友人が語る理論

 店内は、店主である親父や常連と会話をする夏美と、カードゲームで盛り上る翔に分けられている。


 これの一体どこが手伝いなのか全く分からない。ただ喋って遊んでる風にしか見えない。


 しかし、夏美という男はこういった場面ではきっちりと面倒はこなすタイプだし、信用して良いんだよな。


「と、とにかく厨房に行きましょうか」


「はい!」


 これからトースト作りが始まると分かってか、先程までの困り顔から一転して笑顔になった。


 おし! 俺も気合い入れないと。


 と思いたいものだが、どうしても視線は店内のに向いてしまう。


 黒板ボードに書かれた絵への称賛で年半ばぐらいのおじさんが夏美に声をかけたり、気怠げな翔の、滑るような口上に他プレイヤーと立って覗く観客が毎回のように感嘆の声を上げていた。



 うん。


 何だこれ。


「お師匠、初めましょう」


「お、おう」


 エプロンを制服の上に着た先輩がそう声を掛けて厨房へと入っていった。


 そうだ、今は集中する時だ。頑張れ俺。


 友人二人を何とか意識の外へ向け、厨房に入って事前に買っておいた卵を業務用冷蔵庫から取り出した。


「先輩、今日は一人で全部やってみてください」


「え? いきなりですか」


「心配しなくても良いです、危なかったらアシストするんで」


 そういうと、ぱぁっと明るい笑顔を見せた。


 お互い、頭に三角頭巾を被っていて、さらには前髪を上げているから、綺麗な目も、愛らしい表情も、全て簾なしである。


 かんぱいだ。


 完敗と乾杯の両方の意味を添えて。



「え~と、まずは卵を茹でるんですよね」


 鍋はどこですか? と聞かれたので棚から鍋を取り出して差し出す。ありがとうございますという礼も程々に、流し台から水を入れて、たぷたぷになるくらいまで満たした。


 今度はそこに、お玉に乗せた卵をゆっくりと水の中に沈めていく。


 本当、慎重過ぎるくらいゆっくり、例えるなら爆弾処理班が三分後に爆発する爆弾で、赤と青どちらのケーブルを切るかで論争するくらいの。


「……あれ?」


 卵を必要分入れた後、小首を傾げながら「お師匠」と呼ばれる。


「この卵だけ、何で浮いてるんですか?」


 言われて見ると、沈みきった三つの卵とは別に、ぷかぷかと水中で先端を柱の様にして浮かぶ卵が一つあった。


「あー、古い卵が浮いてるんっすね」


「古い卵? 何で分かるんですか」


 うさぎなら、耳を立てながら小首を傾げてそうな表情での質問。


「ここでクイズ!」


 ジャジャン!


 俺のセルフ効果音に面食らう先輩、透き通った瞳を大きく開いていた。


「卵が浮く理由は何でしょう、一、たまたま、ニ、軽くなった、三、小さくなった。正解者には百ポイント」


 景品は無いけどね。


 突然のクイズに驚き、けれど懸命に答えを考えてるようでう~んと唸る声が小刻みに耳朶を打った。


「う~ん、三……かな」


「ぶー! 正解はニの、軽くなったでした!」


「えー軽くなったんですか!」


 そう、卵が軽いから浮いてる。


 しかし、納得出来ないのか、古い卵と沈んだ卵両方を掴み、両手の天秤で比較し始める。しかし、両手天秤で卵の重さなんて比較できるはずもなく、先輩は困り顔になっていた。


 やれやれ、困った弟子だ。


「卵が浮いた理由は比重ですよ」


「ひじゅう? あー、あれですね、同じ大きさでも重さが違う」


 疑問が溶けてすっきり、というのは一瞬で、新たな疑問を持ったのか小首を傾げていた。


「でも、同じ卵ですよね。卵のパックには……Mサイズ、ということは、同じ大きさですよね?」


 すかさずというか、卵のパックにでかでかと書かれたMサイズの字を見てる。


 そこで聞かれると、このために俺が仕掛けたみたいになっちゃうよ、先輩。


「ここに、水に対して十パーセントの塩を加えたらより分かりやすいですけど、とにかく、卵が水に浮くのは、濃厚卵白と水溶卵白の割合が変化して、この平べったい端に空気ができるからですよ」


