第26話 傍にいるべき相手を間違えた

 

「それで、ミール・ヴェールの容態はどうなんだ」


 夜、クラウンはロシュラニオンの部屋にいた。


 ベッドに腰かけている王子は窓辺に立つクラウンを見つめている。腕を組んでいる道化は感情を読ませない声を吐いていた。


「頭は切れたし体も何か所か強く打ってる。翼の一つは折れてたし、要安静だよ」


「医者の手配は」


「副団長は団員以外と極力接したくないたちだからね。レキナリスとかが手当てして、寝ることに専念してるよ」


「それでいいのか」


「いいんだよ、医者を呼んだら逆にストレスさ」


 クラウンは仮面に触れて息を吐く。医者を呼ぼうとガラも説得を試みたが、ミールは首を横にしか振らなかったのだ。


 ――足場が崩れた。私の落ち度だよ


 ミールはそうとしか説明しない。俯いた副団長を見たガラは、深く追求することが出来なかった。


 ――ちゃんと治せよ


 ――あぁ、そうする


 クラウンは、二人の会話をロマキッソと共に聞いた。いや、ロマキッソが聞いてクラウンに伝えたと表現するのが正しいだろう。


 奥歯を鳴らしていたロマキッソは酷く怯えていた。怯えながらクラウンに団長達の会話を伝え、走り去ってしまったのだ。


「……行動を読まれたか」


「だろうね……くそ、テントで話すべきじゃなかった」


 ロシュラニオンは眉間に皺を寄せ、膝に頬杖をついている。その顔には険しい色がさし、クラウンは前髪を握り締めるのだ。


 テントで会話をし、真実を知ろうとしていたクラウン。


 団員の中に犯人がいると仮定を作り、話す覚悟をしたロマキッソの意思を汲んで。


 クラウンが冷静であったかと言えば、答えはノーだ。感情は先走り気味であり、黒い感情が滲んでいたと言うのが事実だろう。


 だからこそクラウンは、ミールの翼に触れて気づいたのだ。


 ロマキッソとテントで話してはいけなかった。


 もっと内密にするべきであった。


 クラウンに犯人は分からない。


 けれども、犯人はクラウンが分かるのだ。


 アスライトを殴り、ロシュラニオンから記憶を奪い、それを黙って八年間も家族を続けていたのだから。


 アスライトからクラウンとなった少女を、犯人が見つめない筈が無い。もしもクラウンが犯人の立場であれば、危惧する存在として注視してしまうだろう。


「気づかれたんだろうな、私の動きに」


「あぁ。だが直接手は出していない。犯人は、ミール・ヴェールとロマキッソ・ロンリーも気付いていると悟ったからこそ、二人を同時に喋れなくしたんだろ」


「あぁ……ムカつくことにね」


 クラウンの脳裏に青白い顔のロマキッソが浮かんでいる。


 何度も言うように、玉乗りの根底は臆病なのだ。新しい国に行く時は団員の後ろに隠れ気味であり、一つ公演が終われば緊張が切れて歩けなくなることも多々ある。


 そんな彼が、勇気を出した瞬間。八年間の懺悔を吐き出そうとした、その時。


 まるで狙ったようにミールは事故にあった。


 それは確実にロマキッソの恐怖を増長させる。


 話すことはいけないこと。黙っているのが正しいこと。もしも話せば自分もこうなる――だって、ずっと見られているのだから。


 そう、暗示されたようなものだ。


 ミールの事故は事故ではない。故意に起こされたものであり、それは的確にロマキッソの"勇気"を折ったのだ。


「あの子のことを、もっと考えてやるべきだった」


