が高い。

 半袖のワンピース姿をした優梨が、覗いていた。


「ん? 空幻? なんだ?」


 楓も今日は、黒の半袖パーカー。羽織るだけで、その下には白のTシャツを着ている。

 ブルーのジーパン。


「来れたら来て欲しい。って。」


 優梨は少し薄めの水色のワンピースだ。ライトブラウンの髪もお揃いの色のシュシュで、纏めている。


「ふーん」


(なんかあったんだな。)


 楓はちらっと階段の上を見上げた。


(まーいいか。葉霧が悪い!)


 楓はこうして千葉県にある“明日葉”と言う民宿に、向かうことにした。



 ✣


 ーー千葉県。“鬼峡山ききょうさん”。


 そこに明日葉あしたばと言う民宿はある。

 山の奥地にある源泉湯宿だ。


 そこの若旦那ーー、空幻くうげんは“鬼”である。


 だが、人と鬼の間に産まれた子。

 その為、角がない。


 楓は森に囲まれた茅葺屋根の、古民家をリノベーションしてやっている民宿に、足を進めた。


 ガラッ……


 戸を開けるとヒノキの良き薫りが迎える。

 土間のある趣きある民宿。


 そこにいたのは、漆黒の長い髪をした男性だ。

 銀色の眼をした美しい男。

 憂いな眼差しで、楓を迎えた。


「いらっしゃい。すまなかったね。こんな遠くまで」


 空幻はそう微笑むと、早速。

 玄関に足を降ろした。


 広い玄関だ。


「ん? どっか行くのか?」


 楓は草履に足を通す空幻にそう聞いた。

 淡い藍色の着物姿。裸足で黒の草履に足を通し、玄関を出る。


「見せたい物があるのだよ。」


 銀色の眼は、鋭さを増した。

 楓はそれを見つめるとついて行くことにしたのだ。


 民宿の周りは生い茂る森だ。

 この山には、昔。鬼が棲んでいたとされている。

 その為、山の名前に鬼がついている。


 先を歩く空幻は、緑生い茂る森の中に足を進める。

 草履を引きずり歩くその背格好は、三十代ぐらいに見える。


 袖に腕を通し陽射し入る森を歩く。


 森の中は道と言う道はない。あぜ道らしきものはあるが、草むらになっている。


 それを掻き分けながら楓と空幻は、奥に入っていく。

 鳥の鳴き声や風で揺れる葉音を聞きながら。


「ここだよ。」


 と、空幻は森の奥地で立ち止まった。


 少しだけ開けた場所に、祠があった。

 古びた祠だ。


 申し訳無さそうに白い“紙垂しで”が、開かれた木の扉から垂れ下がっていた。


 片側の扉は木片となり、地面に落ちていた。

 祠の中には地蔵がいたが、それも壊れてしまっている。

 頭だけが、祠の石屑の上に転がっていた。


「なんだ?」


 楓はそう聞いた。


「昨夜だよ。神楽かぐらが、襲われた。」


 と、空幻はそう言ったのだ。


「え?」


 楓は驚いた。


 神楽ーーとは、空幻の民宿にいる子鬼だ。

 二人であの民宿をやっているのだ。


「ああ。大丈夫だ。神楽はああ見えて“神童”でね。中々、強いんだよ。」


 人間で言うと6〜7歳程度の男の子の姿をした子鬼だ。


「無事なのか……」


 楓はホッとした様な顔をした。

 空幻は、安堵の息をつく楓に少しだけ微笑む。


「だが……“あやかし”には逃げられたそうだ。」


 と、直ぐにその表情は強張った。

 楓はそれを聞くと


「何処に行ったのかわかるか?」


 と、そう聞いた。


「すまんな。そこまではわからないそうだ。ただ……神楽の話だと、“タタラ”と名乗ったそうだ。」


 空幻は半壊している祠を見つめた。

 色あせてしまっている木の小屋。その上に灰色の瓦屋根。小さな祠だが、それでも地蔵が祀ってあったのだ。


 由緒あるものであっただろう。屋根すらも地面に落ちてしまっている。


「タタラ?」


 楓はそう呟いた。


「大きな刀剣を持った男だったそうだ。いきなり飛び掛かってきたそうだよ。」


 と、空幻は楓に視線を向けた。

 楓はそれを聞くと腕を組む。


「この祠が……“闇喰いの巣”だったってことだよな。」


 と、楓は祠を見つめた。

 地蔵の頭には“封印”らしき御札が貼ってあった。


「東雲……だったね。」


 空幻はそう言った。


「え? 知ってるのか?」


 楓は驚いてそう聞いた。


「ああ。少しだがーー、この山に棲んでいたことがある。その時に、一緒にいたよ。アレも“半端者”だ。私と同じ」


 空幻はそう言うと楓を見つめた。

 銀色の眼で。


「だが、その頃から“人間を憎んでいた”ね。手当り次第……殺して回っていたよ。飽きたのかいつの間にかいなくなったが」


 楓はそれを聞くと、右手を握り締めた。


(……東雲……)


 その眼は少しだけ……悲しそうであった。


 空幻は、そんな楓を見つめると


「何をしようとしているのかはわからない。だが、止められるのは“同じ鬼”の君だ。迷いは良くない。」


 と、そう言った。


 楓は、ハッとすると顔をあげた。

 空幻は、微笑んでいた。


「一つだけ“心当たり”があるんだ。行ってみるかい?」


 と、そう言った。


「ああ。教えてくれ。」


 楓は強く頷く。


「“闇喰いの巣”がある場所だ。この山の反対側。“鬼岩岳きがんだけ”。そこに墓石がある。鬼たちを鎮める為に建てられた墓だ。」


 と、空幻はそう言った。


 楓の蒼い眼は光る。










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