 そういって、先輩の持つ卵のお尻部分に当たるところを指差した。


 元々、卵には呼吸できる穴、気孔きこうがあって、そこで呼吸をしているらしい。

 なので、何で空気があるんだという質問にはそう答えようと期待して待ってみるが、そういった質問は来ない。代わりに――、


「その、濃厚卵白と水溶卵白というのは?」


「あーそっちに食い付きましたか――。濃厚卵白っていうのは白身の盛り上がってる部分で、水溶卵白は水っぽくて平べったい白身のことっすね」


 かなり簡潔にまとめたが、大体はそうだ。

 先輩は納得いったように首を縦に振っていた。


「じゃあ、美味しそうな目玉焼きトーストを作ろうと思ったら、そうやって新鮮な卵を選べば良いんですね!」


「そうっすね、でも、俺は平べったい目玉焼きの方が好きっすね~」


 特に醤油をかけるとき、平べったいからあまり醤油が溢れないし。食べる時は溢れるけど、何となくそっちが好きだな。


「では、再開します」


 卵講義が終わると、卵を戻してコンロを捻った。


 火加減は中火ぐらい、そこでキッチンタイマーを押して八から七へと数字が減ってカウントダウンが始まる。


 よし、今回は変に火力を弄ってないな。


 ほんの小さな、ささやかな変化。人によれば過剰評価なんて言われそうな小さな変化だけど、ちゃんと成長している。


「よし、やるか」


 前回切った玉ねぎ同様、両端を切り落として半分に割ってみじん切りにする。


 実際に使う量はこれのふたつまみ分ぐらいだけど、親父も使うから問題はない。


「そういえば、前はここで潤さんの邪魔が入ったんだよな」


 オープンキッチンのデメリット、いやメリットだけど、カウンターから覗けるために、たまにお客さんから声を掛けられる。


 俺は別に気にしないけど、先輩は大丈夫かな。

 そんな事が気になって、後ろで卵を茹でている麦野先輩をチラッと見た。


 制服の背中に頭を覆う三角頭巾、たまに見える真剣な表情。


 一年間トーストを焼き続けた先輩が挑戦するトーストとは別の料理は、とてつもなく地味で、とてつもなく簡単で、とてつもなくつまらないものだ。


 基本的に火加減さえちゃんとしてれば問題なく茹で上がり、小さな子供さえ鼻を擦りながら作れるそれを、じっと湯気を昇らせる鍋の中身を見つめながら静かに佇んでいる。


 茹で玉子にそこまで気を張らなくたっていいのに。


 頭ではそういって声を掛けるが、心では違った。


 すげぇーな。心の水面に浮かんだのはそんな言葉。


 潤さんみたく言わせれば色気のない言葉だ。詩やポエム、五七五だってもうちょっと綺麗な言葉が書かれるだろう。


 でも、俺は変わらずすげぇーと思った。こうやって真剣に料理と向き合えるのは、慣れた自分には出来ない。


 そう、もう慣れてしまった俺には、出来ない。


「――っといけない、包丁持ってるんだし気を付けないとな」

 自分が料理中だったのを思いだし、刻んだ玉ねぎをボウルにつまみ入れた。


 後は容器に入れて冷蔵庫に入れれば問題ない。


「後は卵次第か、あ、そういえばあいつらいるんだった。あいつらの分も用意しないと」


 思い出し、そっと鍋に水と卵を加えて先輩の横に移動してからコンロに鍋を置く。

 一瞬だけ先輩と目が合うが、すぐに鍋の中身に視線を戻した。


 真面目に修行に励む弟子、師匠として感慨深いものが突然込み上げる。これが弟子を育てる醍醐味なのかもしれない、良い弟子に巡り会えて良かったぜ!


 なんて心内でふざけてみる。真剣にやってるし、お喋り禁止だ。


 コンロを回して、冷蔵庫からみじん切りの玉ねぎを取り出して、もうふたつまみ分ボウルに加える、タイマーも押したので、後は玉子サラダを作るだけだ。


 若干暇になったので、夏美達の様子でも見るか~、と二人を見やると、いまだに二人ともお喋りやゲームに興じていた。


 やれやれ、今回は外野がいないから静かに終わったな……、ん? 待てよ、 そういえば。


 俺は、弟子の成長とは違う小さな変化に違和感を感じた。

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