第39話 救いだなんて言わせない
――パラメルは徒党を組んではいけない
――パラメルは一か所に留まってはいけない
それはパラメルとして生まれた者が伝統として守らなくてはいけないことだ。
彼らは記憶を食べる。キノと同じ食事もすることは出来るが、それでは体に十分な栄養を送ることが出来ない。だから彼らは記憶を貰う。少しずつ少しずつ記憶を貰って、食べれば別の場所に旅立たなくてはいけない。
それがパラメルの宿命だ。記憶を食べなければ彼らの体は弱ってしまう。彼らは生きる為に記憶を奪うのだ。
しかし、一か所で奪い続ければいつか正体がバレてしまう。あいつが来た時からと疑われ、パラメルと言う存在が認知されれば全ての同胞に迷惑をかける恐れも出てくる。
だから彼らは一人で旅をする。一人で国々を周り、一人で記憶を奪い、どこかで仲間と出会えば子孫を残し、その子孫も三つになるまでに捨てていく。
彼らは一緒にいてはいけない。一緒に居れば奪う記憶の量も機会も増えるから。一人で奪い、一人で生きるのがパラメルなのだから。
――……おかあさん
リオリスもそうだった。彼は三つになった頃に親に置いて行かれた。生まれた時からパラメルの生き方を教わってはいたが、心がまだ受け入れていない時に捨てられた。
――おとう、さん
リオリスは泣きながら親を探した。親も泣きながら子どもを置いて、愛したお互いと離れたとも知らないで。
毎日泣いたリオリスの心を寂しさが埋めた。埋められない寂しさが蔓延した。
奪わないと生きられない。生きたいならば奪わねばならない。誰かの記憶を、誰かの思い出を。
いつかパラメルの心は死んでいく。一人で生き続け、ぬくもりに触れずに育てば自然と心は死んでいく。死んだ心で生きる為に記憶を奪い続けるのだ。
けれどもリオリスの心は死ななかった。死ねなかった。寂しがり屋の彼は必死に誰かのぬくもりを探していたのだ。
街に着けば自分と同じ髪を探し、栄養がそこまで無い物を食べ、またパラメルを探した。
だからこそ彼がレキナリスと出会った時の感動は正に希望の訪れだったのだ。
とある国の近くで
――……君、パラメルだよね
そう自分の前に立ってくれた少年。顔を上げた先で見た、自分と同じ緑の髪と黄金の瞳。
レキナリスはリオリスの前に座り、泣きながら記憶を食べている少年を見つめた。
その震える小さな手がレキナリスの腕を掴んだから。泣きじゃくりながら縋られてしまったから。
死にかけていたレキナリスの心が満たされてしまった。
死ねなかったリオリスの心が安堵してしまった。
この二人の出会いは間違いだった。
レキナリスがリオリスに声をかけてしまったことも。リオリスがレキナリスに縋ってしまったことも。縋られた方が振りほどかなかったことも。抱き締め返してしまったことも。全てがパラメルとして間違いだった。
けれども二人は子どもだから。自分の達の生き方を受け入れる前に、お互いに見つけ合ってしまった子どもだから。
――ねぇ、一緒に、行こうか
レキナリスはその言葉を我慢出来なかった。
――うん、うん、一緒が良い、一緒が良いよ……一人は、嫌だ
リオリスは一人に戻ることが出来なかった。
その日から彼らは手を繋ぎ「兄弟」になったのだ。時折街で見かけた「きょうだい」に自分達もなれると思って。年上だったレキナリスが「兄」になり、リオリスは「弟」になった。
兄弟二人の旅路はやはり寂しいものだった。何度も記憶を奪い、食事がバレかけたこともあり、逃亡もして生き永らえて。
レキナリスは時々立ち止まる事があった。彼の心臓が上手く言うことを聞かなかったからだ。リオリスはそれが不安で、動けなくなった兄弟を見つけたのが――ガラとミールだったのだ。
五歳だったリオリスと、九歳だったレキナリス。彼らは何も知らないガラとミールに拾われ、手を握ってもらえたのだ。
――もし帰る家が無いなら、俺の家族にならないか?
