薄皮の下に蔓延るもの

きざしよしと

薄皮の下に蔓延るもの

 どんよりとした雲の下を、1頭の黒いドラゴンが飛んでいた。

 細身で首が長く、黄色い瞳をびくびくと揺らしている。臆病さでは他のドラゴンの中でも類をみないと言われるティミッドガストだ。

 ニーガと名付けられた彼は2人の人間をその背に乗せて、穴のだらけの蝙蝠傘みたいな薄い翼で器用に風を掴んでいた。


「あの村?」

 ニーガの背に乗った2人組の小さい方——ザカライアが眼下の村を指さした。

 畑と粗末な造りの小さな家が点在するばかりの山村だ。上空から見ても活気がなく陰鬱な雰囲気を纏っているのは気のせいではない。

「そう」

 弟の問いかけをもう1人の人間――エルドレッドが沈んだ声で肯定する。


「原因不明の死が蔓延る村だ」


  ■


「これが、ご遺体ですか?」

 村の長をしている老人に案内されて連れられた死体安置所で、エルドレッドは思わず顔色を青くした。老人は沈痛な面持ちで「皆、村で暮らしていた者達です」と頷く。


 そこには穴だらけの人の皮を被った塊が5つあった。どれも人の原型は留めていない。辛うじて残った髪の毛や指先だけが、その肉袋がたしかに人間であった事を訴えていた。

「外に待機させておいて良かった」

 エルドレッドは村の外でニーガと遊んでいるだろう弟の事を思う。逞しい程に順応性の高い彼の事だから杞憂に終わるだろうが、兄としてはあまり見せたいものではない。


 王都郊外の山村で変死事件が続いている。

 アンドレア王国で武官を勤めるエルドレッドの元に、その調査の仕事が回って来たのは早朝のことだった。事が急を要する話であった事と、場所が離れていた事もあってドラゴンに乗れる彼に送迎を頼んだが、早くも後悔していた。

 エルドレッドは医師免許を持ち、魔術に長け、植物を育て、魔法動物を研究するあまりに多様性のある軍人だ。

 自分にお鉢が回って来たとはいう事は、つまりはそういう事だった。


 死体はどれもひどく損壊しており、最早死因の特定が困難な状態だ。表面を覆う皮には無数の穴が空いていて、それらは中身を食い荒らすかのように肉や内臓まで繋がっていた。

 妙だ、とエルドレッドは自身の顎に触れる。

 ―—この穴はどれも内側から開いたものだ。

 そう、それこそ内側から何かに食い破られたかのような……。


 そこまで考えた脳裏に閃くものがあった。即座に老人の手を引いて安置所を出る。

「ど、どうかなさいましたか?」

「この村に最近新しく入って来た物はないか? 人でも物でもなんでもいいんだが」

 問いには答えずに自分を引きずりながら早足で駆けるエルドレッドに、老人は狼狽えながら心当たりがなさそうに首を振る。

「外国に伝手のある者がいたりは?」

「何分ここは田舎の村なもんで……ああ、でも、隣の村の長は昔”リコ砂漠”を旅したことがあったと聞いたことがあります。けれど、この村を買い取りたいと言ってきたりひどく横柄な男でして……お会いにはならない方が」

「そうも言ってられない」

 ゆるりと首を振った。

「この村は”潜み蔓”に侵食されてる」

「潜み蔓?」

「ミミズの姿をした自走する蔓の群れだ。普段は岩の下などの日陰に隠れているけど、年に1度産卵の時期になると他の動物に種を植え付けて繁殖する。種は2日から5日程で発芽して、同時に寄生した動物を生きたまま食って成長する。……これが原因で滅びたオアシスがいくつもあるよ」

