監獄のルール

遠野朝里

天水祭

 監獄にも娯楽は必要だ。大量殺人鬼しかいないこの砂漠の監獄も例外ではない。そのことは一般の理解を得ているらしく、小説やマンガの購入は許可されているし、映画の上映会もたまにやっている。ただし、上の検閲を通った作品に限ってだが。


 優子は、刑務官の地位を利用して自分好みの映画ばかり上映している。囚人達からパニック映画以外も上映して欲しいという要望があったが、殺人者にヒューマンドラマを見せても仕方ないだろう。試しに〝ショー・シャンクの空に〟を流してやったら大不評だった。陽炎立ち上る灼熱の砂漠の真ん中で、脱獄ものの作品を見たところで、絶望が助長されるだけだと。もちろん、嫌がらせで選んだ。ただ、この監獄から出られないのは勤めている優子も同じなので、見終わったときには優子自身もため息をついていた。


「ユーコ、最近楽しそうだね」

「そう見える?」

「うん!」


 金髪碧眼の美少女が、屈託のない笑顔を向けてくる。ふわふわの金髪もキラキラ輝く瞳も、刑務官の優子と繋がれている手錠も、監獄ではとても珍しい。彼女は一般の個室に収容するには少々難のある囚人なので、優子が私室で面倒を見ているのだ。


 この監獄は、パノプティコンという様式で作られている。広く円形に立てられた建築物に囚人達の個室があり、その建築物を円周と見たとき中心に当たる位置に、刑務官たちが住む看守塔がある。看守塔の窓からはあらゆる方向が見えるが、囚人たちの側からは看守塔の方向しか見えない。刑務官たちが一方的に囚人を監視できる、実に合理的な形だ。牢獄と看守塔の間は、熱い日差しと砂で満ちている。


 優子の隣に座る少女は、床に届かない足をぶらぶらさせながら尋ねる。


「もうすぐお祭りがあるんでしょ? どんなお祭り?」

「看守塔の最上階から水を降らすのさ。好きなだけ水を飲んでいいし、浴びてもいいんだ」

「えーっ!? すごいすごい! 毎日喉からからだしシャワーも浴びれてないし、楽しみだなー!」

「アリスは多分参加できないと思うが」

「な、なんでーっ!? なんでなんでっ」

「囚人は男ばっかりだ。我慢できないだろう」

「あっ、無理」

「そうだろ。お前なら銃がなくても首を絞める」

「たぶん。やっちゃうと思う」

「だが、大抵の男はお前より力が強い。銃がなきゃ、アリスは誰も殺せない」

「ちぇーっ。つまんないつまんないっ」


 アリス・カーレンリース受刑囚は、男性だけを大量に殺した。幼少期に小児性愛者に誘拐・監禁され、数年にわたり陵辱を受けていたが、あるとき監禁者から銃を奪って射殺。脱出したその足で都市部へ向かい、弾数の許す限り男を殺して回った。

 彼女は記憶も人格もすっかり壊れていて、自分がどこの誰なのかもまったくわからなかった。ただ、殺した人数からして極刑は確実とのことだったので、一応、この砂漠の監獄へ送られてきた。

 名前がないと囚人を管理しづらいので、優子が『アリス・カーレンリース』という名をつけた。アリスは『響きがかわいい』といういかにも日本人女性的な発想からつけた。カーレンリースという名字は、マンガのキャラクターからとってつけた。監獄の中の天使を思わせるそのキャラクターのイメージが、どこかダブって見えたのだ。

 男性に近づきさえしなければ、アリスは純真な少女に過ぎない。優子がつきっきりで面倒を見ているのは、そういうわけだ。なお、アリスを目にして欲情した男は即刻反省室送りとなる。彼の安全のために。


「所長はアリスにも参加して欲しいと言っていたが、どうする?」

「うーん……せっかくだから水浴びはしたいけど、と一緒は嫌」

「そうか」

「でもユーコはお祭り楽しみなんでしょ」

「もちろん。とても楽しみにしている」

「ユーコが水浴びするなら一緒に行く行く」


 アリスは優子の腕に抱きつくと、ぱっちりとした瞳をうるうるさせて見つめてくる。優子はヘテロセクシャルだしペドフィリアの気もないが、もしアリスを監禁した男と同じ性的指向だったら、犯罪者になっていたかもしれない。