キノと同じ食事を兄弟が奢られた時に。ガラは小さな兄弟を勧誘した。
ガラ・テンティアは幼少期に親を亡くした。流行り病で手の施しようが無いままに。だから彼は家族が欲しかった。孤児としてレットモルの城に住み込みで働いていた頃からずっと、自分だけの家族が欲しかったのだ。
王子だったザルドクスはガラを兄弟のように大切にしてくれた。剣の稽古や貿易の勉強を二人で何年もして、王になることが決まっていたザルドクスの役に立ちたいとガラは考え始めた。だから貿易職に就いたのだ。
そしてザルドクスが他国の花屋で見染めたフィラムを紹介した時、ガラは気づいた。自分も家族が欲しかったと。貿易団に所属している身であっても、ザルドクスに本当の兄弟のように接してもらえても、フィラムに兄のように慕われても。
ガラは自分だけの家族が欲しかった。その家族と共に誰かを笑顔に出来る道を歩みたいと願った。
だから彼はサーカス団を立ち上げ、家が無い外れ者達の帰る場所を作った。
他者を導くことに辟易していたコルニクスから始まり、種族に嫌われた双子のアイロス。規律通りに生きたくないシルマ。水の底で一生を過ごしたくないプモンに、鳥籠の中で空を見上げたくないケドン。笑顔を照らしたいと願ったグリュームに、親に見捨てられたセレスト。
リオリスとレキナリスはお互いの手を握り締めた。
彼らは家を願ってはいけないから。帰る場所を作ってはいけないから。
ミールは静かに兄弟を見つめ、せめぎ合っていた心も考えも知っていた。知っていたが団長に伝えることは無く、兄弟の意思を尊重したのだ。
だから兄弟は再び間違った選択をしてしまう。家を望み、帰る場所を望み、家族を望んでしまったのだ。
――家族になっても、良いですか
レキナリスはガラに頭を下げた。団長は慈しむ瞳で兄弟の頭を撫で、緑の子ども達は泣いた。泣きながら家を見つけてしまった。
――はじめまして……パラメルのレキナリスです。こっちは弟のリオリス
――よろしく、お願いします
兄弟をサーカス団は歓迎した。食事は何が良いと問われればキノと同じだと答え、自分達と年齢が近いセレスト――アスライトにサーカス団の事を教わって。
――パラメルって変わってるね。初めて聞いた
そう笑ったアスライトは親に置いて行かれたと言う。宝石の種族だと謳われる彼女達は、その髪や目を狙って襲われることも時折あるから。その時に逃げ遅れた者は子どもだろうと見捨てられるから。
――その時ね、ミール副団長が助けてくれたの
満面の笑みで跳ねるアスライトに、リオリスとレキナリスは自分達の事を話した。三つになれば親に置いていかれるのだと。一人で旅をしなければいけなかったと。
――でも、寂しくて……ガラ団長が見つけてくれたんだ
儚く笑ったレキナリスをアスライトは見つめた。それから兄弟を抱き締め、嬉しそうに笑い続けたのだ。
――ここにいればもう、寂しくないよ
その言葉は本当だった。様々な国をサーカス団として旅をして、母国になるレットモルを紹介されて。日々自分達の特技を生かした演目を考えて、悩んで、客席から拍手を貰って。
寂しさは遠くへ行った。心の穴が満たされた。
リオリスもレキナリスもサーカス団を愛したし、団員達も兄弟を愛した。
だが、そんな満たされた日々の中でも兄弟は奪っていた。
自分達の種族を知った記憶を出来る限り最小の範囲で。それでも取りこぼしが無いように。
寝静まった団員達に糸を染み込ませて、パラメルと言う記憶を抜いた。
その記憶は優しい味がした。新しい家族が増えた喜び。可愛い団員が増えた嬉しさ。不安そうにしなくていいと言う心配。
温かな記憶を兄弟は泣きながら食べたのだ。新しい団員が増えた時に自己紹介しても、その夜には記憶を抜いて忘れさせて。時々団員の記憶を少しずつ食べて。貿易先の国の誰かから記憶を少し奪って。
それでも家族として過ごしてきたから。
レキナリスは足りない栄養を嘆かなかった。弱い心臓に苦しんでも、家族といられる時間が愛おしかったから。
けれどもリオリスは嘆いてしまった。兄が自分に奪った記憶を分けることも、体が年々弱っていく姿を見るのも。
リオリスにとって、レキナリスは絶対だったから。死にかけていた心を救ってくれた唯一だから。兄と団員を天秤にかけるとやっぱりどうして、弟は兄を選んでしまうから。
――だから兄弟はこれで良かったのだ。
繭に閉じこもってお互いを抱き締めて、目を閉じて。寒さに貫かれる最後で良かった。
今まで彼らは温かかったから。求めた温かさが傍にあり、守られ、けれども壊してしまったのは自分達だから。
リオリスにもレキナリスにも後悔はなかった。凍える寒さが最期と言う結果に満足していた。
しかし、それに満足しない者がいる。満足何て出来る筈もない者がいる。
