第9話 報酬、登録、帰還 3

「ふんふんふふふーん♪」


 鼻歌を歌いながら、カップ麺の蓋を開く。

 このカップ麺は、最初から麺の中にかやくが入っているタイプであり、蓋を開けばすぐにお湯を入れられるから便利だ。

 僕は、こぽこぽと、ポットからお湯をカップ麺の容器に注ぐ。

 きっちりと、目安の場所までお湯が浸るように調整して。後は、戸棚からお盆を出して蓋代わりに。


「ふふふふー♪ ふふふふーん♪」


 さて、カップ麺が出来上がるまでの三分間で、付け合わせの物を用意してしまおう。

 まずは、ご飯。冷や飯であるが、夕方に煮立てた熱湯がポットには注がれているので、当然、カップ麺の中にあるのも十分な熱を持ったお湯だ。これが、中途半端に温ければ、この選択は悪手かもしれないが、充分な熱が込められたカップ麺ならば、間違いではない。

 そして、冷や飯を茶碗に盛ったのならば、後は漬物を冷蔵庫から。魚肉ソーセージは予め、ソースで味付けした者をレンジで軽くチンして。

 よし、そうこうしている間に、カップ麺が出来上がったぞ。ちなみに、今日はシーフード味だ。とても美味しい。


「いただきます」


 カップ麺を食べるのならば、それはスピード勝負だ。

 熱いうちに、麺が伸びない内に。適切な時間の間に、一気に麺を啜って、食べる。啜って、食べる。途中、口の中が熱くなって水が欲しくなるが、そこに冷や飯を口の中にぶち込んで、温度調整。固くなったご飯粒が、熱々のスープでほぐれてちょうどよく美味しい。


「はふっ、文明の味ぃ」


 麺を啜り終わったのならば、大胆にご飯へ熱々のスープを全てぶちまける。

 魚介系の旨味が凝縮されたシーフードのスープを、固くなった冷や飯が吸うことにより、ここに、計算されたコラボレーションが発生する。

 このスープが熱々でなければ、冷や飯による温度低下で、とても食えた物ではない残飯が出来上がるのだが、きっちりと温度管理をしていれば、それは素晴らしいラーメンライスだ。


「さぁ、フィニッシュだ」


 にやり、と笑みを浮かべた僕は、たった今作り上げたラーメンライスを思うがままに貪り始める。

 行儀? マナー? やれ、僕一人だけの晩餐に、一体、どんなマナーが必要だというのだろうか?


「はふっ、はふっ、がつがつがつっ!」


 飯をスープごと、口内へと掻き込む。

 時々、キュウリの浅漬けで、味覚をリフレッシュ。さらに、魚肉ソーセージという、健康面を配慮した貴重なたんぱく質を補給しながら、いよいよ僕の晩餐はフィナーレに向かう。

 ラーメンライス、漬物、魚肉ソーセージ。

 このトライアングルを保ちつつ、最後は、全部一口で平らげられるようにして。


「…………ごちそう、さまでした」


 静かに、僕は手を合わせて食事を終えた。

 …………ふぅ、やっぱり両親の居ない食卓は、カップ麺に限るね!


『…………テメェさ。よく、神話レベルの美食を体験した後に、美味しくカップ麺を食べられるな?』

「いやぁ、それはそれ。これはこれって感じの美味さだったからね! いや、むしろ、あれを食べたからこそ、僕の味覚が開花して、いつも以上に美味しく食べられた気がするよ!」

『そっかぁ』


 脳内に響く、親しみを覚える声―――ジャックに返答しつつ、僕は食器を流しへと運んだ。

 いつもは放置してしまう面倒くさがり屋な、思春期ボーイの僕であるが、今日は違う。何せ、幾度も死んだおかげで、こうして普通に生活できる幸福を噛みしめているのだ、さぁ、喜んで食器を洗おうではないか!