「クラウン」


 顔を下に向けたクラウンを、ロシュラニオンは呼んでいる。


 赤い瞳は、項垂れている道化を見つめた。王子は自然と手を伸ばし、クラウンはその手を見てしまう。


「背負うな」


 道化師の肩が揺れる。


「お前の背中は、そこまで広くないだろ」


 ロシュラニオンは首を微かに傾け、差し出した手を下ろしはしない。


「お前の腕は二本だけだ」


 クラウンは静かに腕を脱力させていく。


「俺の腕も貸してやる。俺の頭も、背中も、使えばいい」


 ロシュラニオンの目はクラウンを呼んでいる。


「お前は俺を、幸せにしてくれるんだろ?」


 微かに眉を下げ、諭す物言いをしたロシュラニオン。


 クラウンは静かに歩み寄り、王子の掌を見下ろし続けていた。


「そうだよ」


 道化は床に膝を着き、両手で王子の手を握っていく。


 クラウンは握った手を仮面の額に当て、忠誠を誓うように俯いたのだ。


「私は君を、幸せにする」


「ならば、俺はお前の幸せを望んでいよう」


 ロシュラニオンはクラウンを見下ろし、自分も床に膝を着く。道化の手を包むように握り直し、王子は仮面と額を合わせていた。


 伏せられた黒い睫毛は揺れており、クラウンも仮面の下で目を伏せる。


「クラウン、お前はどうすれば幸せになれる」


「私は――君が傷つかなければ幸せだ」


 ロシュラニオンは目を開ける。


 立ち上がった王子は道化も立たせ、机に〈幸せ計画表〉を広げていた。


 そこに加筆される事柄にクラウンは口を結んでしまう。


 〈クラウンの幸せを叶える〉


「……おいおい、王子様」


「何か問題があるか」


 ロシュラニオンは真顔でクラウンを見下ろす。道化は頭を抱え、天井を仰ぎ、腕を組んで、首をひねっていた。


「……君と私は、主人と付き人だよ」


「お前がそう思いたいなら、そうしておけ」


「友達でもないよ」


「友達なんて御免だ」


 ロシュラニオンは黒い髪を叩くように撫で、クラウンはうなり続ける。王子は施錠確認などの就寝の準備に入り、道化もテントに戻ろうと考え直していた。


「……まぁ良いや。明日から暫く来ないけど、団員で残るのはレキと副団長、補助でベレス先輩だ。身辺警備は緩めんなよ」


「ベレス・サーパンタインが残るのか」


「そ、残るのが心臓が弱い子と要安静の奴になっちゃったからね。最初は僕が残るって言ったんだけど~」


 クラウンはベレスに叩かれた頭を摩ってしまう。


 ――私が残る!


 ――お前が行かなとー、鬼才国に行く意味が無くなるだろぉ?


 ぐうの音も出ないクラウンを、ベレスは笑いながら叩き続けた。道化師役はクラウンに任せれば問題ないと言い切った師匠に、弟子は何も言い返すことが出来なかったのだ。


「……あの人は、違うと思ってる」


 クラウンは小さく呟き、自分が団員の誰の事も疑えてないと気づく。


 静かに嘆息した道化は、枕元に剣を置いた王子を確認した。


「剣、よく手入れしときなよ」


「俺よりお前だろう。残る三人が白である場合、お前は誰かも分からない犯人と共にいることになる」


「今までだってそうだったんだ。気は張っておくけどね」


 クラウンは肩を竦めて見せる。ロシュラニオンは息を吐きながらベッドに腰かけ、クラウンは明かりを消していった。部屋は徐々に暗くなっていき、最後には枕元の明かりだけが残される。