「そんな馬鹿な!」

「国内にはいないはずの種だから、人間が持ち込んだ可能性が高い。輸入品や商人が怪しいと思ってたけど、隣村のね……」

「わ、私たちはどうなるんですか?」

「国外では結構な脅威だから、対策も確立してるよ。群れの女王を殺すか、専用の除草剤を撒けばいい……ただ」

 エルドレッドは言い淀んだ。

 そうしてふと目の前の老人の顔を見る。

 彼は青い顔でぶるぶると唇を震わせていた。やがて歯の根がガヂガヂと鳴り始め、両の目がぐるんと白目を向いたところで彼の身に起きた異変に気がつく。

「ちょっと」

 老人の肩を掴むが、彼の体はガタガタと震えるばかり。肌にぷつりぷつりとおできのような膨らみが浮き出てきて思わず手を離した。


 その瞬間、目の前の体が弾けた。


 水の入った風船が破裂するようだった。老人の身体が一瞬膨張したかと思うと、次の瞬間にはもう何もない。

 代わりに大量の赤と吐瀉物と血の匂いを混ぜたような酷い異臭が雨のように降りかかった。

「いたっ」

 ずきり、と手の甲に痛みが走る。見やればそこからぼとりと緑色ののたくる短い蔦が落ちて来た。老人の身体から出てきた”潜む蔓”に違いなかった。

 慌てて痛みの走った個所を見る。

「しまった……」

 そこに浮かんだ痣を見て頭を抱えた。


   ■


「ザカライア!」

 村の入口でニーガの背で遊んでいるザカライアを見つけるなり呼びつけると、ザカライアの方は驚きで目を丸くした。

「兄ちゃん、血!」

 エルドレッドは頭から爪先まで、真っ赤な血に染まっていた。ぽたぽたと滴る赤い雫を見て村のなかでなにかあったのだと、地面に降りようとする。

「降りるな!」

 エルドレッドが怒鳴った。この一見穏やかな兄が怒鳴るのは非常に珍しい事で、思わずその場で硬直してしまう。

「そのまま聞きなさい。この村では"潜み蔓"が蔓延している。お前はこのまま戻って除草剤を手配してきてくれ」

「それなら兄ちゃんも一緒に……」

 エルドレッドは首を降って手の甲を見せた。そこには規則的に並んだ斑点が円形場に連なる形の痣があった。

「俺ももう感染してる」

 ひゅ、と喉が鳴る。

「これ以上拡散させないために俺はこの村から出れない。他の村人もそうだ。何とか時間を稼いでみるから急いでくれ」

「でもよ、兄ちゃん! リコ砂漠まではドラコンでも2週間はかかるんだぞ! 」

 ザカライアが泣きそうな声をあげた。


「そうだ。だから、帰りなさい」

 エルドレッドは努めて静かに言った。

「被害を拡散させないために、準備をしなくてはいけない。お前は早く戻って、王都に報告を……」

「嫌だ!」

 はっきりとした拒絶を示す。

「俺、知ってるぞ。"潜み蔓"には女王がいてそいつを殺せば群れは生きていけないんだろ。遠くの薬を持ってくるよりずっと確実じゃないか」

「そうかもしれないけど」

「俺に寄生させないために遠くにやりたいんだろうけどそうはいかない」

 ザカライアは大きな目を見開いて兄に乞う。


「言ってよ兄ちゃん。こんな馬鹿なことやらかす奴をぶっ殺せって。俺は細かいことを考えるのは苦手だけど、それだけは得意だから」


 エルドレッドは歯噛みした。

 弟の、引いては自分の一族のこういう所が心底苦手だ。敵を決して許さず、完膚なきまでに引きつぶさないと気が済まない。

 けれど、もう止めることはできない。エルドレッド自身もまた、弟の言葉に同調できる一面ももっているのだ。

「……おそらく隣村の村長だ。ちゃんと確認して」

 渡された情報に満足そうに頷いて、ザカライアはドラゴンの脇腹を足で小突く。ドラコンは小さく鼻をならすと、大きく羽ばたきなから地面を蹴った。


  ■


 隣村の長の屋敷は近隣のどの家よりも大きい。

「そろそろ全滅する頃合いか」

 強欲さの象徴のようなでっぷりとした腹をさすりながら、長は窓の外を眺めていた。額には規則的に並んだ晩年でできた円形の痣。これこそが"潜み蔓"に寄生された人間の証だった。

 彼は"潜み蔓"の女王を体内に宿していた。

 寄生された事に気が付いた時はひどく驚いたものの、女王の”潜み蔓”は寄生されても無害だと知りほっと胸を撫で下ろしたのがつい1週間程前のこと。そのうえ幸運な事に女王は男に群れを操る力を宿主にも与えたのだ。

 予てから隣村の土地を欲しがっていた男が、これを利用しないわけがなかった。


「旦那様、隣村が出入口を封鎖しはじめています」

 扉から入って来た使用人が告げる。

「やっと気づいたか。しかしもう遅い」

 男はほくそ笑んだ。

 村は全滅する。変死体の山が積みあがった土地なんぞ気味悪がって誰も欲しがらないだろう。そこを買い叩けは良い。


 もう1度男が窓の外へ向ける。

「なっ」

 宵闇に包まれた窓の外に黄色い玉は2つ浮かんでいる。その黄色がドラゴンの瞳であることに気が付くのと同時に、その背に乗っている人物がじっとこちらを睨みつけている事に気が付いた。

 王都の軍服を身に着けたまだ年端もいかぬ子どもだ。まだあどけなさの残る愛らしい顔立ちをしているが、その手には武骨な手斧が握られていた。


「なんっ」

 男が声をあげるより前にザカライアは振りかぶった手斧を投擲した。くるくると回りながらまっすぐに飛んで行ったそれは薄い窓ガラスをたたき割って、男の肩に突き刺さった。

「ぎゃあっ!」

「だ、旦那様っ!?」

 割れる窓ガラスの音と、男と使用人の悲鳴。にわかに屋敷内が騒がしくなってくるが、そんな事は気にした様子もなくザカライアは割れた窓から部屋の中に降り立つ。

 ざりざりとガラスの破片を踏みにじって長の前に立つと、じいっと彼の額に浮かんだ痣を見た。


「それ、女王サマ?」

「は……」

 尋ねて来るザカライアの声があまりに朗らかで拍子抜けした。

「なぁ、聞いてるんだけど」

 尚も言い募る子どもの様子に苛立った長は「だったらなんだというんだ!」と声を荒げる。そして窓を割って入って来た事を咎めてやろうとしたのだが、

「ぽぇぁ」

 言葉の代わりに間抜けな声が出た。

 気が付いた時には男の額は斧で縦に割れていた。ぐるんと白目を向き、舌をだらんと出した男が膝をつく。額の斧の隙間から這い出してきた白いミミズのような生き物が床に落ちてのたうち回った。

 苦しみもがくそれをブーツの底で引きつぶして、「よし、終わり!」と嬉しそうに飛び跳ねる。足元で死んでいる男や、扉の前で腰を抜かしている使用人などには目もくれない。

 その声を外で聞いていたニーガは足元にいた無数のミミズに似た蔓達が、キィィキィィというか細い断末魔を上げて動かなくなっていくのを見て、不思議そうに首を傾げるのだった。

 

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薄皮の下に蔓延るもの きざしよしと @ha2kizashi

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