「…………でも、二時間以上なんの痛みも体に無いとちょっと現実か不安になるな。ええと、包丁……は衛生的に駄目だから、ボールペンで――」

『やめろぉ! やっぱり、テメェの精神が落ち着くまで学校には行くんじゃねぇよ!!』

「ああ、そういえば、こっちだとリスポーン無しのノーコンティニューだっけか? やっばい、僕ってば今まで、どれだけ凄い人生を送ってきたんだ?」

『駄目だこいつ! 飲まず食わずで殺し合いをし過ぎて、頭がおかしくなってやがる!』

「あっはっは、大丈夫だって。その内、日常を思い出すからぁー」


 とまぁ、そんなわけで。

 色々あったわけだが、僕はこうして無事に現実へと戻ってきたわけなのだ。

 もっとも、今までの『ただの高校生』とは違い、異世界への扉を潜る権利を得た、キーホルダーとしての一時帰還なのだが。



●●●



 僕の住んでいる町は、東北地方のとある田舎町だ。

 冬になれば、それなりに雪は降るし、積もる。けれど、県北の方に比べたらまだマシな方。田舎町と言っても、国道が通っている近くに僕らの住む町はあるので、比較的田舎の中でも、ある程度マシな感じなのである。

 そう、田舎にもランクがあるのだ。

 コンビニがある田舎。

 本屋がある田舎。

 デパートがある田舎。

 観光資源がある田舎。

 それらがどれも無い田舎にあるのは、田んぼと畑ぐらいである。温泉やスキー場すらも無いことも稀にあるから悲しい。


『長閑な場所じゃねーか。いいねぇ、俺もこんな平和な街に住みたかったぜ。カモがそこら辺で無防備に歩いてやがる』

『ちょっとジャック? 僕の町で犯罪行為の想定は止めて欲しいんだけど?』

『けけけ、冗談だ、冗談』


 いつもと同じ田舎の光景。

 道路を挟んだ、青々とした田んぼ。

 田舎の初夏。

 高校に行くための電車に乗るために、徒歩十分ぐらいの道のりを歩いて、駅へ。

 そんな、いつもと変わらない通学路だけれど、この僕は昨日までの僕とは違うのだ。具体的に何が違うかと言えば、所持品が違う。

 現在、僕の体内にはカードキーが封印されてある。


『貴方様の世界では、キーホルダーとしての力は使えません。また、そちらの世界で死亡してしまった場合、我々はどうしようもありませんので、くれぐれもお気を付けくださいませ。加えて、カードキーは紛失防止のため、貴方様の本来の肉体へ封印させていただきます。特に健康に関して害はありませんので、ご安心ください。それともう一つ。貴方様は非常に珍しいことに、カードキーの第三段階を既に解放されているので、そちらの世界でも、死者の魂との会話が可能となります』


 それで、イフさんからの説明を受けたのだが、要するに『現実世界では特別な力は使えない』ということ。『現実世界で死んだら普通に死ぬ』という当たり前のことをしっかりと理解するように言われた。

 特に、僕は何度も死んでいるので、うっかり死なない様にジャックの警告をしっかり聞くように、とイフさんからの念押しを受けたのである。

 実際、僕の動き方と言うのは自壊前提で無理をしていたところがあるので、あの地獄の死闘から現実にフィードバックできる物といえば、見切りと、妙な歩法ぐらいだろう。

 うん、現実世界だとまるで役に立たないスキルだなぁ。


『しかし、良い場所に住んでたんだなぁ、皆人』

『良い場所って、ただの田舎町だよ?』

『いや、テメェの記憶を参照して確認したが、充分、良い場所だぜ、ここは。何せ、空気が美味い。水が綺麗。飯に困らない。娯楽は多少あれだが、それでも、女が居るんだろ? ちょいと引っ掛けて抱く機会がありゃあ、充分都だぜ』

