赤いポルシェの男

佐賀瀬 智

忘れられないドライブ

 チカチカと眩しいストロボライト、爆音のユーロビート。未だセンスを片手に踊り狂う女たち。時代に乗り遅れて産まれた世代。律子も私もその内の一人だった。全盛期に比べれば客が少ない。金曜日の夜だと言うのに。そう言えば有名なディスコが閉店したらしい。日本の経済の発展も終焉を迎えたということが、この東京の端ッこのディスコでも少しづつ感じ取れた1995年の夏。



「彼女たち、楽しんでる?」


爽やかな感じの男の人が声をかけてきた。ニコッと笑った時に見えた歯がブラックライトで妖しく光る。


「来たわよ、美佳」


律子は、待ってましたとばかりに

「私達とお話しがしたかったらピナコラーダをよろしく。私達、そこのボックスだから」

と高飛車に構えた。


 しばらくして、その男はドリンクを持たずに私達のボックスシートに現れた。


「バーが長蛇の列なんだよね。待ってる間に君達が帰っちゃったら嫌だなと思ってさ。座っていい? 僕は圭介」


「あ、私、律子。で、この子は美佳」


「律子ちゃんに美佳ちゃんね。よろしく」


 私は律子の後ろで「どーも」と軽く会釈をした。


「君たち大学生?」


「そうよ、女子大生。二十歳はたちよ。あなたは?」


「僕の歳なんていいじゃないか」


「あら、レディに歳を聞いて自分は答えないなんて最低ね。ドリンクも無いなんて信じられない」


「じゃ、僕も二十歳はたちでいいよ」


 律子と圭介の会話をよそに私は圭介を観察した。ピンクのボタンダウンのシャツに肩にセーターをかけ、髪をかき上げながら喋る圭介は、優しそうな目をしていて、イヤな気はしなかった。若く見えるが落ち着いた雰囲気から三十歳後半ぐらいだと思った。



「ここじゃうるさいから、僕のカフェバーに来ない? そこで君達にドリンクをご馳走するよ。ピナコラーダだっけ?」


「えー、ほんとにあなたの店なの?怪しいわ。ねえ美佳」


「う、うん……」


「あれ、二人共、僕のこと疑ってる?怪しい者ではないよ。はい、これ」


クラッチバッグからシルバーの名刺入れを取り出し、私と律子に名刺を差し出した。


「スマイル不動産 取締役 広崎圭介…、へえー、取締役…」

律子が高揚しているのが手に取るように分かった。


「ここから近いんだ、僕のカフェバー」


「いいわ。行こうよ、美佳」


「ちょっと、律子」


「じゃ、私だけでも行くわ」


「そ、そんな、待ってよ、律子。わかったわよ。行くよ」



 深夜だというのに蒸し暑い。圭介のカフェバーはディスコから歩いて五分の所だったが歩いただけで汗ばんだ。フラミンゴという名のバーはカウンターに座席の高い椅子が並べらていて、80年代の雰囲気を引きずったちょっと時代遅れのインテリアの店だった。



「ここも、もう時代遅れだから手放すんだよ。カフェバーなんてもう古いよね。だから、君たち女子大学生の意見を聞きたいのだよ。ま、マーケットリサーチってとこかな」


「へえ、遊んでいてもビジネスってわけね」


「ところでさ、君たち女子大学生は車に興味ある?」


「車種によるわね。国産だったら即アウト」


 律子がニ杯目のカクテルのオリーブをつまんで口に入れた。


「美佳ちゃんは?」


「私は車とかそんなに…」


「僕の車はね、アレだよ」


バーテンダーの後ろの棚に飾ってあるおもちゃの赤い車を指さした。


「あれポルシェでしょ? っていうか、あのおもちゃの車があなたの車ってことで、本物は持ってないってことよね」

律子が呆れ顔で細いタバコに火を付けた


「本物、持ってるよ」



「ウッソー、信じられなーい。嘘よね」


「ホントだって」


「嘘に決まってるわ。ねえ、美佳」


「あ、うん…」


「じゃ、今からドライブ行く? 連れて行ってあげるよ。深夜のドライブ。僕は元々お酒飲まないから運転は大丈夫」


「うんいいかも。それに本物のポルシェかどうか確かめたいしね、ねえ美佳」


「じゃ、車、裏の駐車場から取ってくるから、二人でジャンケンをしてどっちが先に乗るか決めておいて。二人乗りなんだ。僕のポルシェ」


 私と律子は言われた通りジャンケンをして私が勝ってしまい、先に乗ることになった。本当は車なんか乗りたくなくて、律子だけ乗ってとお願いしたけれど、ジャンケンに勝ったのは美佳よ。と、律子は美人を鼻にかけた高飛車な女だけど、そういう所はきっちりしていた。


 すぐにバーの前に赤いポルシェが止まった。


「ひえー、ホントにポルシェだよ、美佳。じゃ、行ってらっしゃい」

律子は私の背中を軽く押した。


「美佳ちゃんが先に乗るんだね。30分で帰って来るから律子ちゃんは待っててね」


「遅いと警察に電話するからね」



 私は全く気が進まなかったけど、赤いポルシェを目の前にすると、乗ってみたいと思った。圭介が助手席のドアを開けて待っている。


「失礼します」と言って私はポルシェに乗り込んだ。


「さ、出発」


 左ハンドルのポルシェを運転しながら圭介は言った。


「僕はね、フランスのレースに出たいんだよね。ル・マン24時間耐久レース」


「え、圭介さんはプロのドライバーなんですか?」


「違うよ。ル・マンはアマチュアでも参加できるんだ。ヘアピンカーブをアウトコースからインコースへ、行くよっ、掴まって」


「へっ?!」


キキキキーーーーギュイン


 いきなり左側に体が押されたかのように、すごい遠心力を感じた。何が起こったのか解らなかった。次の瞬間、体が右側に振り戻され、フロントガラスを見ると、夜の闇とストリートライトに絡まる白煙を見た。


