第6話従僕スライ


さっき握りしめた手のひらが熱を帯びてじんじんする


またもびっしりと並べ替えた昼食には、リマは手も付けようとしない


食べてくれるとうれしいのだが


仕方がないので、先ほどからマトーばかり食べている

そうしなければ沈黙に押しつぶされてしまいそうだ


……無理!


もうこの沈黙には耐えられん!


マトーはありったけの勇気を振り絞った!


「い、いい天気だな」

凡庸な会話の上に声が裏返っている


「は、はい…」

曇天である


なんでだ! さっきまで晴れてただろ!


気まずすぎる沈黙が再び降りる


キスをしたい

だめだ、

したら怖がられるどころじゃなくて今以上に嫌われる!

ああ、一緒の空気吸ってていいのか!?


……いや、何を怖がる必要がある? なぜ俺がこんなに思案せにゃならん


リマは俺のものなのだ!


昨日自分で言ったじゃないか! 何をしたっていいんだ。怖がったって怯えたって知るものか。口づけどころか何をしたって……。やめろ、詳細に想像するのはよせ。鼻血がでそうだ。


「お……お前は俺の奴隷……なのだから……」

何とか言葉を紡ぐ


「俺のことを怖がるな」


それは懇願だったが怯えた少女は戸惑うばかりだった。


「は……はい…っ」

「怖がるなと言っているだろう!」

「はひぃいいいい!」


無茶というものである


みるみるうちにリマの瞳が潤んで涙がこぼれる。

ああ、女の怯えた顔が俺は何よりの好物のはずなのに。

なぜ、心臓が絞め潰されんばかりに痛むのだ! 

やめろ、泣くな! 

俺を拒まないでくれ、


頼む……。 

あの男の前では……


アスクレーの前ではほほ笑んでいたじゃないか! 


「くそ……っ!……うっ」


乙女の涙の前にマトーは三度逃げ出した


***



マトーの様子がおかしい

スライは思いめぐらす


サラリと長い黒髪が流れる。引き締まった身体に女の様な目鼻立ち。スライの藍の瞳には憂いがよく似合う


城中の者が噂している


主に広めているのはとんちきのアスクレーと、見境なしのマアリだが……。


乙女の心臓を食べる。月夜に全裸で狼と疾走していた。みんな根も葉もない突飛な噂である。

だが今回の噂はひょっとするかもしれない


昨夜主に傅いたときに蹴り上げられなかった

いつもその靴底をしこたま頬に受けるのに

毎夜大輪の花を抱えてそれでも足りないとわめくマトー

だが昨日侍っていたのは年端もいかぬ少女ただ一人

手を握ってさえいなかった

そんなまさか……


だが、次の瞬間、スライは思案も吹っ飛んで飲み込まざるを得ない現実に直面する


「マ、トー……さ、ま?」


あどけない少年のころのマトーを知らなければ、幻だと見過ごしただろう

気弱で、スライを兄の様に慕っていたあの頃を知らなければ


膝を抱えて涙をボロボロこぼす大男

恐ろしい大盗賊マトーが、廊下の隅にうずくまって一人泣いている!


