そしてあなたの腕の中へ

望月くらげ

そしてあなたの腕の中へ

 異世界に転移した物語の終わりがいつも『王子様とヒロインは異世界で幸せになりました』なことにずっと違和感を覚えていた。だって、ヒロインは自分の世界に家族も友達ももしいたら恋人だって残してきているはずなのに、それを全部捨ててでも王子様の元にいたいものなの? 家族を捨ててでも王子様と幸せになりたいものなの? そんなの私には理解できない。

 でも、そんな感想をもつのは私ぐらいらしく、同じ物語を読んだ友人は「幸せになってよかったね」なんて言って泣いていた。幸せっていったい何なんだろう。

 だから私は常々思っていた。私がもしヒロインで異世界転移したとしたら、いくら好きな人ができても絶対に元の世界に戻ってくるんだ、と。大好きな家族の元に。ちょっぴり怖いお母さんと、いつも優しいお父さん、生意気だけど可愛いところもある妹の夏菜なつな。三人と離れるなんて考えられなかったから。

 まあ、異世界転移なんて非現実的なこと起きるわけがないんだけど。

 ……ないと数ヶ月前までは確かに思ってたんだけど。


「アキ」

 目の前には太陽に照らされて光り輝く金色の髪に海のように深い青色の瞳をもち、まるで王子様のような姿――っていうか、正真正銘王子様なんだけど、のローレンスの姿があった。

「約束通り、この扉をくぐれば君の元いた世界に戻れるよ」

「うん」

「まあ、僕としてはこのままここにいてほしいけどね」

「……ありがと」

 苦笑いを浮かべる私に、ローレンスは寂しそうに微笑む。これはこの世界に呼び寄せられたときからの約束だった。『事実は小説より奇なり』なんて言葉があるけれど、私、里見さとみ亜紀あきの身に起きたこともまるで小説や漫画の世界のようだった。目が覚めると異世界にいて、身分を隠して生活していたローレンスと出会い、そして恋に落ちた。ううん、私は絶対に好きだなんて認めなかったけれどきっとローレンスは気付いていたと思う。それほど甘い時間を私たちは過ごしたのだから。

 この世界には伝説があって『国難に襲われたとき伝説の少女が異世界より訪れる。その少女の祈りが国を救うだろう』と言われていた。ローレンスはその少女を探していたそうだ。最初は私に世界を救わせるためにこの世界にいさせたいんだと思ってた。伝説の少女としての私を必要としているのだと。

 でも――。

「アキ」

「っ……」

「君とは違う形で出会いたかったよ。王子と伝説の少女としてじゃなく、ただのローレンスとアキとして。そうしたら違う結末もあったかもしれないのに」

「伝説の少女じゃなければローレンスとは出会えなかったよ。私はこの世界の人間じゃないんだから」

「そっか。そうだね。僕らはどう抗っても、結ばれない運命だったんだ」

 ローレンスの言葉が胸に突き刺さる。私が全てを手放せば、このままローレンスの手を握れば、きっとこの世界でローレンスと幸せな日々を送れるのだと思う。でも、それじゃあ私が馬鹿にした小説のヒロインと同じだ。家族も友達も全部捨てて、恋愛を取るというのか。血のつながりよりも好きになったというだけでローレンスを選び、全てを捨てるというのか。お父さんやお母さん、夏菜を捨てて……。

 ――そんなの、私にはできない。

「ごめんね」

 勇気がなくて。

「アキの、家族や友人を大切にするところにも僕は惹かれたんだ。この結末は最初からわかっていたことなんだから、アキが謝ることはないんだよ」

 ローレンスの手が伸ばされ、私の身体を優しく包み込んだ。触れ合った箇所からローレンスのぬくもりが伝わってくる。

「アキ、離れていても僕の気持ちは変わらない。でも、アキは向こうに帰ったら僕のことを忘れてほしい」

「どう、して……」

「そうじゃないと、アキが幸せになれないだろう?」

 ローレンスの身体が私から離れる。あんなにもあたたかかったのに、離れた瞬間からどんどんと私の身体が冷たくなっていくのがわかる。このぬくもりに、もう二度と包まれることは、ない。

「愛しているよ。誰よりも、誰よりも深く」

「ローレンス……」

「さあ、もう行って。僕が君のことを手放せなくなる前に」

「っ……!」

 私はローレンスに背中を向けると、扉に手をかけた。

 これを開ければ、もう引き返せない。

 もう二度と、ローレンスには会えない。

 それでも――。

「さよなら、ローレンス」

 初めて、心から愛した人――。

 扉を引っ張ると、私はその中に飛び込んだ。


 扉の向こうがそのまま元の世界なのかと思えば、そこは空間がゆがんだような奇妙な場所だった。でも、遠くに光が見えて、なんとなくその先が元いた世界に繋がっているんだと、そう思った。