「あ、ちょっとコーナリング甘いな」


圭介はそう言って、ギアを操作して、エンジンをふかした。また走り出すポルシェ。私は恐怖のあまり声も出なかった。横目で圭介の顔を見ると、まるで子供のように嬉々としていたけれど、その彼の目はギラギラしていて何かに取り憑かれているようだった。


―――この人、狂っている。

 


「ル・マンはね、公道を走るんだよ。ほら、次の交差点でまたUターンするよ。行くよ」


キキキキキキーーーーッ、ギュイン


「きゃーーーヤメテーーー、やめてください、危ないじゃないですか」


 やっとの思いで声が出た。



「大丈夫、こんな夜中誰もいないし、車も通っちゃいない。ハハハハ。ハハハハ」


「降ろしてくださいっ、降ろしてっ」


「僕ねえ、Uターンをするのが大好きなんだよね。ハハハハ、楽しいだろ?」


「ぎゃーーー、止めてっ、止めてくださいっ」


「大丈夫だよ。フランスのサーキットで走ったこともあるんだよ。僕」


「降ろして、お願い。お願いします」


「このUターン、ヘアピンカーブみたいでたまらないね、わくわくするよ」


 何度、Uターンをしただろう。私は叫ぶ気力も失い、気が遠くなっていた。


「おっと、そろそろ帰ろうか。あんまり遅いと警察に電話されそうだ。あの子は本当に電話しそうだから」


 やっと、地獄のポルシェのドライブが終わりカフェバーに帰ってきた。


「あら案外早かったのね。30分を1秒でも過ぎたら誘拐事件だって警察に電話しようと思ってたのよ。次、私の番」


 私はよろよろと律子に近寄って耳元で小声で言った。

「律子、この人、変。ヤバイって。ドライブ行っちゃダメ。今すぐ帰ろうよ」


「ズルいわよ美佳。自分だけポルシェ乗ってさ」


「そうだよ、美佳ちゃん。律子ちゃんもポルシェに乗りたいだろろうに、さ、行くよ」


ヤバイ、律子との会話を聞かれたかも。


「早く行きましょ。ドライブ。じゃ、美佳、待っててね」


「律子っ!」



 律子を待っている間、バーテンダーにカクテルを勧められたが、飲む気にはなれなかった。律子もあんな怖い思いをしていると思うと、無理矢理にでも止めれば良かった。


 30分きっかりに二人は帰ってきた。


「あー、やっぱポルシェ最高っ!!素敵なドライブだったわ。川岸からの夜景がキレイで。ありがとう。圭介さん」


「え、夜景? Uターンじゃ…、」


 その時、圭介の目が別人の様にシャープに光って私を見た。何も言うな。と言っているようだった。私はあわてて口を噤み、それ以上何も言うまいと思った。怖かった。


「圭介さん、今度私の大学にポルシェで迎えに来てよ」

何も知らない律子は得意げに大学生活を圭介に話したり、迎えに来てもらう約束をしていた。私は一刻も早くここから去りたいという一心で電車の始発の時間を待った。


 その夜の出来事から、律子は圭介にぞっこんになるも連絡がつかないらしくヤキモキしていた。次の金曜日に律子に頼まれて一緒にあのカフェバーに行ったが、看板は取り外されていて貸店舗というサインが貼られていた。貰った名刺のスマイル不動産に電話してもやはり繋がらない。私は圭介と連絡がつかなくて内心ほっとした。そして暫くして、律子にも私にも彼氏ができて、お互い圭介のことなどすっかり忘れて話にも出なくなり、律子とも疎遠になった。


 あれから25年が過ぎた。律子とは大学を卒業してから一度も会っていない。噂によると、アメリカ人と結婚をして今はニューヨークに居るらしい。


 私は、大学卒業後、大手企業に就職が決まるも、バブル崩壊の煽りを受け、絶対潰れないだろうと言われていた大会社があっけなく潰れてしまい職を失った。結婚を考えた彼氏とも別れた。今は実家に帰り、家の農業、野菜作りの手伝いをしている。


 実家に帰ってからというもの、あの遠い日の夏の夜の出来事を思い出すようになった。死ぬほど怖かったけれど、赤いポルシェの助手席でハイスピードで交差点をUターンするあのスリルを思い出すとゾクゾクする。


 あの日からちょうど25年が経った。あの日もこんなに蒸し暑かった。あの咽返る熱気の中に見たあの赤いポルシェ。あのポルシェの男は、なぜ律子には綺麗な夜景を見せて、なぜ私にはあんなにひどいヘアピンカーブまがいのUターンばかりして見せたのだろうかと考える。別に意味などないのかもしれないし、考えた所でどうなる訳でもない。


 けれど、最近よく思い出して考え込んでしまうのだ。あの夏の夜のドライブと赤いポルシェの男の事を。







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赤いポルシェの男 佐賀瀬 智 @tomo-s

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