愛しく可愛い彼女の元へ

若槻 風亜

第1話


 かちゃりとドアを開けて、部屋に入る。ベッドで横たわっていた彼女はぱちりと目を開け、入って来たのが私だと分かると瞼を半分落として胡乱な目をした。「あんたまた来たの?」と、言葉にされずともよく伝わる目だ。その目すら愛しくて、私は笑いながらベッドに近付く。

「ああ、本当に、本当に君は可愛いね」

 ベッドの脇に両膝を付けて跪き、小さな手を両手で緩く握りしめた。

彼女はすぐに嫌そうに手を引いてしまった。手からすぐにすり抜けてしまったぬくもりと柔らかさが名残惜しい。しかし、このつれなさもまた彼女の魅力だ。

 私は懲りずに手を彼女の頬に伸ばす。少し身を引かれたが、ベッドから起き出して逃げるほどではなかったらしい。少し背をそらした状態で止まった後は大人しく私の手を受け入れた。目だけは鬱陶しそうに細められたままだが、それはそれでいい。私の頬は緩んだままだ。

「こんなに可愛いのに、ずっと誰も手を伸ばさなかったなんて。今まで君の元に来た人たちは、みんな見る目がなかったんだね。ああでも、おかげで私の元に来てくれたんだから、そこは感謝しなくちゃね」

 優しく優しく、私は何度も彼女の頬を撫でる。そのうちに彼女の眼は閉じられ、少しだけ私の手に頭を預けるように傾けた。

「ああ、もう。本当に可愛い。きっと世界で一番だよ。本当は一日中こうしていたいんだけど、私、もう行かなくちゃ。また後で」

 名残惜しみながら、私は彼女から手を放し、ベッド脇から立ち上がる。そのまま踵を返し扉まで近付き、後ろ髪を引かれながらドアノブに手をかけた。

 かちゃり、と音が鳴ったその時、彼女が小さな声を上げる。まるで呼び止めるようなそれに、私は反射のようにドアノブから手を放し身をひるがえした。もう少し、もう少しだけ彼女に――。

「こらっ! あんた何回部屋往復してるの! もういい加減学校行きなさい、遅刻するでしょ!」

 欲望に負けた私の背後で開けかけてそのままにしていた扉が大きく開かれ、母が怒鳴り込んでくる。私はびくりと固まり、彼女は寝転がっていた状態から反射的に体を起こし四肢でベッドを踏んだ。

「もぉぉ、お母さん大きい声出して入ってこないでよぉ。猫に大きい音は厳禁だってば。ねーミーコォ? 怖かったねー」

 母に非難を向けてからゆっくりと彼女――猫のミーコに近付こうとする。その首根っこを遠慮なく母が鷲掴んできた。

「が・っ・こ・う。勉強頑張るっていうから猫貰って来たのよ。駄目になるようなら保護施設に返しちゃうわよ」

「それは駄目! 絶対ヤダ! もうすぐに行くから。じゃあミーコ行ってきます。帰ったら遊ぼうね! お母さんも行ってきます」

 母のこの脅しは今の私には強烈に効く。私は大慌てで部屋から出て玄関に駆けていった。玄関から出れば、今日も空は快晴だ。外から自分の部屋の窓を見上げるが、可愛い彼女はベッドに寝直したのか、窓際に尻尾の陰すら映してくれない。

 彼女は元保護猫のミーコ。一年間成績優秀だったご褒美に猫を飼いたいとおねだりし、保護施設から貰って来た猫だ。推定だがもう年は三歳以上で、愛想もないからと保護施設でも貰い手に難儀していたという。

 しかし、私にはその事実が信じられないくらい彼女が可愛く見えた。愛想のなさは凛とした雰囲気に見えたし、成猫ゆえの大人びた落ち着きは頼もしくすら思えた。

 今、彼女は無事に私の家族。凛とした愛想は相変わらずだけれど、最近はああして私のベッドで横たわるようになったし、ごろごろと喉を鳴らしてくれることも多くなっている。

 私は早くも引き返したい気持ちを抱えたまま、軽い足取りで通学路を進んだ。いつもの光景は、最近なんだから明るく見える。

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