「さぁ、おやすみよ王子様。私もテントに帰るから」


「泊ってもいいぞ」


「馬鹿言うなよ。子どもじゃないんだ。部屋に入るのだって本当は嫌なのに」


「あぁ、そうだな、子どもじゃない」


 ロシュラニオンはクラウンの手首を掴む。道化は微かに肩を揺らし、手首を撫でる王子の指を見つめていた。


「ロシュラニオン」


 名前を呼ぶと言う行為。


 それだけで、クラウンは感情を伝えている。


 ロシュラニオンは手を止めて、何も言わずに離していった。


「おやすみ。またな」


「あぁ。おやすみ」


 クラウンは部屋を出て、ロシュラニオンは最後の明かりを消している。


 廊下に出た道化師は掴まれた手首を摩っていた。


「……ばぁか」


 * * *


 良く晴れた早朝。朝日が昇ると同時に、サーカス団は出発していく。


 複数の荷台で列をなし、レキナリスとベレスに手を振りながら。ミールはテントから出るのを禁止されている。


 クラウンとリオリスは最後尾の荷台に乗っており、心配そうなレキナリスを笑っていた。


「いってらっしゃい。クラウン、リオリスをよろしくね、こいつ暫く外に出てなかったから……」


「そんなに心配しないでよ、兄さん」


「まっかせなさいよ、お兄ちゃん! 良い仮面強請ねだらせてもらうけど!」


「そんなに高くて良いの、お願いしないくせに」


「そんなことないもんねー」


 おどけて見せるクラウンの肩をリオリスは軽く叩いている。気の置けない二人のやり取りを見たレキナリスは、眉を下げながら安堵していた。


 弟は兄と共に作ったデザイン画を元に、久しぶりにレットモル以外の公演に参加する。レキナリスはそれが不安なのだと道化は笑い、恥ずかしそうなリオリスの肩を叩き返していた。


