神様はまだ僕たちのうたを知らない

戸松秋茄子

why done it?

 兄さんを殺すことに決めたのは、稲光がする夜のことだった。


「ミステリには見立て殺人という趣向がある」


 兄さんは膝に猫のジェイクを抱いて言った。


「見立て殺人というのは、現場になんらかの題材に見立てた装飾を施す殺しのことだ。いろんな題材があるが代表的なのは童謡の見立てだな」


 空はずっとごろごろ言っていた。ジェイクはまだ兄さんに撫でられて気持ちよさそうにしている。


「お前の言いたいことはわかるぞ」兄さんは僕が何も言わないうちに言った。「犯人はなんでそんな面倒なことをするのかって訊きたいんだろう。尤もな疑問だ。俺も母さんに尋ねたよ。そしたら母さんはいろんな例を教えてくれた」


 そのとき窓が白く光り、数秒後に雷鳴が轟いた。ジェイクがびくっとして体を起こす。


「たとえば、動機をごまかすためだ。真っ先に自分が疑われそうな状況のとき、無差別殺人を装うことで自分から容疑をそらす。つまり、本当に殺したい一人のために、他に何人か殺す。そして連続殺人の印象を強めるため同じ題材の見立てを行うんだ」


 兄さんが話す間も空は唸り続けていた。ジェイクはずっと神経質そうに耳をすましている。


「お前の言いたいことはわかるぞ」兄さんは言った。「こう訊きたいんだろう。だから兄さんは無関係な他人を殺したのかと」


 雷鳴が轟いた。窓が光るのとほぼ同時だった。驚いたジェイクが兄さんの膝から飛び降りて、目にも止まらぬ早さでどこかに走り去っていった。


「そう。俺はもう後戻りできない。この手を血で汚しちまったんだ。もう親父を殺すしかない」



 兄さんとは腹違いの兄弟だ。僕は兄さんのようにミステリには詳しくない。兄さんにミステリの知識を仕込んだのは彼の母親だからだ。


 ミステリだけではない。母親からはいろんなことを教えてもらったという。物語や科学、歴史、そして童謡も。


 兄さんはときおり童謡を口ずさむことがあった。ピアノで旋律を奏でてくれることもある。コンサートで演奏するときは何かに取り憑かれたように目を血走らせる兄さんだけど、童謡に戯れているときはいつも穏やかで、心からその歌を慈しんでいるように見える。それと同時にどこか寂しげにも見えるのは、きっと母親のことを思い出すからだろう。


 彼の母親は数年前に自ら命を絶っていた。


 兄さんが父への殺意を語りはじめたのはそれからすぐのことだ。


「母さんが死んだのはあいつのせいだ」


 兄さんはむかしから父を憎んでいた。数え切れないほど多くの愛人を持ち、それを隠そうともせず、正妻である兄さんの母親を苦しませ続けた父を。


「しかし、くそっ。俺はピアニストだ。俺の指は音楽を奏でるためにある。決して殺人の道具じゃない。母さんはいつも俺がピアニストとして名声を得ることを望んでた。それを裏切るわけにはいかない。名声を血で汚すわけにはいかないんだ」


 兄さんはジェイクが怖がるほどの剣幕で憤った。父への殺意と、復讐に踏み切れない自分へのもどかしさを僕に吐き出すようになった。


 そして、稲光の夜、人を殺してきたと打ち明けたのだ。

 

「お前の言いたいことはわかるぞ」兄は言った。「に罰せられるっていうんだろう。でもな、神なんていないんだ。人を裁くのは人だ。科学とマンパワー、そして権力。それが神様の正体さ。しょせん人の集まりなら、必ず死角がある」


 兄さんはソファの裏に潜り込んだジェイクを引っ張り出し、抱きかかえた。


「お前、今日は何してた?」兄さんは言った。「こんなことを頼むのも情けないが、できれば、いざというとき俺のアリバイを証言してくれないか」

 

 ジェイクは兄さんの腕に中でもがいていた。普段はおとなしい猫だから、雷がまだ怖いのだろう。


「お前の言いたいことはわかるぞ」兄さんは言った。「家族のアリバイなんて証拠能力を持たないっていうんだろう。でも、考えてもみろ。俺たちはいつもこっそり会ってたし――兄弟といっても戸籍上は赤の他人なわけだからな」

 


 自分とそっくり同じ顔の少年に因縁をつけられたのはいつのことだったろう。


「おい、お前」僕より育ちの良さそうな少年が向かいから歩いてきて言った。「お前、むかつく面してんな。外で愛人を作ってそれを憚りもしねえような面だ。ちょっと殴らせろ」


 それから路地裏に連れ込まれて、顔を集中的に殴られた。


「お前の言いたいことはわかるぞ」少年は僕に馬乗りになりながら言った。「なんで殴られてるんだろうって思ってるんだろう。それはな、お前がお前だからだ」


 少年は殴りながら続けた。


「お前が薄汚ねえ子種をあちこちにばらまき続けてる親父と同じ顔をしてるからだ。お前と同じ顔のやつが母さんを苦しめているからだ」


 そのとき、僕の頬に冷たいものが滴った。それは少年の瞳から流れ落ちたものだった。


「俺にやつを直接殴る度胸がないからだ。ピアノを弾くしか能がないからだ。殴って母さんを悲しませたくないからだ」


 少年は涙を拭いもせず、僕の顔を殴り続けた。


「だからまずお前を殴らせろ。いつか親父をぶん殴ってやるために。ご自慢のきれいな歯を全部へし折ってやるために。お前で練習させろ。俺に度胸を鍛えさせろ。やり場のない怒りの吐き口にさせろ」