 一歩、また一歩と元いた世界へと近づいていく。そのたびに、胸の中にローレンスとの思い出がよみがえる。

 喧嘩したこと、仲直りした夜に飲んだ山羊のミルク、二人で星を見上げて草原で寝転んだこと、一つのシャーベットを分け合ったこと、それから初めて手をつないで歩いた日のこと。全部、全部が私の宝物だ。もう二度と、会えないとしても。

 だんだんと光が大きくなる。そしてその向こうに、懐かしい顔が見えた。

「おかあ、さん……お父さん……夏菜……」

 大好きな家族の姿に胸が締め付けられる。ずっと帰りたいと思っていた。会って抱きしめて会いたかったと伝えたい。そう、思っていたのに。

「どう、して」

 足が動かない。あと一歩、あの光に飛び込めば元の世界に戻れるはずなのに、どうしても足が動かない。

「わた、私……」

 声が上手く出なくて、私は初めて自分が泣いていることに気付いた。会いたかった家族にようやく会えるから。……じゃない。

 この涙は、もう二度とローレンスと会えなくなることに対する、涙だ。

「ごめん、なさい」

 親不孝で、ごめんなさい。

 ずっと家族より大事なものなんてないと思っていた。好きな人と家族と天秤にかけてあっさりと好きな人を選ぶヒロインをあり得ないと思っていた。でも、今ならわかる。どれほどの思いでヒロインが好きな人を選んだのか。こんなのどちらを選んでも後悔しかなくて、それでも捨てられないほどの想いがあったのだから。

「ごめんなさいっ!」

 私は目の前で広がる光に背中を向けると――元来た方向へと駆けだした。小さく小さく見える扉。あの向こうできっと待ってくれている人の元へ。大好きで、離れたくないあの人の元に。

「ローレンス!」

「アキ!?」

「私……私!」

 扉の向こうにはまだローレンスがいて、私はその腕の中に思いっきり飛び込んだ。

「私、ローレンスが想ってくれたような女の子じゃないよ。家族のこと大切だなんて言ってたのに、結局こうやってローレンスの元に戻ってきちゃった。私が言ってたのなんて全部綺麗事で、いざ自分がその立場になったとき、どうしても好きな人を、ローレンスを捨てられなかった。そんな私でも――」

「もう黙って」

「っ……」

 私の唇をローレンスは自分の唇で塞ぐ。それは今までどれほど距離を縮めようと、決してローレンスが超えようとしなかった一線を越えた瞬間だった。

「アキ、君が僕を選ぶために捨ててきたものの大きさを僕は十分にわかっている。君がどれほど家族を愛し、あちらの世界に戻るのを楽しみにしていたのかも。でも、すまない」

「ローレンス……?」

「君が僕を選んでくれたということが、この世界の全てを敵に回してもいいと思えるほど、嬉しい」

「あ……」

 そっと身体を離した私の目に映ったのは、目尻に涙を浮かべながら微笑むローレンスの姿だった。

「おかえり、アキ」

「ローレンス……」

「もう二度と、離さない。そして、君が失ってしまったものの代わりになることはできなくても、君が寂しさを覚える暇がないぐらい、僕が君を愛するから。だから、ずっと僕のそばにいてください」

「ローレン……ス……」

「答えは『はい』以外聞かないよ」

 おどけた表情でそう言うと――ローレンスは再び私に口づけた。

 一度は失いかけたこのぬくもりを、もう二度と手放さない。

 だから。

「私も、あなたのそばにいたい」

 頬に流れる涙を拭うことなく微笑む私をローレンスは優しく抱きしめた。そのぬくもりがあまりにも優しくて、ほんの少しだけ痛む胸の奥に気付かないふりをすると私はローレンスの背中に腕を回すとギュッと抱きしめ返す。

 こんなふうに思う日が来るなんて想像もしていなかった。大好きな家族を捨てでもっしょにいたいと思う人ができるなんて……。

 もしかしたら、これから先お父さんやお母さんに会いたくなる日が来るかもしれない。でも、それでも私はこの選択を絶対に後悔しないから。

「幸せにするよ」

 ローレンスの言葉に、私は顔を上げた。

「……うん、私も幸せになる。ローレンス、あなたと」

 少し驚いたような表情を浮かべたあと、ローレンスは優しく微笑んだ。

 先ほどまであった扉が、役目を終えたとばかりに消えていくのが見える。そして消えた扉の向こうには輝く太陽が見えた。あちらの世界とこちらの世界、どちらの世界でも変わらず輝く太陽の姿が。

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