一人暮らしの危機①

 合唱部の存続をかけた対決に勝利した次の日。

 各部の勧誘ポスターが貼られてある掲示板で足を止めると、女子コーラス部のポスターの部分が抜けていた。本当に廃部になってしまったようだ。

 それを見れば、俺達がやった事の大きさを思わずにいられない。

 感慨深く思いつつ、その足で旧校舎の音楽室に向かう。


 以前そこは女子コーラス部の活動場所だったのだが、今回の一件で合唱部が使うことに決まった。

 理事長室のスタインウェイのグランドピアノが名残惜しいから、後で願い出てみよう。


 ガラリと引き戸を開けると、室内に居る全員の視線が集まり、うろたえる。


――やっぱ女が多すぎなんだよなぁ。


「あ、やっと里村君が来た! 今ね、本年度中の活動計画を説明してたんだ」


 教壇の上に立つのは江上琥珀だ。

 彼女に「遅れてすいません」と頭を下げ、陰キャらしくこそこそと端の席に座る。


 移動しながら俺は室内に居る人数を数える。 

 合唱部は現在十一人に膨れた。

 昨日の勝利で女子コーラス部員全員が合唱部に来るかと思いきや、そんなこともなかく、もう巻き込まないでほしいと拒絶した者が五人いたとか何とか。

 瑠璃さんが決めたこととは言え、元女子コーラス部員にもそれぞれ意識があるわけだから、これは仕方が無い。


 そんな状況でも、ちゃんと百瀬生徒会長の姿があるし、イケボな白川さんや『黒衣の聖母への連祷』で合唱していた二年生二人も残っている。なんやかんや有っても、実力者が増えたのだから有難い。


 俺の所為で外れた注目を、江上は慌てて取り戻す。


「ええと! 皆さんには申し訳ありませんけど、暫く私の為に歌ってもらうことになりまーす! 以前も説明しましたが、今、私と姉の江上瑠璃が理事長選の最中でして! 十二月二日に学校の理事達の前で披露する必要があるんです!」


 黒板に“十二月二日”と書き記したのは染谷だ。

 江上のフォローとして書記をしてやっているようだ。


――にしても、残りはもう三週間程度か。長いようでいて、呆けてたらあっという間だな。


 中間テストやら、女子コーラス部との対決やらがあったため、理事長選用の楽譜は中途半端な状態で放置している。

 早めに仕上げなければならないな、と頭の中でスケジュールを立てる。


 問題はピアノ伴奏部分だけではない。歌の方も以前の様にスムーズにはいかないだろう。

 人数が多くなったから、全員が集まれる日も限られると思うし、練習開始は早ければ早いほどいい。

 その辺りを考えてから挙手した。


「江上部長に質問があります」

「何かな? 里村君。ていうか、敬語は要らないからね!」

「あーうん。歌詞の進捗はどうなってる? 歌詞が出来上がれば、歌の練習に入れるよな?」

「え!? あーそれね……。やってはいるんだけどー」


 急に歯切れが悪くなった。


「ラブソングみたいになっちゃったから、恥ずかしいんだよ!」

「別にそれで良いと思うけど……」

「ダメダメ!」


 頬を赤くしているところを見るに、惚れている男(いるのか知らないけど)への想いを綴ったポエムなんだろう。少し読んでみたいけど、変な性癖とか知ってしまったら嫌だな……。


「理事は五十代以上の男性が多いので、季節や街、学校についての歌詞が無難でしょうね」


 生徒会長が冷静な意見を言ってくれた。


 そうだよな。やっぱし”無難“なのが一番だ。


「俺も生徒会長に賛成。歌は言葉で伝えられる分、強みがあるけど、ハズしてしまったら逆効果だ。校歌や卒業ソングに近い歌詞が良いと思う」


 江上は恨めしげな表情でコチラを見てきた。


「うー……。そんなに私のラブソングを聴きたくないんだね。分かったよ。染谷さんと二人で歌詞を練ってみる」

「よろしく」


「とりあえず、明日から活動を行います! 活動時間は毎日十六時から十七時です!」


 予定が決まり、今日はお開きになった。

 俺はリュックを背負って、校門の方へと歩いて行く。


 看板の近くに黒塗りのベンツが停まっているのが見えた。親父が使う車と同じ車種なのが気になり、近寄る。

 すると……。


「よう! 元気そうだな!」


 ウインドウが下り、顔を見せたのは小太りな中年。俺の父親だった。


「やっぱり親父だったか~」

「久し振りだな。旨いもの食わしてやるから、車に乗れよ」

「行く!」


 母親と違い、親父は俺に甘く、一人暮らしを始めてからも時々こうして外食に連れて行ってくれる。

 しかし、そういう時でも事前に連絡があったし、時間も十八時以降だったはず。

 今日みたいに十六時半で迎えに来られたことはない。

 何かヤバイ報告があるんだろうか。


――考えすぎか……?


 怪しく思いながらも、助手席に座ると、すぐに発進した。

 学校生活について尋ねられたり、母親の横暴な言動への愚痴を聞かされながら連れて来られたのは、繁華街にあるフランス料理店だった。その小洒落た外観を目にして俺は呻いた。

 この店は店内にグランドピアノが置いてあるから、母親のお気に入りなのだ。

 疑いの眼差しで親父の顔を見上げてみるが、信楽焼のタヌキっぽい表情で素知らぬ顔をされる。


「親父、俺を裏切ったりはしないよな?」

「勿論だろう! この時間から開いている店がここしかなかったから選んだだけだ!」

「ファミレスでいいんだよ!」

「いや。ちゃんとしたモンを食わせたい!」

「ホントか?」


 これはかなり怪しい。

 だが、駐車場には母親がいつも使う車は見当たらないし、待ち伏せされてはいない気もする。

 一気に食欲が失せてしまったものの、食費が浮く魅力には抗い難い。

 仕方がなくオッサンと二人で入店することにした。





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