「私は水を浴びせる係だから水浴びはしないよ」

「そうなんだ。じゃあ行かない」


 アリスが祭りへの不参加を決めたところで、部屋の扉がノックされた。この部屋にアポなしで来てもいいのは所長だけである。


「どうぞ」

「お邪魔するぞ~」


 優子とアリスの元へ来るとき、所長は女性装をしている。アリスの判断基準は見た目なので、一見して男性でなければ殺人衝動は起こらない。所長が年齢不詳の美男だから許される行為だ。


円の縁牢獄に祭りのチラシ配ったらよ、もうみんな大喜びだったぜ。優子さまは女神さまだ~って、少ない水分無駄に出してた」

「それは光栄だ」

「所長、アリスはお祭り行きません。優子といます」

「おっ、そうなのか」


 所長は鋭く瞳を光らせると、優子に目配せした。優子は頷く。


「じゃあアリス、祭りの日は俺とも一緒だな」

「嫌です」

「あらら、振られちゃった」

「気色悪いこと言わないで。あなたはガチムキにしか興味ないでしょう」

「ユウコ。結構長い付き合いとはいえ、俺は一応上司だからね?」


 ◆◆◆


 優子が企画した祭りは、〝天水祭〟と名付けられた。すべての房の鍵が開かれ、囚人達はつかの間の自由を得て暴れ出した。円の中心である看守塔、その最上階から外を眺めていると、案の定殺し合いを始めた連中がいた。アリスは男たちを目にして、目を血走らせ歯をカチカチ鳴らしている。


「放水準備よし。いつでもいいぜ」


 所長に頷き、八方向を向いた窓にそれぞれ設置した放水装置のスイッチを入れた。下の階に置いてあるタンクがガタガタと揺れ、極太のホースから滝のごとく水が発射された。

 いい画が撮れた。青空に弾ける水しぶきの美しさと、砂を走って水に群がる囚人たちは、なかなかの好対照だった。


 ◆◆◆


 私室に戻ったあとは、祭りに使わず余った水をレモン水にして、アリスと二人で飲んだ。所長はほかの所員たちにレモン水を振る舞いに行っている。

 グラスの中で氷が鳴らす、カラン、という音がとても涼しく、今日の優子を労ってくれているように思えた。


「ユーコは、なんでここで働くことになったの?」


 アリスの問いは最もなものだった。優子は今までで一番やさしい声で、アリスに答えた。


「所長がまだ所長じゃなかったとき、所長が祭りの準備をしてるのがわかったから」

「お祭りのことを先に知ったら、ここで働けるの?」

「そう」

「アリスは教えてもらっちゃったけど、ユーコは自分で気づいたんだ。すごいすごい」


 大したことではない。毎晩隣の部屋の囚人に抱かれに来ていた刑務官が急にパタリと来なくなったので、怪しく思っただけだ。昼間に所長と会ったとき、


「うるさい喘ぎ声が聞こえなくなってせいせいした」


 と言ったら、所長が企画中だった〝祭り〟の概要を明かされたのだ。

 所長の企画は乱交パーティーだった。気持ちよくなる薬を半数の囚人の食事に混ぜて、全室の扉を開ける。一晩でソドムは完成。翌々日には、死刑の執行は終わっていた。

 祭りの間、優子は今日のアリスのように看守塔に連れてこられていた。そして所長に、


「刑務官にならない?」


 と誘われたのだ。


「ねえ、じゃあアリスも〝お祭り〟していいの?」

「アリスの番が回ってきたらね」

「ほんと? やるやる! 自分で撃つのもありだよね?」

「全員殺せる企画じゃないと通らないよ」

「よーく考えとく!」


 優子はアリスの手錠を外し、窓の外を眺める。

 ギラギラと太陽が照りつける砂漠で、体が溶けかけ生きたまま死体になったような奴らが、空腹を満たすために互いの肉を貪り食っている。外の音声を拾って部屋のスピーカーで流しているので、生の断末魔も品のない咀嚼音も聴き放題。映っているのは完全無修正、CGも特撮も使われていない本物のパニックだ。

 無修正のAVが見たかった、と言った所長と大差ない自覚はある。

 監獄へ送られてくる娯楽作品は検閲を経るため、ゾンビ映画でもなんでも、人間がお互いを殺し合うものや、B級以下の作品は見られない。おとなしく優良な映画しか許されないのだ。それは、今と同じようにゾンビ映画を現実にした罪でここへ来た優子には、拷問に等しい罰だった。


 決して社会には戻ってくるな、代わりに死刑は好きな方法で執行して構わない。

 この砂漠の監獄で刑務官達が守らねばならないたった一つのルールだ。

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