3、灸

 聖美きよみは大学を卒業すると、足利市の外れのその老夫婦の家に3人で暮らしはじめた。市内とはいえれっきとした農家であり、広い土地や家畜を所有していた。田んぼで稲を育て、畑では時期ごとにめまぐるしく無数の野菜がつくられた。家畜は、牛が6頭に鶏が10羽いた。ときどき、おじいさんの思い付きで豚やうさぎを飼うこともあった。聖美は熱心に老夫婦の手伝いをし、そのかたわら脚本を書いた。


 そんな生活が10年続いた。聖美はそれまでに大小100本近くの脚本を書き、さまざまなコンテストに出品していた。結果、1次選考を通過することがときどきあったが、それ以上先に進むことはなかった。一方で、農作業は老夫婦の手出しを必要としないほどに熟練していった。

 10年田舎にいて、〈これで私にも『』ができた。脚本家としての脚力も充分ついた〉と感じコンプレックスが解消されると、聖美は東京に戻ることを決意した。

 老夫婦は悲しんだ。それ以上に、しまった。すでに聖美が家業の主力となっており、自分たちは老いて仕事ができなくなる一方だったからだ。聖美は、「忙しいとっきどが、ちょくちょく手伝でえに来っから~。しんぺえすんな~」と二人の肩を叩き、励ました。

 一方で両親は歓喜に溢れていた。嫁にも行かず30過ぎまで田舎にホームステイしている、何を考えているのかわからない我がをずっと心配していたが、ようやく〈普通の娘〉に戻れそうだ、と思った。


 東京駅の改札を抜けると、両親が待っていた。

「おかえり!」父親が目を潤ませて言った。

「よく帰ってきたわね」母親はすでに涙を流していた。

「やだあ、泣かないでよ~」

 聖美はまるで、二人の保護者のように優しく気丈な笑みを見せて、肩を撫でながら二人を慰めた。

「もうじゅうぶん田舎で鍛えられた。ホント、行って良かった。でもあとはずっと、東京にいるつもり」

「そうか……東京に、Uターンだな――」父親がしみじみ言った。

「ああ――、言われてみっと……、んだな! そんだらパターンっちゃ、珍しいわな。地方にでねえぐ、東京にUターンっちゃな。ハハ! けっさぐ(傑作)だ。 ハハハハ!」

(…………)両親は、聖美の突然の訛りに驚いてしまった。だが、長いこと田舎にいたのだから当然だろうと、顔を見合わせてうなずきあった。

「そう言えば――、父さん母さん、大事なこと言ってなかったね」

「な、何だ? 大事なことって?」父親は不安におびえながらも、笑顔をつくって言った。

「東京には戻っても、脚本は書いていくつもり。いいよね?」

「ああ、もちろんいいよ。それは聖美の大事な夢だからね」

「ありがとう!」

 両親は安堵あんどし、表情をゆるめた。

「それともう一つ、新しい大きな夢ができたの!」聖美は目を輝かせて言った。

「新しい夢?」

「楽しみだな。言ってみろ」

「オラ、銭コァ貯めで、銀座でベコ飼うだ!!」


(ア)

もとい(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

都会っ子聖美の夢 ひろみつ,hiromitsu @franz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