EPISODE9  龍魔術師と魔剣搭載術士〈ホムンクルス〉

 午後十時。

 春の名残と祭り開催前の熱気を孕んだ、静謐にしては少し弾んだいななきが混じる満月の夜。


 今宵、既に一本の刃が切っ先を光らせていた。


 『魔剣都市』の地下に存在する、中枢機関——通称『摩天楼』。


 都市の中心でありエリア1の上空に浮かぶ『剣宮城』が武力面のトップなら、『摩天楼』は行政面でのトップと言えよう。


 別段、両機関の間に亀裂など無く、この二大勢力の台頭によって、都市は今も正常に機能している。しかし、あくまでもそれは表面的な話。


 地下深くで、剣戟に晒されることなく安全に暮らすことが赦された唯一の機関である彼らに、果たして、誰が『悪人など居ない』などと断言出来ようか。


 存在不可視の絶対なる安全領域。


 黒い噂が少しでも流れようものなら、背後にある莫大なる富の山を少しでも掻き分けさせればあっさりと清算出来てしまう、揺るぎない権力の権化。


 本来なら誰も知り得ない『闇』があったとして。

 それに気付く者が居たならば、それはきっと、己の実力に絶対の自信を持つ者か。

 あるいは——、


「まるで幽霊であるかのように、法に触れることの無いチート級のステルストリックが成された錬金術師くらいかなぁ」


 ゼロニア=フォーツェルト。またの名を、『の《ク》の《ト》』。


 彼は今、地下階層の最深部に居た。

 無機質な鉄鋼の皮を被っていたのは第一階層だけで、第二階層からここまでは、さながら西洋の高貴なお城を彷彿とさせた豪勢な内装となっていた。


 そして白亜の紳士服を身に纏う錬金術師の前には、無駄に長いテーブルを囲む十名程の恰幅な中年男共だ。


 皆、それぞれ拘りを持ったスーツを着て、高値が付くだろうワインを片手に豪華なフルコースで舌鼓を打っていた。


 彼らはまだ、ゼロニアの存在に気付いてなどいない。


 それもその筈。何せ、彼は体内に『超小型ナノデ演算器バイス』を宿していなければ、『光子シー端末ルド』も着けていないので、何をしてもこの世界の『剣法』に触れることは一切無い。


 次に、彼は今、『左方アジの《ャ》術印スト』で己にかけた『色彩術式』を纏っている。光や周囲からの認識を全て反射、調和させるものだ。


 これを今この場で解けば、テーブルを囲む彼らの口はあんぐりと開けられ、ステーキを貪るどころではなくなる。しかし、ゼロニアは考えた。


(もっと悲惨で、それでいてもっとも有効なやり方を見つけてしまったんだよねぇ)


 そもそも、彼にとってこの場所や彼らとの邂逅はおまけでしかない。


 本命は、このさらに奥にある代物と、より深くへと潜ってようやく出会える『万象アーカの《ーシ》』と呼ばれる万能器だ。


(ま、鞘に関してはあのイカれた魔術をぶっ放すマジシャンを懐柔してから試してみるとして……。それよりも今は、こっちの方が先か)


 抑えきれない胸の高鳴り。それを今、ゼロニアは全力で解放する。


 テーブルの傍らに飾ってある巨大な絵画。この地下の要塞が、本当のお城であると信じ込みたいと言わんばかりに、一面に青白い白と壮麗な花畑が描かれた絵画。


「まあ、青白いっていう色彩のセンスはオレ好みだけどさぁ」


 言いつつ、ゼロニアはその絵画の額縁の裏を舌から探り、好感触を得てほくそ笑んだ。


「こんなに脆い仕掛けは、果たして仕掛けって言うのかねぇ?」


 直後、絵画は左右に分断され、入り口の役目を果たした。

 そしてこの一瞬の間、扉の開閉がバレないようにと、『右方クリの《エ》術印イトで即再構築。

 

 よって、彼は誰にも悟られること無く封印されし最奥へと進んでいく。


 やがて。

 再び無機質な鋼鉄造りの廊下を暫く進み、そこへ辿り着いた。


「こんばんは。暗闇に埋もれし、報われない兵器諸君」


 刑務所のように、左右に牢屋が並ぶ場所。格子の中へ目を向けてみれば、そこには中高生ぐらいの外見をした少年少女が隔離されていた。


 窪んだ瞳を爛々と輝かせ、突如として現れたゼロニアという侵入者を一斉に睨んでいる。


 その拒絶的な態度を気にせず、彼は、パンパンッと手を叩いて続けた。


「さあさあ、望まぬして兵器とされてしまった『搭載術士ンクルス』達よ! 今こそ、その胸の裡に溜まって滾りに滾っている復讐の炎をこのディストピアにぶつけるべきではないかな?」