 

 それから彼と隠れて会うようになった。あれからもう十年近く経つ。変わったのは、少年がぶつけてくるものが拳から言葉に変わったこと、僕が彼を兄さんと呼ぶようになったことくらいだ。


「お前はいつでも俺の話を聞いてくれる」稲光の夜、兄さんは不意にそんなことを言った。「そしてそれを胸にしまって誰にも話さないでいてくれる。俺の怒りも、悲しみも、全部受け止めてくれたよな」


 ふたたび大きな雷鳴が轟き、ジェイクは兄さんの腕から逃れてどこかへ消えた。


「俺は弱い。今日のことにしたってそうだ。お前がいなかったら、俺はきっと罪悪感や恐怖から、別の誰かにゲロってたと思う。お前がいるから秘密にしておけるんだ。親父をぶっ殺す決意が固められたんだ」


 雷鳴が止むことはなかった。兄さんはもうジェイクをかまいもせず、僕に話し続けた。


「お前の言いたいことはわかるぞ」兄さんは言った。「情けない兄だなってそう思うんだろう」


 情けないなんて思っていない。僕は兄さんを尊敬している。ピアノ、ミステリ、童謡。自分にないものをたくさん持っている兄さんを。


 だからこそ、僕は彼を殺してあげないといけない。



 兄さんは父を殺せるかもしれない。でもその後は?


 兄さんはすでに著名なコンクールで結果を残し、世に名前を知られている。


 その名声を守ることもまた兄さんの重要な目的だ。だから、自分に容疑がかからない方法を考えた。


 でも、兄さんは計画を最後まで遂行できるだろうか。

 

 連続殺人に見せるには犠牲者が二人では足りない。少なくとも父の後にもう一人殺さなければならない。でも、父を殺すという目的を達した兄さんに、さらにもう一人殺すだけの胆力が残っているだろうか。


 そもそも、こんな方法で本当にの目から逃れられるのだろうか。


 兄さんの言う通り、世間で信じられているような神は存在しないのかもしれない。でも、正体が何であれそれにかぎりなく近い何かは存在するはずだ。


 神様がどのように罪人を見つけ出すのかは僕らのような一般市民には知らされていない。兄さんは母親から口伝えに聞いただけの「ミステリ」とやらを参考にしてるけど、どれだけあてになるだろう。


 兄さんだってそのくらいわかってるはずだ。だけど、そんな希望にすがるしかないほど追い詰められていた。復讐と保身の間で板挟みになって、そんな自分を情けなく思うあまり、その場の弾みでとうとうその手を汚してしまったのだ。


 計画を完遂できても、兄さんが捕まったのでは意味がない。母親の仇は討てても、その期待を裏切ることになる。


 兄さんはすでに一人殺してしまった。これはもう取り消しようがない。なら、なんとしても兄さんに容疑がかからないようにしないといけない。


 そのためには、僕が犯人として捕まるのが望ましい。


 それが稲光の夜、僕が下した決断だ。


 最初は兄さんから証拠を受け取るなり盗むなりして罪を被ることも考えた。だけど、兄さんは言っていた。僕がいなかったら、兄さんは別の誰かに秘密を話していただろうと。


 僕が捕まったら、兄さんは別の誰かに秘密の捌け口を求める。真犯人が自分であることも話してしまうだろう。


 だから、僕は兄さんを殺すしかないのだ。


 兄さんが教えてくれた童謡の内容通りに見立てて。


 そうすれば、手口が共通することから一連の事件はすべて僕の犯行と思わせることができるかもしれない。


 何より、被害者が犯人なんて誰も疑わない。


 この方法なら兄さんは仇が討てるし、ピアニストの名声も守れる。兄さんは悲劇の天才ピアニストとして記憶されるだろう。


 兄さんは僕が本当に言いたいことなんて何もわかってくれない。だから、僕の計画に気づくこともないだろう。


 それでいい。


 どれだけ乱暴に扱っても壊れない人形。それが僕だ。人形が何を考えて、何に悩み、何を愛しているかなんて誰も考えない。


 こうして手記を残すことにしたのは、兄さんの真似事だ。万が一にも兄さんに気づかれないよう、僕も兄さんに倣って秘密の捌け口を設けたというだけの話。計画が終われば処分するつもりだ。


 こんなものがなくても、兄さんは僕の中で生き続ける。兄さんがくれた時間は決してなくならない。僕は塀の中で兄さんが教えてくれたうたを謡い続けるだろう。

 

 それなら何も怖くない。


   ※※※ ※※※


 この手記はアレックス・ウォーカー殺害犯として拘束したマイケル・フォードから記憶を抽出した結果浮かび上がった共犯者デイヴィッド・リテルの自宅から発見された。


 フォード、リテルの両名は記憶と人格に調整を加え、整形手術を施し、新しい名前ですでに社会復帰済みである。今後、互いを思い出すことも接触することもないと思われる。


  Jupiterロンドン支部の記録より

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