『はっはっは、この僕にそんな真似ができるとでも?』

『そこはテメェよぉ、この俺の助言があればだな』

『えー、異世界風のナンパでしょ?』

『俺からすると、テメェの世界の方が異世界だぜ』

『そりゃそうか』


 けれども、こうして心の中でジャックと会話できるという機能はとても嬉しい。

 なんでも、カードキーの宿った死者の力を引き出す段階という物が存在しているらしく、最初に配布された時は、誰しも第一段階が解放されている状態。その第一段階の《スキル》を成熟するまで使いこなせば、第二段階が解放される。第三段階からは、死者の魂との同調レベルが一定以上とかなんとかで、第四段階という最終段階に到達したキーホルダーは、百人にも満たないぐらいの数らしいのだ。

 そう考えると、僕ってば結構凄いのかもしれない。

 何せ、チュートリアルダンジョンで最終段階手前まで、カードキーを使いこなしているのだから! …………なんて、暢気に考えられれば良かったのだけれども。


『いや、それはテメェの死亡回数が頭おかしいだけで、別に使いこなしているわけではねぇぞ? 大体、第二スキルも使ってねぇし。第三段階はただ、テメェの精神が大分おかしいことになった所為で、同調しやすくなっただけだぞ』

『あー、やっぱり、そんなオチかぁ。僕ってばどこまでも凡人みたいだね』

『英雄候補様だったらきっと、そもそもそんなに何度も死なねぇよ。何だよ、7000回近くって。拷問かよ』

『拷問かどうかはさておき、二度とはやりたくないね』

『そうだな。テメェの人格がちょっとおかしくなったもんな』

『まぁた、そんなことを言うー』


 度々ジャックに言われているそれであるが、僕には実感がまるでない。

 まぁ確かに? 自分の変化を自分自身で知覚するのは厳しい物があるかもしれないけれどもさ。そんなことを言うのであれば、実際に試してみればいいのだ。

 ほら、ちょうど駅で僕の親愛なる友人がいつものように待っていてくれている。

 奴にいつも通りに声をかけて、いつも通りのやり取りを見せれば、僕が相変わらず僕であるということは証明されるだろう。


『心の準備だけはしておけよ?』

『脅さないでよ、もう』


 僕は駅のホームでこちらを待つ人影に対して、いつも通り、笑みを浮かべて声をかける。


「よっす、ハル」

「うっす、ミィ」


 僕の挨拶に対して、仏頂面で言葉を返したのが、友人のハルだ。

 本名は柊 春樹。

 髪は天然の茶髪。長さは男にしては長めで、肩にかかる程度。不細工がそんな髪型ならば、周囲からの失笑は避けられないが、ハルは仏頂面ながらも凛々しい系のイケメン。しかも、背丈が高く、細身ながらも鍛えられた肉体を持つので割と女子から人気の物件だ。もっとも、奴には既に、大学生の恋人が居るので、恋した翌日に失恋を体験する女子は後を絶たなかったりする。


「今日も朝からだるいねぇ。僕ぁ、中間テストがこれから待ち構えていると思うと、うんざりするよ」

「俺は普段から勉強をしているから問題ない」

「うへぇ。あれよ、僕ってば、数学苦手だから、今回もご鞭撻のほどをよろしくお願いしても?」

「コンビニのスイーツで手を討とう。三百円クラスの奴だ」

「うぐぐ、致し方ない……赤点取ると、小遣いが減るからさぁ」


 いつも通りのやり取り。

 僕が日常の愚痴を吐いて、ハルが仏頂面で受け答え。

 中学時代からの定番の組み合わせ。

 特にこれといった理由は無いけれど、自然と付き合いやすいから続いてきた友人関係。

 うむ、やはり付き合っている年月が違うからだよね! 人格が変わったとかジャックから言われたけれど、僕は相変わらず僕だ。


「…………ところで、一つ、良いか?」

「お? 何か気づいたことがある? ふっふっふ、鋭いねぇ、実は――」

「お前は、誰だ?」

「…………えっ?」


 そのはずだったのだけれども、さ。

 僕は、仏頂面から真剣極まり無い表情で、僕を見据えてくるハルの眼差しに貫かれて、思わず喉の奥で呻く。

 あれ? ひょっとして僕、結構変わってしまいましたか?

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