数千年の後の世界で

和泉茉樹

数千年後の世界で

 私たち、王家の者が滅びたとして、遥か先の時代を生きるものに何を与えることができるか。

 これは私という王女の一つの願いの形であり、この砂しかない国に持ち込まれた、決して芽吹くことのなかった花の種を、未来へ送ることを、本当に頼りないながら、この方法で託す。

 もし、遠い未来に、このどこまでも続く砂漠が緑に溢れるとして、そこでは私が見ることができなかった花が、咲いているだろうか。

 どのような葉が茂り、どのような花が咲き、どのような香りがするのだろう。

 それを見られないことが、残念だ。

 私の一生は短すぎた。まるで私自身が花であった、というのは、あまりに過剰な表現かもしれない。

 この種を、いつか、どこかで、誰かが、蒔いてくれることを、強く願う。


     ◆


 私はじっとそのミイラを眺め、細く息を吐いた。

 天然の洞窟の奥で、しかし空気は乾燥している。自分の息でかすかに積もっている土埃が揺れる錯覚があった。

 今、私が率いる調査チームの私を含めた四人がここにいる。

 過去に幾度も調査グループが探索した洞窟の中で、通路の存在に気づいたのはつい二週間前だった。

 今まで、その通路が発見されなかったのは、自然現象で落盤が起き、埋まっていたからだ。

 私たちのチームはその通路への入り口を確保し、中に入ったのは三日前。

 明かりをつけて、愕然とした。

 色鮮やかな壁画が通路の壁、天井、床を覆っているのだ。

 狂気じみているな、と仲間の一人が周囲に明かりを向けつつ、呻くようにつぶやいたのを覚えている。

 私たちは小型のバッテリーと小さなライトを設置し、通路の奥を探索した。

 石の棺がある広間が通路の行き止まりで、しかし、その棺は、私たちが過去に見たどんな棺よりも小さい。

 広間の壁、床、天井にも絵がある。私たちは棺を開ける前に写真を何枚も撮り、それからこの棺の主人が誰なのか、調べたが、これはすぐにわかった。

 棺の蓋に、この地方の古代文明で用いられた象形文字が刻まれていたのだ。

 私もチームの面々も、その文字はすぐに読み取れるほど、この仕事について長い。

 棺に刻まれている文字は、「アミリア・ルー・オレイオス」と読めた。

 チームの一人が、なんてこった、と額を押さえたので、全員が彼を見た。

「アミリア王女の存在は、文献にはあるんですよ。墓の場所は不明でしたが、ここがそうなんだ。大発見です」

 私にもじわじわと実感がやってきた。

 それから仲間と協力して、私たちは棺を開けた。

 こういう時、墓泥棒の気持ちが急に理解できるものだ。棺の奥に黄金のマスクでもあれば、そうでなくても、装飾品の一つでもあれば、と思ってしまう。

 しかし今回は、そんなことは起きなかった。

 完全に干からびたミイラが、古代文明では豪奢だっただろう服装で、棺の中に横たわっていただけだ。ミイラは棺が示す通り、小柄で、死亡したのは十代になるかならないか、という頃だと、すぐにわかった。

 私たちはまた写真を撮り、そして埋葬品をチェックした。

 そのミイラが抱えるように、小さな袋を持っているのには、最初から気づいていた。

 仲間の一人が、棺の中にあった石板を取り出し、埃を払うと、じっとそれを読み始めた。

 私も次に読ませてもらい、どうやらこのミイラが抱えている袋に、種、が入っていると理解した。

「どうします、リーダー。種とやらを確認しますか?」

 そう言われて、私は迷ったが、少しならいいだろう、と決断した。

 私たちはミイラを傷つけないように、そっと袋を抜き取った。心の中で自然と謝罪の言葉を唱えていた。

 袋の中には、花の種がかなりの量、入っていた。

 仲間がそれぞれに掌の上で、種を眺めたが、もちろん、誰にもなんという花か、わからない。

 結局、仲間たちが種をどうしたか、私は覚えていない。迂闊なことに。

 私自身は、種を身につけていたつなぎのポケットに突っ込んでいた。

 この洞窟に関してレポートをまとめたのは、棺を開けた三日後で、その時には私が所属する学術組織の調査部門から本隊がやってきて、大々的に洞窟の真実を暴き始めた。

 私はレポートに忙殺され、次には本隊のチームと一緒に洞窟を繰り返し確認する日々が続いた。

 数ヶ月で本格的なレポートを書く必要が生じて、私は現地を離れ、砂漠の国の首都にある考古学を扱う博物館に借りたオフィスで、コンピュータを使って文章を書いていた。

 そのニュースを聞いたのは、レポート作りが佳境になり、終わる見通しが立った頃だった。ちなみに、例のミイラも、ミイラとともに収められた簡単な副葬品や、例の石板、そして花の種子らしきものは、全てが回収され、補修と保存の処置が始まっていた。

 テレビをつけていたのは、何かが見たいわけではなく、ただ音を聞くためだった。チャンネルは衛星放送の一つで、映っているのは先進国のよくわからない番組だった。バラエティにしては報道の色が濃いが、報道にしては非常にラフだ。

