一人暮らしの危機②

 恐れていたことが現実になった。


「翔。久し振りね」


 前菜が運ばれてくるよりも早く、入口から母親が現れた。

 真っ白なスーツ姿の彼女はツカツカとテーブルに近づき、空いている椅子に座る。


「親父めぇ……」

「許してくれ! 私の宝物が人質に取られて、お前を売るしかなかったんだ!」

「最悪だ!」


 どうせプラモデルか何かを隠されて脅されたんだろう。

 高校に入学してからは盾になってくれていたけど、それも今日で終わりだ。

 結局親父は母親に弱い。


「栗ノ木坂南高校から連絡が入ったのよ。あなた。一学期から赤点ばかり取っているし、サボり放題だそうね」

「俺が馬鹿で怠け者なのは、あんた達の所為だ! どちらかがまともなら、こうはならなかったハズだ!」


 テーブルをダンッと叩き、主張すれば、親父は両手で顔を覆い泣き崩れた。

 しかし母親はそうはいかない。


「音楽の才を分けてあげたのに、何を言っているのかしら? その辺の凡人に謝りなさい」

「前も言っただろ! 今は現代で、ここは日本! ピアノ一つで食っていけるとは思えない。無駄な才能なんだよ!」

「ふんっ。でもあなた、また弾き始めたらしいじゃない」

「な……」


 母親の冷酷な眼差しに、俺は怯む。何故バレたんだ?


「この前、愛海ちゃんと会って話をしたのよ。あなたがピアノを再開しているけど、技術的に劣化していたから、私の指導が必要だろうと言っていたわ」


 俺は歯ぎしりした。


――北園め!! 俺を陥れる為に、ババアに情報を渡したな!


 北園があれで引き下がるとは思わなかったが、まさか母親を利用してくるとは……。どこまでもクズな奴だ。

 しかし、ここで言われっぱなしになる俺ではない。

 言い負かして、平穏な暮らしを守らねばならない。


「再開はした。だけど、あんたから教わることなんか何もない! 苦痛を与えて伸びると思うな!」

「幾ら才能があっても、苦しい練習をつまなければ一流にはなれないの。何度言えば理解するの?」

「一流になりたいだなんて、一度も言ってないぞ!」


 口論する俺達に気を遣っているのか、前菜を運んで来た給仕が、奥へと戻って行った。

 親父はそれを残念そうに見送った後、助け舟を出してくれた。


「静代さん。あなたというカリスマから離れた自由な環境で、翔の感性が成長しているかもしれない」

「師、あってこその成長よ」

「いや、一人暮らしをして、色々な奴と関わって、俺は変わった」


 プラモデルだらけの一風変わった部屋での寝起きと、味気ないファミレス料理。

 合唱部の連中の様々な考え方や、瑠璃さんとの出会い。音楽知識も蓄えられた。

 この七ヶ月の間、新たな経験ばかりしている。


「なら証明してちょうだい。私の手を離れ、あなたがどれだけ成長したのかを」


 母親が指さしたのは、店内中央に鎮座したグランドピアノだ。

 こんな所で演奏しろと言うのか。


「私を納得させられないなら、家に戻って来てもらう。それと、音大付属への編入もしてちょうだいな」


 ババアフルコースなんて死んでも御免だ!!

 俺はゴクリと喉を鳴らし、席から立ち上がった。

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