「マトー様、どうなされました」

慌ててスライは駆け寄って主に傅く

何度か繰り返すが、まるで聞こえていない


最後に思い切ってスライはマトーの方に手をかけて


「マトー!」


昔の様に呼びかけた


夢から覚める様にマトーが顔を上げる


「スライ……いつから居た?」

「先ほどよりずっとお傍におりました」


ばしっ


途端に激しく頬が打たれる。スライは黙って耐える


「見苦しいものを見せた。これで主従の示しがついたろう」

言葉とは裏腹に、零れ落ちる涙が主の権威をはぎ取る


一度ぶたれたくらいではスライはめげない


「なぜ泣いているのです。私で良ければ力になりましょう」

「主の腹を探るとは随分と無遠慮だな。今頬を打たれたことを忘れたか」


「私の目の前でこうもさめざめ泣かれては見過ごせません。女ならば見捨てもしましょうが、忠誠を誓った主となれば話は別です。たとえ、いかつい大男でも。」


「……。」


「どんな悩みでも打ち明けてくださいませ。誰か打ち明けられる人がいれば少しは心も晴れるでしょう」


「……。スライ、お前は恋人とも随分長いな……。随分と俺に虐げられたのに根気よく続いている。」

不意に恋人を引き合いに出されたのでスライは身構えた。いままでさんざんマトーが、夫から女を奪う姿を

見てきているのだから。だが危惧したような話ではなった


「愛しい相手に想われるとは、どんな素晴らしい気持ちだ? 俺はそんな気持ち、一度も味わったことがない! さんざん愛を乞われても、愛したことが無かったのだから。」

女を差し出せと言われた方が、よほど現実味がある。あのマトーが愛について語るなんて。


この男は人を愛することなど到底出来ないと思っていた


「昨夜の少女のことが気にかかっておられるのですか?」


そうスライが口にしただけで……ビクッとマトーが震えた。

母親に叱責される子供のように


あのマトーが! 信じられない。何百人斬り捨てたって眉一つ動かさないのに。


これは尋常ではない

しかし主の求めるものならば、手に入れなければならない


「あの少女の心がほしいのですね?」

「…………。無理だ。酷く怯えられて、嫌われている。」

スライはマトーの手を包んで、真っすぐ見つめる


「打ち明けてくださってありがとうございます。きっと今からでも遅くはありません。私と共に考えましょう。城攻めの兵と恋の味方は多いほど良いものです」


「恋!?」

マトーが目を見開いた


「これが恋だというのか!? こんなに突然で、苦しくてたまらないものが?」


「恋とは時に酷い苦痛を伴うものなのです。けれどもマトー様、その苦痛は貴方が初めてではありません。人類が始まって以来脈絡と受け継がれてきたものなのです。太古の神ですらその苦渋を舐めました。つまり先例は腐るほどあります。もちろん対処法も。」


マトーの涙が止まった。おずおずと眩しそうにスライを仰ぎ見る


マトーにとって、スライの言葉は雲間から射す一筋の光のように感ぜられた。


細い細い救いの糸

地獄の底へ垂らされた蜘蛛の糸


包まれた手が握り返される

伝わる熱

スライはこの上ない悦びを感じる


「スライ……なぜそこまでしてくれる。俺はこの数年随分ひどい仕打ちをしたのに。お前は一向めげない」


当然だ


「私の欲しいものの為に。心よりお慕いしております。主様の平穏でございます」


スライは嘘をついた


「やめてくれ。主様だなんて。昔のようにマトーと呼んでくれ。昔の様に砕けて、兄のように接してくれ。今更遅いかもしれないが。そうでなければ恋の助言を乞うなど、照れくさい真似はできない」


スライは耳が壊れたのかと思った

見やるとマトーがくつくつ笑っている

嗜虐の笑みではない。泣きつくした少年の照れ隠しの笑み


何年ぶりだろう


***



「まずはその恐ろしい身なりを何とかごまかすこと。そのぼさぼさの髪を切って整えましょう。後湯に入れ。お前臭いぞ」


スライが容赦なく切り捨てる。昔の様にと言ったとたんこれである。


「なになに、何してるの?」


面白そうな騒ぎを聞きつけてマアリとアスクレーが寄ってくる。

思う存分噂をまき散らした満足の顔だ。新たなネタをキラキラ探して居る。


答えを知っているくせに


「マトー様は惚れた女の為に自分磨きをしているんだ!」


思い切りよく答えてやる


きゃーっとマアリが面白がって身もだえる。そりゃそうだこんなに面白いことはないだろう。スライだって面白い。実は笑いをこらえるのに必死だ


「マトー様、あのマトー様が恋に落ちた! ついに宿命の女を見つけられたのですね! 僕あ嬉しいなあ。嬉しくて涙がちょちょぎれるよ。」

アスクレー、冗談かと思ったら本当に泣いている。プルプル肩を震わせて笑いをこらえながら泣いている。


「私髪を切ってあげます。大陸一番の美男子にしてあげますね!」

「やめろ、なんかお前が刃物持つと怖いんだよ!」

「僕が切るよー! メス持つのもハサミ持つのも同じ」

「お前は一番やばい!」


ぎゃあぎゃあ主の理髪権を奪い合って醜い諍いが起きる


本当にこいつらに頼っていいのか?

マトーは若干不安になった




「この変な香水をつければいいのか?」


湯上りの香を纏って美貌の男が問う


マアリ、スライ、アスクレーの三人は呆然と完成品に見惚れた


サラリと遊ぶ煌めく髪。磨き上げた赤銅の色

整えられた眉。定規で測りつくしたような鼻梁。長いまつげ。


従僕たちの戸惑いなど目もくれずに真新しい衣に袖が通される


「もとは悪くないと思っていたけれどここまで変わるとは……」

「人って身なり8割っすね……」

「もちょっと眉間の力が抜けるといい感じだねえ」


誰もが目を疑う大変身

もちろん、鍛え上げられた肉体美の基幹あってこその大変身である

先ほど大陸一の美男子にしてあげますとマアリがうそぶいたが、あながち的外れでもない


「これでリマは心解いてくれるのか? 髪を切って湯に漬かっただけだ。こんな事で……」


「たぶんめちゃくちゃ反応変わると思いますよ。絵画から出てきた神さまみたいですもん」


「だが、これでは足りない。もう一つ絶対にしなければならないことがある。これは私としてはとても不本意なのだが……。しかし避けては通れない。せっかくいい値で売れたのに」


ブツブツスライが呻く


「なんだ? はっきり言え」


「マトー様、本当に気付かないんですか? リマちゃんが今一番心配している事。そこら辺の乙女心が即座に読めなきゃ、ちょっとこの先厳しいですよ」


「本当にわからん」



結局、答えを聞くまでマトーは当てられなかった



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