 その番組の中で、今、私がいる砂漠の国の名前が挙がった。

 反射的に画面を見るが、音声は自動翻訳されていても、字幕がわからない。耳に集中した。

 どうやらこの砂漠の国で見つかった古代の植物の種子が、遺伝学的に重要な発見らしい、と言っている。現代には存在しない、滅びた種だ、というのだ。

 私の思考がまとまる前に、私の端末が呼び出し音を響かせる。

 反射的に手に取ると、学術組織でも私の上司にあたる人物からの電話だった。

 受けた途端、相手が不機嫌だとわかった。発掘したものが外部に持ち出されたことを訴えている。それも私のチームからだという。

 私は謝罪しながら、いったい何が漏洩したか、と考え、即座に、たった今、テレビで見たばかりの種子か、と気づいた。

 上司は私のチームに外部との接触を禁止し、まずは全員を博物館に軟禁する、と宣言した。

 電話が切れてから、もう手遅れかもしれない、と思いながら、私は他の三人のメンバーに連絡を取った。案の定、一人とは連絡が取れない。

 これは困ったことになった、と思っても、既に手遅れだ。

 私はやることもないので、レポートを完成させることにした。

 博物館に一人を除いた私のチームが揃い、消えた仲間に対する罵詈雑言を交わしつつ、とにかくじっとしているしかなかった。

 組織から聞き取りがあり、種子について、かなり厳しく追及された。

 私自身はつなぎのポケットに入れていた種子を全て、組織に提出した。これは予想できる可能性だったので、事前に種子をポケットから取り出しておいた。

 軟禁は二ヶ月で終わり、どこかへ逃亡したメンバーに対しては訴訟が起こされるらしい。

 私はまた仕事に戻り、現場にも出た。

 かなり時間が経ってから、テレビを賑わし始めた新種の花については、何度も耳にしたが、私はあえてそれには触れなかった。

 理由はいくつかあるが、あの少女のミイラが安置されていた広間や通路を見れば、種に関することは、私の中ではほとんど解決しているのだ。

 現状に、なんの不満もないのだ。

 仕事が一段落して、私は荷物をまとめて祖国に戻った。

 季節は春で、一年ぶりに戻った家は、どこか閑散としていた。

 部屋を掃除して、荷物を解いた。

 つなぎをトランクから取り出した時、小さな粒が床に落ちたのに気づいたのは、本当に偶然だった。

 例の種子だった。

 私は床からその粒をつまみ上げ、どうするか考えた。

 ここでこの種子を無視することもできた。

 でも私は心変わりをして、自分だけで鑑賞するなら、と決めた。

 両親が、亡くなるまで世話をしていた庭に向かう。木々が枝葉を自由に伸ばして鬱蒼としているその庭の隅から、小さな鉢を持ってきた。スコップでそこらの土を鉢に放り込み、室内に戻る。

 日当たりの良さそう場所を選んで、鉢に例の種子を埋め込み、水を与えた。

 鉢のことはそれから数日は気にしていたけれど、すぐに芽吹くわけもない。そもそも何千年も経って、この程度のやり方で芽吹くわけもない。

 面倒になり、鉢は外に出してしまった。

 雨などで水が与えられれば、自然となるようになるだろう。

 そのうちにまた仕事が忙しくなり、しかし砂漠の国に戻ることなく、先進国の各地で講演会を続けた。

 家に帰ったのは半年ほど後で、帰るまで、鉢のことは少しも思い出さなかった。

 家に入ると、急に不思議な香りが鼻をついた。

 柔らかい、どこか懐かしい匂い。

 庭に出てみて、さすがに言葉を失ってしまった。

 鉢からあふれた無数の茎が、家の外壁に這うように伸び、一面に無数の花が咲いていた。

 あの種子が、芽吹いたのだ。

 私は庭に出て、その様子をじっと見た。

 一つの種子から生えたはずが、花には様々な色がある。

 赤、白、黄色、青もあった。

 あの光景のままじゃないか。

 私はそう考えていた。

 あの砂漠の中の洞窟で描かれた、色とりどりの壁画。

 砂漠の国の真ん中に描かれた、無数の花の絵。

 これがあのミイラの少女が、見たかった景色か。

 私はしばらく庭に佇んでから、室内に戻り、インターネットで情報を調べてみた。

 私のチームのメンバーだった男が持ち出した種子は、世界各地で研究され、いくつもの場所で芽吹いていた。

 あの棺の中にあった、石板のことが思い出された。

 少女の願いは、現実になったのだ。

 砂漠では芽吹くことのなかった種子は、遥かな時間を経て、今、この世界で花開いている。

 学者たちが花の名前について議論を重ねているのも、調べてわかった。

 私は自分が所属する学術組織の、遺伝学を扱う部門の知り合いにメールを書いた。

 あの花は、アミリア、と名付けるべきだ。自然と、そう思っていた。

 メールを送信し、部屋に流れ込んでくる花の匂いを感じつつ、目を閉じた。

 この花は、何千年も前に、どこかで花を咲かせ、しかし、その何千年の間で、完全に失われた。

 それがまた蘇る。

 世界中で、花を開いている。

 時間の感覚が曖昧なり、鼻には甘い匂いと同時に、砂漠のあの埃っぽい砂の匂いが蘇った気がした。




(了)

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