 これが、ゼロニアが暴いた闇。

 これこそが、地下深くにて成された赦されざる所業の産物。


「今、地上では君達と年の近い学生達が、明日の『剣舞祭』を今か今かと待ち焦がれてぐっすりと眠りについている……それでいいのか。未来を期待されて羽ばたく彼らが充実した日々を送る地上の下で、君達はいつまで経ってもこの薄暗い檻の中であのクソジジイ共の玩具にされるんだ。そんなんでいいのか!?」


 その叫びは監獄中に響き渡り、彼らの心を突き動かす。

 この演説がたった一人でも背中を押せれば、あとはゼロニアの思うままにことは動き出す。


 彼は右手で淡い蒼雷を発し、細長い鉄の刃を錬成して放つ。

 刃は真っ直ぐ加速し、左右に並ぶ牢屋の格子を次々と切断していった。


 これで、彼らを縛るものは何も無い。


 一人、格子の切断面を捩じ伏せて少年が一人、檻の中から一歩外へ踏み出した。また一人、同じくして今度は少女が。


 それがきっかけとなり、彼らは続々と己をがんじがらめにしていた鳥籠から脱し、ゼロニアが入ってきた入口を目指して歩を進めていく。


 彼らが隙だらけで佇んでいるゼロニアを無視して進んでいくのは、即座に力量を把握して勝ち目が無い、それでいて戦う必要も無いと判断していたからだろう。


 彼らの敵は既に、絞られている。

 行き場の無かった激情は、今まさに、悪辣なる権力者達へと振るわれようとしていた。


 ゼロニアは、全員が部屋を出ていったのを見送ると、興味本位と情報的な実益を目当てに彼らのあとを追った。


 そして、その惨状を目の当たりにして、ゼロニアは目を見開いた。


「お前が……お前がこいつらを放ったのか! こんなことをして、タダで——」


 断末魔を上げる代わりに吐かれた、子悪党にお似合いな台詞。生半可な悪党は生半可な最期を迎えて無残に肉塊へと成り果てていった。


 無数の赤黒い雷光が荒れ狂い、その度に夥しい量の血しぶきが宙を舞う。

 上質な肉料理に覆いかぶさる、下劣な肉片。残酷に彩られた彼らの末路を映した藍色の瞳は、狂気にも似た色を宿していた。


 嗤い声。

 誰のものだと探すまでも無く、口角を三日月の形にするぐらい釣り上げて狂ったような嗤いを上げているのは、紛れも無く自分自身であると、ゼロニアは他人事にように認識していた。


「お前は……何だ。何が目的で……何を求める……」


 最も年老いて見える男が、『ホムンクルス』の一人に首を掴み上げられたまま、狂笑を湛えている錬金術師に問う。


 その表情は、苦悶、恐怖、それを上塗りする程の疑問に満ちていた。


 部屋の中を業火が荒れ狂う。

 ゼロニアはその雰囲気に酔いしれながら、三日月に歪んだ口で答えた。


「変革……だと生温い、か……。じゃあ、そうだな」


 彼は両腕を広々と広げ、天を仰いで叫んだ。


「創造だ。一つの世界をぶっ壊して、オレが望む世界を創り上げる! 醜悪な欲望に塗れる末路を辿る『群れ』ではなく、圧倒的な力を持つ『個』が支配することわりを築き上げるッ! ……それが、オレが描く未来地図だ」


 迷いの一切が感じられない毅然とした瞳。男はそれを——変革者の野望を目の当たりにして、より一層、苦痛に悶える表情を恐怖の色に染め上げる。


「……そう、か……。しかしなあ、その革命は……時代遅れだ……っ。貴様のようなチンケな子悪党に……御大層な企みは——」


「聞く耳持たないね」


 断裂音。

 それが生々しく鳴り響いた直後、涙と唾液で汚れた下劣な悪人の顔は、首から中途半端に離れて床を転がった。


 きっと、彼らは最後、少年少女達に謝ること無く、己の保身に走って赦しを乞うたのだろう。そしてみっともない懺悔が実を結ぶこと無く、ぞんざいな肉塊と化していったのだ。


「君達はこれで自由だ。好き放題暴れるといい。オレも好き放題やるからさ」


 そう言い残して踵を返そうとした時、一人の少女に服の袖を掴まれた。


「どうして、あなたはわたし達を助けたの……?」


 色を灯さない、虚ろな瞳。問いただした声も弱々しく。


 ゼロニアは「ふっ」と息を吐いて言った。


「気まぐれだよ。別に君達に同情したワケじゃないし、人助けが出来る程のお利口さんでも無いしね」


「……そう」


 腑に落ちないといった顔だったが、ゼロニアは無視して先を進む。


(そうだ。善人なんて似合わない。ヒーローなんて以ての外だ)


 他人事。傍観者。


 自分にはその立場が遥かにお似合いだと、ゼロニアは自分に言い聞かせて前に進む。


 ——ありがとう。


 微かに聞こえたその言葉も、きっと空耳だろうと気にしないようにした。

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