音痴だった件①

 木曜日の放課後、旧校舎の理事長室にて。

 俺は上着のポケットから出したスマホの画面を見つめ、盛大なため息をついた。

 瑠璃さんと駅前で合奏した日から二日もの間、北園からキチガイ染みたメッセージが届き続けている。

 どうやら幼少期から俺に不満を抱えていたようで、メッセージから恨み辛みが透けてみえた。


 だけど今更そんなことを言われても、困るし、不快だ。

 不満の全てを受け止めてやる義理もないので、アプリ内の”友だちリスト“にある北園の名を長押しし、ブロックを選択する。


――サヨナラだ、北園。二度と関わってくんな。


 うんともすんとも言わなくなったスマホにスッキリし、大きく伸びをする。

 これからは関わっちゃいけない人間をサッサと切っていこう。じゃないと人生レベルで台無しにされかねないからな。


 俺が画面をジッと見つめていると、ガラリと引き戸が開き、江上が入って来た。


「里村君。今日は染谷さんが来るんだったよね?」

「うん。そう言ってた」


 めでたい事に染谷が入部してくれて、本日は現部員三人が顔を合わせる流れになった。

 全員同じクラスなのだから、別にわざわざそんな場を設けなくてもよかろうと思うけど、部長命令だから仕方がない。


 染谷が来るまでの間、どうやって時間を潰そうかとスマホのアプリ一覧を眺め始めると、俺の横顔辺りに妙にトゲトゲしい視線が突き刺さる。


「なんだよ?」

「里村君さ。最近お姉ちゃんと仲良いみたいだね。クラスの子が二人で一緒にいるのを見たって言ってたんだ」

「火曜日に瑠璃さんから路上演奏に誘ってもらって、一緒に飯食ったりはしたけど」


 別に隠すようなものでもないので、ハッキリ伝えれば、江上は盛大に不貞腐れたような表情を浮かべた。

 悪いとは思うけど、瑠璃さんとの昨日の話は伝えとこう。


「”手を組まないか“って言われた。ウチの学校と音大附属の合併の話を受けたいらしいな」

「……里村君は何て返事したの?」


 合併という言葉を聞いても、江上は驚いていない。

 たぶんこの辺の話をとっくに瑠璃さんか現理事長から教えられていているんだろう。

 その上で、この学校を守ろうとしているって感じか。


「断らせてもらった」

「そっか……。良かった!」


 露骨にホッとされ、むず痒くなる。

 江上の為じゃなくて、これは自分の為の選択なんだ。

 合併したら授業の関係で音大の教授と接する機会がないとはいえない。

 だとしたら、音大の教授でもあるウチの鬼ババアとの遭遇率が高くなるだろう。折角の高校生活が地獄になる。

 それに瑠璃さんの将来の為にも、江上に理事長をしてもらったほうがいいはずだ。


 俺が寝返らないと分かったからなのか、江上は上機嫌で俳優やyoutuberなどの話を始めた。どちらにも大して興味のない俺としては、うなづき続けるしかない。ハッキリ言って苦痛の時間だ。

 染谷よ、早く来てくれ。


 俺の願いが届き、彼女は五分ほど後に現れた。


「ごめん。遅くなった」


 謝っているわりには淡々とした口調だし、無表情。いつもの染谷だ。

 そんな彼女を江上は大喜びで出迎えた。


「いらっしゃい! 染谷さん!」


「本当に前の理事長室で活動してるんだね。驚いた」


 染谷が驚くのも無理はない。

 一応ピアノが置いてあるとはいえ、ここは理事長室なのだし、普通なら部活動で使ったりはしないだろう。

 江上に聞いた話だと、どうやら以前、合唱部は旧校舎の音楽室を使っていたらしいのだが、部員が一人になったタイミングで吹奏楽部の連中がそこを奪い取ったのだそうだ。


「新校舎の音楽室も吹奏楽部が使ってるのに、こっちの音楽室もとるなんて横暴」


 事情を知っているらしい染谷の言葉に、江上は深く頷く。


「弱小部虐めは酷いものだよ」


 個人的な意見を言わせてもらえば、たった一人しか部員がいない合唱部に使わせるより、部員の多い部に使わせる方が正しい判断だったと思える。だけど今は口を挟まないでおくのが無難そうだ。


「で、今日は三人で何をするつもり?」

「えっとね。染谷さんの歌を聴かせてほしいな!」

「いきなり歌うの……」


 狼狽始めた染谷に、江上は困り顔だ。


「パートの振り分けの参考にしたいんだ。駄目かな?」

「駄目じゃないけど」


 そうは言うものの、彼女は微妙な表情でコチラを見る。

 もしかして俺が邪魔だと言いたいんだろうか。別に身体検査をするわけじゃないから居てもいいかと思ったが。


「俺、帰ろうか?」

「駄目だよ! 里村君には伴奏してもらわないといけないんだから」


 江上がずしりと重い冊子を手渡してきた。

 合唱曲集らしきその本は『早春賦』の頁が開かれている。

 この曲は、小学校とか中学校の授業で使われる日本の有名な曲だ。

 これなら染谷も知っていると判断したんだろう。


 役割を与えられてしまった俺は、女子二人が話し合う横でノロノロとグランドピアノの準備をし、椅子に座る。

 前みたいに変に緊張しなくなったのは、瑠璃さんのお陰かもしれない。


 彼女との合奏の後、俺は人前で演奏するのに抵抗を感じなくなったらしい。

 昨日とかも家電量販店の電子ピアノコーナーに行って、少し弾いてみたけど、羞恥心や恐怖心は一切感じなかった。


「歌がおかしくても笑わない?」


 染谷は俺の側まで来てボソリと呟く。

 いつも冷静沈着な彼女でも他人の評価が気になるのかと、少々意外な気がするが、取り敢えず頷いておく。


「適当なタイミングで伴奏弾くからな」

「う…………うん…………」


 チラリと見上げた彼女の顔は気の毒な程に真っ青だ。

 何を恐れているんだ?


 訝しく思いつつも、前奏をユックリと弾き始める。

 染谷はビクリと身体を震わせて、慌てたように歌い出した。


「はーるのー、あ、出だし間違えた。春ーは、名ーのみぃぃぃの……。風ーの」


 うわぁ……。

 アニメ声なのは個人的に高ポイントなのだが、音程が絶望的に合ってない。

 声が小さくて助かったと思うくらいに酷い。

 合唱が好きだと言っていたので、そこそこ歌えるだろうと期待していたのだが、ここまで壊滅的だとは。


 遠い目をして、その日本人形じみた顔を見上げれば、彼女は口を閉ざしてしまった。


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