合唱部始動!①

 北園からの襲撃を受けた次の日、俺は彼女とのエンカウントを避けるためにわざわざ昼休みに学校を抜け出し、事件現場――もとい、駅前の楽器店まで自転車で行き、染谷の為の発声練習曲集を入手した。


 そして、放課後までの間に、老人ホームの楠木さんや江上、染谷とメールで予定を擦り合わせ、演奏会の日時を決めた。

 染谷の歌に問題があるため、出来るだけ先延ばしにしたいところだったのだが、楠木さんはウチの学校の理事長に、十月中をリミットとされているらしく、日時は十月最後の週の土曜日になってしまった。

 となると、残すところ、あと二週間も無い。


 授業が終わってから旧校舎の理事長室に集まった俺達は、この絶望的な状況を確認し、一時的に言葉数が少なくなっている。


――これは……うん。失敗する気しかしないな。


「私さ! 演奏会用の曲を考えて来たよ! これにしない?」


 無駄に明るく振る舞う江上が、プリント用紙を俺と染谷に配ってくれた。

 渡されたのは楽譜で、タイトルには唱歌『故郷/ふるさと』とある。同声二部、つまりは女性だけでやる合唱曲のようなのだが、何故これを選んだのか。


「……この曲が好きなの?」


 染谷も選曲についての疑問を抱いたようで、訝しげに江上の顔を見上げている。


「私の好き嫌いで選んだんじゃないよ。今回の聴衆はお年寄りだから、懐かしい感じがする曲の方が心を掴みやすそうだと思ったんだ」


 なる程。江上らしいあざとい選曲だった。

 今の合唱部は実力がイマイチだと分かっているから、泣き落としにかかるのか。

 選び方に関しては納得したので、俺は他に気になることを質問する。


「江上がソプラノで、染谷がアルト?」

「逆にするつもりだよ! この曲の旋律は有名だから、アルトよりもソプラノの方が歌いやすいかなって思う」


 音痴な染谷に気を遣ったらしい。

 だけど、ソプラノパートがガタガタになったら、曲が有名なだけに誤魔化しが効かず、聴くに耐えない合唱になるような気がする。それに、染谷の声は絶望的に高音域が死んでいるから、全体的にキーを下げる必要があるんじゃ……?

 編曲しなくてもいいのか?


 俺は頭の中でゴチャゴチャと考えを巡らすが、口からは無難に「分かった」とだけ発した。

 どうするのが正しいのか、今の段階では判断が難しいのだ。


 染谷はどう思っているのか気になり、その顔を横目で見てみると、意外にも自信がありそうな感じだ。

 さすがの染谷も、この曲なら歌い慣れてるのかもしれない。


「あまり練習しなくても歌えそう」

「そうなんだね! 良かった~! じゃあさ、今から一回合わせてみようか」

「うん」


 江上はもうこの曲のアルトパートを完璧に歌えるようだ。

 ちゃんと練習してきたんだろうな。


 俺は彼女のヤル気に感心しながら、グランドピアノの前に座る。

 正直この曲の情緒溢れる伴奏は好きなので、練習の為に何度も弾くことになっても、苦にならないだろう。


 「里村君のいい時に伴奏を始めてね」と江上に命じられたので、俺はコクリと頷き、十秒ほど間を空けて前奏を弾き始める。


 ピアノの音色に、少女二人の声が綺麗に重なり、いい感じの出だしを切れるかに思えたが……。


「「うーさーぎーおーいしー」」


 “ウサギ”の後の“オ”からおかしくなった。明らかにソプラノがアルトに引きずられている。

 俺は信じられない思いで伴奏を止め、染谷の方を向いた。


「染谷。普通に旋律を歌えばいいからな。あの有名な曲だよ」

「わかってる……」


 しかし、もう一度冒頭からやり直しても、やはり染谷の歌は江上に引きずられてしまうようだ。

 ソプラノよりもアルトの方がずっと安定しているから、これでは何の曲を歌っているか分かったもんじゃない。


「江上、やっぱりお前がソプラノをやって、アルトを染谷に任せる方が良いと思う」


 染谷には悪いと思ったが、口出しせずにはいられなかった。

 アルトがソプラノに引きずられるなら被害が少なくて済むだろうし、高音域は江上の声の方がずっと綺麗だ。


「うむ~。染谷さんがそれで良いなら……、交換してみる?」

「里村君がそうしてほしそうだし、交換でいいよ。中学の時からずっとアルトやってたし……」

「なんか……ごめん」


 落ち込ませてしまってみたいなので、罪悪感に苛まれる。

 つまらない気分にさせるつもりなんか無かったのにな。


「ハモリパートも、歌い甲斐があると思うよ。旋律に厚みを加えていく、味のあるお仕事だし! 私はソプラノもアルトも、どっちも好き!」


 江上の明るい発言に、染谷は薄っすら微笑み、頷いた。

 こういう時、陰キャの俺は無力だから、本当に助かる……。


◇◇◇


 俺達は演奏会までの二週間弱で、発生練習や筋トレ、染谷のアルトパートの強化に力を入れた。

 曲目も江上からの提案で、「故郷/ふるさと」だけでなく、「赤とんぼ」等の童謡を加え、徹底的にあざとさで攻めていく構えだ。

 正直に言うと、入居者の年齢から、1960年代~1970年代くらいの歌謡曲の方がウケそうな気もしたのだが、変に狙いすますと大コケする可能性もあるので、江上の選曲に従うことにした。

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