「まぁまぁレキ、今生の別れじゃあるまいしぃ。かるーく見送ってやんなー」


「うー……はい、ベレス兄」


「えー師匠~! 弟子に激励してよー! しっかり見送ってー!」


「その陽気で行ってこーい、クラウン」


「軽い!」


 本日も飄々ひょうひょうとしているベレスに、クラウンはオーバーリアクションで返している。それを見て、緑頭の兄弟は肩を揺らして笑ってしまった。


 そうしていれば、彼らが乗る荷台の一台前が出発する。クラウン達が出発するのも近いらしい。


 レキナリスとベレスはそれを確認し、近付いてくる足音に気が付いたのだ。


「え、ランスノーク様、ロシュラニオン様も」


「どしたの姉弟揃って! 超早起きじゃん!」


 目を丸くしたレキナリス達の視線の先。城の方向から、凛としたキアローナ姉弟が近づいて来ていた。


「貴方達が発つ前に、昨日のことを謝っておこうと思ったの。レキ、クラウン、我儘に付き合わせてごめんなさいね」


 ランスノークは苦笑し、レキナリスとクラウンに頭を下げる。それを慌てて止めた二人に王女は眉を下げて笑っていた。


「いやいやいや、良いから良いから、ぜんっぜん気にしてないから! スノー、そう言うこと止めてよね!」


「そ、そうですよ。頭を下げられる方が困ってしまいますから、ほんと、気になさらないでください」


「そうらしいわね。では、王女として、友として、サーカス団の貿易の成功を祈ってるわ」


 ランスノークは花が綻ぶように笑い、クラウンもレキナリスも顔を見合わせる。ランスノークは、自分が謝れば友が慌てると見越していたらしい。


 脱力したクラウンは軽く敬礼し、荷台は動き始めた。


「っと、じゃ、いってきまーす!」


「ベレス兄! 兄さんと副団長をお願いします!」


「おーう、任せときなー」


「いってらっしゃーい」


 クラウンは大きく手を振り、ベレスとレキナリスも手を振り返す。ランスノークも笑いながら見送り、道化の視線はロシュラニオンに向かった。


 王子は少しだけ荷台を追い、道化に言葉を贈っている。


「無事、戻れ」


 赤い瞳に影がちらつく。心配だと、必ずだとうような色だ。それを見た道化師の肩は揺れていた。


 だからこそ、クラウンはうやうやしく頭を下げるのだ。


「貴方が望む通りに」


 ロシュラニオンにその声が届く。


 王子は立ち止まり、サーカス団が発つ様を見届けた。


 リオリスは道化と王子を見比べ、クラウンと一緒に頭を下げておく。


 ロシュラニオンは手を握り締め、姉は弟の姿に違和感を覚えていた。


「レキ、今回の貿易路に何か不安でもあるの? それらしい報告は無かったと思っているのだけど」


 確認されたレキナリスは目を細める。彼は連なる荷台を見送り、唇は静かな声を落とすのだ。


「……何もないよ、何もない」


「……レキ?」


 ランスノークの新緑の瞳と、レキナリスの黄金の瞳は交わらない。


 不意に微笑んだ青年の姿に、王女は先を聞けないでいた。


「帰りましょう、ランスノーク様。お城まで送ります」


「……えぇ、そうね。ロシュ! 戻りましょ!」


「はい」


 ロシュラニオンは踵を返し、姉達の元へ戻って行く。


 クラウンは荷台の中に入り、眠たげに目を擦るロマキッソを見つけていた。


「リオ、ロマと話したいから、少しいいかな?」


「いいよ。声かけてくるね」


 リオリスは立ち上がり、船を漕ぎかけていたロマキッソに声をかける。白い少年は大きく体を揺らし、荷台の中には素っ頓狂な声が響いたのだ。


「は、はひッ!?」


「あ、ごめんロマ、急に声かけちゃって」


 リオリスは困ったように肩を竦め、ロマキッソは顔を赤くする。額まで赤くなった玉乗りを団員達は微笑ましく見守っていた。


 ロマキッソは恥ずかしそうに、耳で顔を隠そうとしている。


「こ、こっちこそ、ご、ごめんね。なんか、寝不足で……どうしたの? リオ」


「ううん。クラウンが良かったらロマと話したいなーって言ってたからさ。あそこなら日もよく当たるけど……後にする?」


「い、行く」


 ロマキッソはふらつきながら立ち上がり、リオリスはその姿を見つめている。揺れによって途中で倒れかけたロマキッソは、どうやら本当に寝不足らしい。


 クラウンはロマキッソの手を取り、穏やかに隣に座らせた。


「呼びつけてごめんね、ロマ……大丈夫?」


 様々な確認が込められた「大丈夫」をクラウンは零している。


 微かに潜められた声にロマキッソは首を傾げ、目を瞬かせていた。


 その態度に、クラウンのうなじがひりついている。


「大丈夫だよ。ほんと、なんか、凄く眠くって……昨日ちゃんと、寝たと思うんだけど」


 両耳を握り、はにかむロマキッソ。


 クラウンのうなじは引き攣り続け、冷や汗が背中を流れていった。


「……ロマ?」


「ん?」


 ロマキッソの顔は不思議そうにクラウンを見る。


 本当に、心底不思議そうに。


 クラウンはその態度に違和感しかないのに。


 昨日、顔を青くして走り去った少年の態度ではない。不安に泣いていた彼がする態度だとは思えない。


 クラウンの頭の中で警鐘が鳴り響く。


 心臓は早鐘を打ち、指先が痙攣し、嫌に喉が渇いてしまう。


「あ、のさ、ロマ……昨日、私と話してたこと、なんだけど」


 唇が震えるせいで、道化の言葉がカタコトになる。


 ロマキッソは首を傾げ、様子がおかしいクラウンを心配した。


?」


 ロマキッソは声を潜めない。


 言葉に乗っているのは確実な疑問であり、少しだけ額を押さえる素振りをする。


 それは、痛がる素振り。


 クラウンが嫌いな行動。


 目に焼き付いた、王子と同じ行動だから。


 クラウンの心臓は破裂しそうになり、視界が滲んでしまうのだ。


「昨日……僕……クラウンと話したっけ?」


 道化師の体が凍り付く。


 心臓も、指先も、頭も、喉も。


 クラウンの全てが凍り付き、左目は――頭を押さえたロマキッソを、見つめてしまったのだ。


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