両刀を握り直してロシュラニオンの腕から離れたクラウン。道化師の左目は霜を下ろした繭を見つめ、止まった
クラウンは手の甲でランスノークの頭を撫でて繭へと近づく。近づいてどうすれば良いのか道化師自身にも分かっていなかったが、近付かずにはいられなかったのだ。
殺したかった相手が死んでしまった。恨んでいた相手が逝ってしまった。満足そうな表情で隠れてしまった。
「ふざけんなよ、レキ、リオッ」
クラウンの視界が滲んでしまう。指先が震えてしまう。
ロシュラニオンは足を踏み出したが、彼より先にランスノークがクラウンの腕を掴んでいた。
「クラウン」
ランスノークがクラウンの腕に縋る。項垂れた姿勢で涙を流しながら。クラウンは奥歯を噛み締めて繭を見つめ、静かに言葉を零していた。
「スノー、私はこんな最期認められない」
「これは救いよ。レキの救いなの……だから、お願い……」
クラウンの両肩が震え、ランスノークは涙しながら顔を上げる。道化師の肩に王女は寄り添うように額を乗せ、ロシュラニオンは剣を握り直していた。
王子の中で
ロシュラニオンは姉を見つめ、眉間には深く皺が刻まれた。
「姉さん、クラウンを離してください」
「嫌よ」
「姉さん」
「嫌なのッ」
肩を怒らせたランスノークの呼吸が荒くなる。姉の震える唇を見たロシュラニオンは口を結び、クラウンは両手の剣を地面に投げていた。
勢いよく道化師は振り返り、王女を抱き締める。力強く、離さないとでも叫ぶように。
ランスノークはクラウンの荒い呼吸を拾い、涙ながらに道化に縋っていた。
「アス、ごめんなさい。貴方の心より、レキの心を優先してしまったの。もう、戦ってほしくなくて、傷つけあって欲しくなくて、レキの苦しいを、止めたくて……ッ」
「分かってる、分かってるんだスノー。君が泣くから。君はいつも、誰かの為に泣く子だから」
クラウンの感情が煮えては冷めてを繰り返した。
腕の中のランスノークは震えながら泣いている。縋っている。その現状が余りにも痛々しく、苦しいから。
クラウンはランスノークを抱き締める。どちらが縋っているのか分からない強さで抱き締め合う。
ロシュラニオンは冷えた繭に触れかけて止まり、額に広がる痛みを噛み潰した。
「……どうしろと言うんだ、レキナリス、リオリス」
俯く王子は剣を鞘に納め、拳を握り締めてしまう。
このまま朝が来た時、サーカス団にどう説明するのかと。キアローナ姉弟には王宮の者達に説明する義務だってある。クラウンはサーカス団員達に説明を余儀なくされるだろう。何があったのか、どうしてこんなことになってしまったのか。
「狡いぞ、お前達は……どこまでも」
ロシュラニオンは膝に手を着いて唇を噛んだ。
――彼とクラウンの目的は犯人を殺すことだった。
自分達の覚悟を貫き、守りたい者を守る為に殺す。煮えた怒りの為に殺す。大切な人を泣かせる原因を作ったから殺す。大事な人を殺されたから殺す。
だが決して、死なせることが目標ではなかった。
死ぬことで解決することなど何もないと知っていた。
「俺は、俺の手で……」
ロシュラニオンは奥歯を噛み締める。血だらけになったリオリスを抱いて、自分の手で殺したのだと刻み付ける覚悟があったのに。彼の死を見届ける覚悟を持っていたのに。
王子は自分の膝を殴り、両手で顔を覆うのだ。
「こんな最期では――お前を、許せないじゃないかッ」
ロシュラニオンの怒りが溢れ出る。涙となって頬を伝う。
彼の怒りを受け止めなかった勝手な付き人。どこまでも揺るがぬ覚悟を持っていた団員。兄の為だけに走り続けたパラメルの弟。
クラウンとランスノークはお互いを離すと、泣きながらロシュラニオンに歩み寄った。
姉は唇を噛み締めて弟の背に寄り添う。道化師は顎から涙を落としながら王子の肩を抱く。
深呼吸をするが、涙を止めることが出来ないクラウン。
道化師はキアローナ姉弟を一度強く抱き締めて、輝く青の左目を閉じはしなかった。
「救いなわけ……ないよ」
怒りと悔しさがクラウンの声を濡らしていく。
道化師の頭に浮かぶのは、いつだって笑っていた兄弟だから。苦楽を共にしてきた団員だから。何も知らない他人ではない、何にも代えがたい家族だから。
クラウンは決めていた。
八年前のように、決めてしまった。
「死ぬことが、救いになって堪るかッ」
クラウンはキアローナ姉弟から離れ、翼の羽ばたきを聞く。
姿を、心を、考えを見据える銀の瞳。夜の闇に溶けるような三つの黒い翼。普段被っているフードを落とした副団長。
ミールはクラウンの前に足を着き、仮面の奥で燃える青い瞳を見下ろした。
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