あとのまつり

詩月みれん

あとのまつり

 大学最後の夏休み、久しぶりに実家に帰った。

 なんとなくで付き合い始めた彼氏をなんとなく振って、就職活動をする気にもならなくて。

「そういえば、陽菜と同い年の子だっけ? もう十三回忌だって」

 母が言う言葉が何のことか、一瞬分からなかった。

 記憶を辿って、十二年前――十歳の時に遡る。


 好きになりかけていた男の子がいた。藍色の甚平を着て、夏祭りに来ていた違うクラスの男の子。

 射的で、欲しかったキツネのぬいぐるみを取って貰ってから、ずっと気になっていた。

 次に出会ったのは、お線香を上げに行った仏壇の遺影だった。事故だったらしい。

 悲しい、というよりも不思議な気分だった。

 遺影の中のその子も甚平を着ていて、なんだか昔の人のように見えた。


 祭りばやし、暗がりの中、たくさんの屋台の明かり。

 彼が死んだ後の夏祭りの人ごみの中に、ふとその子の気配を感じることがあった。

――もしかしたら、今でも。

「母さん。今年のお祭りっていつ?」

 思わず母に聞いた。

「あ、行きたかったの? 惜しかったね、昨日来れば行けたのに」

「そっか」

 今年の夏祭りは昨日だった。

 私は大きく息をついた。来年から社会人だし、今年のうちに夏祭り、行っておきたかったな。

 自分の部屋に戻ると、本棚からぽとり、と何かが落ちてきた。

 射的で取って貰ったぬいぐるみのキツネだった。


 何かを感じて、ぬいぐるみを抱えて神社に走った。

 夏祭りの設営も撤去された境内は、普段よりがらんとして見えた。

 拾い損なった串のゴミだとか、割れた水風船のかけらだとか、もの悲しさが漂う。

 後の祭り。

 せっかくだから、お賽銭を投げて、ぬいぐるみの両手を掴んで祈るポーズを取らせた。

『このぬいぐるみを取ってくれたあの子に、また会えますように』

 そう祈ると、振り向いて帰ろうとした。

と、さっきは気付かなかったのに、屋台がぽつんと一つあった。

 しまい忘れた屋台かな、と思って近づくと、キツネの面を被った店主が奥にいた。

「わ!」

「やっていきますか」

 店主は何でもないように私に声をかけた。

 足元を見ると、ビニールプールにスーパーボールがたくさんふよふよと浮いていた。

「あ、スーパーボールすくい……」

「ひとだますくい」

 店主が低い声で言う。屋台ののれんの文字も、「ひとだますくい」になっていた。

 ホラー演出で、ちょっと変わった名前になっているのかな?

 私はお金を払って、ボールを掬う器を貰った。


 色とりどりのスーパーボール。

 ラメが入っているもの、ホラーらしく目玉を模したもの、器より大きいもの、ちょっぴり不気味な人形が入っているもの。

 でも、私の気を一番引いたのは、藍色のスーパーボールだった。

 あの子が着ていた甚平の色だった。

 私は藍色のスーパーボールに狙いを定めた。ポンプの水流でぐるぐるボールは回ってくる。

 私は器をさっと潜らせて、藍色のボールを掬い……。するりと抜けた。

「あれっ」

 私はちょっとムキになってバシャバシャ器を前後させたけど、ボールは悠々と遠ざかってしまった。

『次こそ、次こそ私に振り向いて……』

 私は構えた。藍色の、あの子の甚平の後ろ姿。最後に見たあの色。

 水流に押されてボールが再び私の元に流れてくる。

『今だ!』

 器に吸い寄せられるように藍色のボールが近づき、すっと入った。続けてオレンジ緑、金のラメ入り、青白マーブル……と器にたくさんのスーパーボールが一瞬で積み上がった。

「お客さん、すごいね」

 店主が感嘆の声を漏らした。

「え、ああ……ははっ」

 年甲斐もなくムキになってボールを掬っていたのが急に恥ずかしくなった。私は、掬ったボール達を抱えて、逃げるように駆け出した。

「ひゃっ」

 石段で躓きかけて、ボールが宙に待った。

 石畳の上をそれぞれ無尽蔵に跳ねていくボール達……。

「ああー!」

 オレンジのボールが大きく跳ねて、明かりの灯った提灯になった。黒い、ラメ入りのボールが空に飛び込んで星空を呼び込んだ。

 遠くまで跳ねていったスーパーボールは、その色の浴衣を着た人々になってこちらへ向かってきた。

 人々は、私を通り越して境内の奥へ歩いていく。境内は、いつの間にか夏祭りの屋台で溢れていた。

 私は、いつもと少し違う夏祭りの中にいた。

 祭りの後。後の祭り。

 藍色の甚平を着たあの子がそのままの姿で私の前に立った。

「一緒に祭り、回ってやろうか」

 あの日、

「そのキツネ、取ってやろうか」

と射的の屋台の前で話しかけてきたのと、同じ声色で。

 私は、あの子とこの不思議な夏祭りを見て回った。気配だけしか感じたことのなかったあの子が、すぐ隣にいる。

 りんご飴の屋台が目に入った。

「一個ずつ食おうぜ」

「えー、りんご飴って酸っぱいりんごでしょ」

 私は、ちょっと躊躇した。幼い頃食べて、中のりんごが最後まで食べられなかった記憶がある。

「何言ってるんだ、その酸っぱいりんごを外の飴ごと齧るのが旨いんだろ」

 あの子が呆れた。

「えっ、齧るの?」

 確かに、林檎に行き着くまでは外側の甘ったるい飴をひたすら舐めていた。……齧るための、飴だったとは。

 思い切って歯を立てて齧ると、飴の甘さが酸っぱいりんごを包んで、ちょうどいい甘さになった。

 これが本当のりんご飴か。

「初めて知った……」

「ふつう飴は噛んで食うもんだろ」

「ふつうの飴は噛まないよ。虫歯になるよ」

 そう言い合って、笑った。あ……。私が欲しかったのは、この瞬間なのかも。私は、

「あのね、好き……かも……」

と、声に出した。りんご飴のことなのかとも思わせる、ずるいタイミング。

 あの子は、少し目を見開いて、言葉を返した。

「オレも、かも」

 あの子はいたずらっぽく笑った。

「でも、ごめんな」

 あの子が淋しそうにそう付け足した瞬間、ひゅうっと風が吹いた。


 気がつくと、周りは元の閑散とした境内に戻っていた。屋台は一つもない。

 手にはりんご飴もなくて、代わりに持っていたのは家から持ってきたキツネのぬいぐるみ。

「今のって、夢なのかな」

 ぬいぐるみに向かって呟いた。ぬいぐるみをよく見ると、手の下に藍色のものが挟まっているのが見えた。スーパーボールだった。

「あ……」

 私は、スーパーボールを手に取った。

 私は不意に、今やっと終わった初恋について誰かに話したくなった。

 適当な振り方をしてしまった元彼に、連絡してみるかな……。神社からの帰り道、そんなことを思いながら、帰った。

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